2007年10月07日

池袋出身・ゆかりのある芸能・有名人

・横山めぐみ

女優の横山めぐみさんは池袋出身です。

東池袋でお生まれになり、
青山学院大学を卒業する22歳の頃まで東池袋に住まわれていました。

1969年東京都豊島区東池袋生まれ。

豊島区立時習小学校、
(豊島区立時習(じしゅう)小学校は2003年に廃校。
学校業務は豊島区立大塚台小学校と統合し、
現在の豊島区立朋有小学校(旧:豊島区立大塚台小学校)へ
引き継がれました。)
豊島区立西巣鴨中学校卒業。

高校は東京都立竹早高等学校を卒業。
青山学院大学文学部第二部教育学科卒。

横山さんはドラマ『北の国から』の大里れい役で有名になり、その後、
菊池寛原作の小説を元に製作されたTVドラマ『真珠夫人』で再び脚光を浴び、
女優としての立場を確実なものとし、現在も女優として活動中です。

東池袋出身の横山さんは2011年にはTV番組で
ご自身の地元の東池袋・巣鴨周辺を
関ジャニ∞の安田章大さん、錦戸亮さんのお2人と一緒に回られていました。

『2011年10月30日 冒険JAPAN! 関ジャニ∞MAP』

(動画が表示されるまで時間がかかる事があります)
(動画が表示されない場合はこちら

番組の中で横山さんは、

「(サンシャイン60が出来た当時)こんなに高い建物は日本には無かった。」

「実家と当時通っていた学習塾の丁度間にサンシャイン60があったので、
サンシャイン60の建物の中を通って塾に通った。」

「小さい頃、(文京区本駒込にある)六義園に父と散歩しながら来た。」

と話されていました。
他にも、巣鴨の地蔵通り商店街に家族と良く食事に行った事、などが
番組内で紹介されていました。




・山下達郎(〜少年時代:12歳まで)

池袋のご出身です。

<略歴>
1953年2月4日、東京都豊島区池袋に生まれる。
池袋(池袋駅西口界隈)で割烹料理店を営む両親の元、一人っ子で育つ。

1959年4月、豊島区立池袋第五小学校
(現:池袋小学校。2005年に池袋第五小学校と大明小学校が統合し開校。)
入学。
小学6年生の時に鼓笛隊に参加。

1965年4月、豊島区立高田中学校
(現:千登世橋中学校。
1999年に高田中学校と雑司ヶ谷中学校が統合し開校。)
入学。
ブラスバンドでドラムスを担当。

1965年、中学1年生の3学期に達郎の母の希望で、
東武練馬(練馬区平和台)に転居。菓子店を営み始める。

(ご両親が「達郎を育てる為に水商売はやめよう」と話し合ったとのこと。)
(池袋の繁華街に人が増え、「達郎の教育上良くない」との考えも
あったそうです。)

東武練馬に越してからも、高田中学に越境通学で通い続ける。
中学2年生の時、友人とアマチュアバンドを組む。ドラムス担当。

1968年4月、東京都立竹早高等学校入学。

1972年4月、明治大学法学部入学。
ほとんど大学には現れず、そのまま退学。


池袋出身の山下さんは、2012年にTBSラジオのラジオ番組
『大沢悠里のゆうゆうワイド』に出演された時には

「僕の実家は東武練馬で、生まれは池袋なんです。
小さい頃は、名前は忘れてしまいましたが、
(池袋の)平和通りの銭湯に行ってましたよ。」

と話されていました。


他にも、以前1991年に山下さんが『とんねるずのオールナイトニッポン』に
ゲストとして出演された時には、同じ東上線沿線成増出身の石橋貴明さんと
地元の話で盛り上がっていました。

(山下さんが池袋駅構内東口地下に在った「スナックランド」の話をする。)

山下達郎:「あそこに100円のカレーがあってね。
100円で食べられる立ち食いのカレーがあったでしょ。」

石橋貴明:「あっ、あそこ、あと、サラダうどんって食べた事ありますか?」

山下達郎:「そうそうそうそう。(笑)」

石橋貴明:「あっ!(笑) サラダうどん食べてましたか!(笑)」

山下達郎:「他人の感じがしませんね。(笑)
何か初めて会った気がしませんね今日は。(笑)」

石橋貴明:「(スナックランドで)チーズドック食べた事あります?」

山下達郎:「ありますあります。(笑)」

石橋貴明:「これが! 蜂蜜かけて。」

山下達郎:「ありましたね〜。」

(※ スナックランド=1997年まで池袋駅構内東口地下に存在した
立ち食い専門の飲食エリア。)

山下さんは、池袋の文芸座や日勝地下などの映画館や、
西口の喫茶店 蔵王やフラミンゴ、東口の喫茶店 耕路などの話も
石橋貴明さんとされていました。

『1991年 とんねるずのオールナイトニッポン ゲスト:山下達郎
(東上線や池袋についてのトークをされる山下さんと石橋さんの部分のみ)』





・さだ まさし

豊島区の、区制70周年を記念した「豊島区民の歌「としま未来へ」」は、
さだまさしさんの作曲です。

この「豊島区民の歌「としま未来へ」」は
2002年に豊島区政70周年記念事業の一環で企画され完成しました。




・優香(ゆうか)

高校時代(1997年3月27日)に池袋のP´(ピーダッシュ)パルコで
スカウトされ、芸能界へ。

1階のエレベーター前でエレベーター待ちをしていた時に
ホリプロの関係者にスカウトされたそうです。
優香さんご自身も以前TV番組で思い出の場所として訪れていました。

ご出身は東京都あきる野市の優香さんは、
高校時代は学校帰りに池袋サンシャインのアルパなどにも
良く買い物に来ていらしたとのこと。

ちなみに優香さんがスカウトされた同じ日に、俳優の藤原竜也さんも
池袋でスカウトされています。




・夏木マリ

歌手として1970年代に活躍し、そして現在は女優として活動中の
夏木マリさんは池袋出身です。

1952年池袋生まれ。

夏木さんはお生まれは池袋ですが、
育ったのは埼玉県の大宮市(現:埼玉県さいたま市大宮区)とのこと。
小学校および中学校は、
埼玉県の大宮市立三橋小・中学校(現:さいたま市立三橋小・中学校)を卒業。
2004年にはNHK『課外授業 ようこそ先輩』に出演し、
三橋小学校の生徒と課外授業をされていました。

<略歴>
豊島岡女子学園高等学校卒業後にスカウトされる。

デビュー前には、同じ池袋出身の藤田まことの公演前座歌手を務め
準備養成し、1971年に本名の“中島淳子”の名で歌手デビュー。

1973年、“夏木マリ”に改名後リリースしたシングル「絹の靴下」が、
独特のフィンガーアクションなども手伝って話題を呼び、ヒット曲に。
その後は女優として活躍。1980年からは日劇ミュージックホールに出演。

2001年には、声優として出演した「千と千尋の神隠し」湯婆婆(ゆばーば)役で
高い評価を受ける。

最近では、女優、声優、CM、ナレーターなど出演多数のご活躍です。




・藤田まこと

コメディアン、俳優として永きにわたり活躍された故・藤田まことさんは
池袋の出身です。

<略歴>
無声映画時代のスター俳優だった藤間林太郎を父に持つ。
林太郎は当時の映画会社帝国キネマに在籍し
大阪府東大阪市を拠点に活動していたが、
火災により撮影所が消失したことから、大都映画に移籍。
東京府東京市豊島区池袋(現在の東京都豊島区池袋)に移り住み、
1933年(昭和8年)、藤田は池袋で生を受けた。
小学校3年生の時に大阪府枚方市、さらに戦火を避ける為京都に転居。
高校卒業後はディック・ミネに師事し、歌手として芸能界デビュー。
同時期に地方巡業のコメディアンとしてもデビューし、
その後は、

1957年:『びっくり捕物帳』(大阪テレビ)
1961年:『スチャラカ社員』(ABC)
1962年:『てなもんや三度笠』(ABC)
1973年:『必殺仕置人』(ABC)
1979年:『京都殺人案内』(ABC)
1988年:『はぐれ刑事純情派』(テレビ朝日)
1998年:『剣客商売』(CX)

他、様々なテレビシリーズに出演。俳優としての地位を不動のものとした。

2007年には『必殺仕事人2007』にて再び中村主水役を演じるも、
翌2008年に食道がんが発覚。治療に入る。
がんの治療を継続しつつ、2009年には『必殺仕事人2009』に出演。
その後もリハビリを続けていたが、
2010年2月16日、大動脈瘤破裂により死去。享年78歳。
1月に体調の回復が認められた為ナレーションの仕事を受け、
3月の完全復帰を目前にした中での急死であった。

藤田の死に、共にテレビ創成期時代に活躍した大村崑は、
「まことちゃんとの思い出は尽きない。大阪人の宝です。」
白木みのるは、「僕の大きな友達を無くした。」との追悼の辞を発表するなど、
多くの演劇・芸能関係者がコメントを残し藤田を偲んだ。


藤田さんは死ぬまで、コメディアンから俳優となっても喜劇にこだわりを持ち、
「上方喜劇の灯を消したらあかん」を口癖にされていたそうです。




・ダニエル・カール<不確定>

旅番組のリポーターなどでおなじみのダニエル・カールさんは、
山形から上京後、御一家で池袋に住まわれていたそうです。




・矢作兼:(おぎやはぎ)

お笑いコンビ「おぎやはぎ」の矢作兼さんは池袋出身です。

豊島区立要町小学校(現:豊島区立要小学校)、
豊島区立千川中学校卒業。

高校は東京都立北野高等学校
(2005年に都立志村高等学校との統合の為廃校)を卒業。

1971年生まれ。
矢作さんはお生まれは山梨県富士吉田市。
矢作さんが3歳の時にご両親が離婚し、その時に山梨から
お母様、3歳年上のお姉様と一緒に東京に移られたそうです。

『2013年7月19日 おぎやはぎのメガネびいき
(矢作さんが両親の離婚と3歳まで暮らした富士吉田市について語る
部分のみ)』


矢作さんが3歳の時にお母様と離婚し生き別れとなっていたお父様は現在、
山梨県の河口湖周辺で猿回しをされているそうです。

この事については以前、おぎやはぎのラジオ番組『おぎやはぎのメガネびいき』
の「オギーチ」というコーナーの中で矢作さんのお父様を探す企画があり、
相方の小木さんが河口湖周辺に出向き調査しましたが、
お父様を見つける事は出来ず、結局真相は判りませんでした。
しかしどうやら矢作さんのお父様が河口湖で猿回しをされているというのは
「かなり濃厚な線で事実」とのこと。
矢作さんご自身も以前、
『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「トークダービー」という
コーナーの中でこの事について話されていました。

『2007年3月8日 とんねるずのみなさんのおかげでした』
(生き別れになったお父様の話をする矢作さんは14:10頃から。)



東武練馬(板橋区徳丸)に在った都立北野高校で
現在の相方小木博明さんと出会いコンビ結成。

矢作さん曰く、

「高1の時から小木の存在には気付いていて
「アイツ、気になるなあ〜」と思っていたけど、
高3の時に小木と同じクラスになってから初めて小木に話しかけて
友達になった。」

とのこと。
以前TV番組でこの事について話されていました。

『2013年9月16日 ネプリーグ』
(高校時代に小木さんと友達になったきっかけの事を話す矢作さんは
23:45頃から。)



同じ東上線出身という事で、成増出身の石橋貴明さんからは番組内で、

「彼らはなんてったって東上線ですから。」

「東上線連合だ!」

と、東上線仲間・東上線後輩、といった感じで紹介されたりしています。

池袋出身の矢作さんは子供の頃、お母さんが買って来てくれる
池袋西口に現在も在るケーキ店 キクヤのケーキが
とても楽しみだったそうです。

矢作さんは東上線沿線の飲食店にも馴染みが深く、
大山の洋包丁、大山のレストランオオタニ、ときわ台のカッチャトーレ、
東武練馬の中華たけいし、
などのお店に足繁く通われていたとのこと。

大山の洋包丁については2011年放送のテレビ東京系列『7スタBratch!』
番組内でも、洋包丁のスタミナ焼ランチが特に好きで現在も食べに行く事など
を話されていました。

ちなみに、同じく東上線出身者の柴咲コウさんとは、
豊島区立要町小学校(現:豊島区立要小学校)→豊島区立千川中学校 と
ご同窓でもあります。

矢作さんは2013年には豊島区立千川中学校の同窓会に出席し、
25年ぶりに千川中学校の同級生との再会を懐かしまれたとのこと。
同窓会は池袋のカラオケ店 パセラで開かれたそうです。
同窓会に出席した時の事は矢作さんが以前ラジオ番組の中で
ご自身で語られていました。

『2013年7月5日 おぎやはぎのメガネびいき
(矢作さんが同窓会に出席した時の話をする部分のみ)』



他にも、おぎやはぎのお2人は主に成増出身の石橋さんと絡む時や、
お2人の番組でも東上線トークを繰り広げています。
以下に紹介します。


(2006年10月放送の日本テレビ『天才!!カンパニー』にて)

矢作:「小木くん。」
小木:「はい。」
矢作:「大学生男子の駅伝と言えば、どこですか?」
小木:「男子の駅伝と言えば・・・箱根。」
矢作:「正解です・・・それでは女子は?」
小木:「女子?・・・まあ・・・箱根でいくと女子は・・・
熱海とかあの辺になるのかなあ。」
矢作:「そういう繋がりじゃないんですよ。箱根だから熱海・・・ないの。」
小木:「ふうん。」
矢作:「もっと上の方って言うんですか。」
小木:「東京より・・・上って事は・・・朝霞台とか、志木とか。」
矢作:「チョットだよね。」
小木:「志木まで行っちゃう?じゃあ。」
矢作:「朝霞台とか、知ってる人あまりいないよ?
地元の感じじゃなくて、もっと上、上、上。」
小木:「もっと上行くの?」
矢作:「上。」
小木:「・・・どこだろ・・・仙台??」
矢作:「・・・正解!!!」



等、東上線出身者ならではの東上線トークをされています。

また、矢作さんは以前、芸人になる前の頃に、
要町のハタスポーツプラザ(2011年4月閉館)1階のレストランでアルバイトを
していた時期があったそうです。
下の動画は2006年放送の『リンカーン』で、
矢作さんゆかりのハタスポーツプラザにダウンタウンを招いた時の動画です。

『2006年5月9日 リンカーン』
(ハタスポーツプラザでの模様は14:36頃から。)





・角田拓也・角田和也:(ザ・たっち)

双子のお笑いコンビ「ザ・たっち」の角田拓也さん角田和也さん兄弟は以前、
池袋に住まわれていました。

お2人はお笑いコンビとしてデビュー後、
しばらくは栃木県の実家(理髪店)暮らしでしたが、
仕事が増えてきたのを機に上京。
東京での生活を池袋で始め、2年間程住まわれていたとのこと。

東京の中でも池袋を選んだ理由については、
「池袋の美味しいラーメンが食べたいから」だったそうです。
TV番組『ザ!世界仰天ニュース』にて当時ご自身で話されていました。

お2人が以前ゲスト出演された『ウチくる!?』では、
西池袋の蒙古タンメン中本、焼肉家、東池袋のとんちゃらり、
北池袋の大衆食堂山田屋、
などを紹介されていました。

(情報提供 おへんろさん ありがとうございました)




・藤原竜也

俳優の藤原竜也さんは、中学生の時(1997年3月27日)に
友人数人と池袋の街を歩いていたところをスカウトされ、
それが芸能界入りのきっかけになったそうです。

ちなみに藤原さんがスカウトされたその数十分前に、
同じ池袋で優香さんがスカウトされています。
藤原さん優香さん共にホリプロによるスカウトだったそうです。

藤原さんのご出身は埼玉県秩父市。




・三木たかし

作曲家の故・三木たかしさんは、池袋出身です。

<略歴>
1945年、東京生まれ。
1967年、「恋はハートで」で作曲家デビュー。
以後、ヒットメーカーとして多数の歌手に楽曲を提供する。
代表曲は「津軽海峡冬景色」、「つぐない」、「夜桜お七」など。


三木さんは生前、夕刊紙のインタビューにて、
終戦直後の池袋に住まわれていた当時の事を話されていました。
以下がその内容です。

「僕の妹が黛ジュンなのは、みなさんご存じだと思います。
僕とジュンの子供時代は貧しさの極みでしたね。
僕の父はいろんな事業に手を出しては失敗し、
そのたびに借金を膨らませてしまうような人でした。
だから、電気とガスを止められた事もあって、
ローソクを買ってきて生活したのを覚えてます。
もっとも、終戦直後の事で、みんな貧しかったから
悲愴感はありませんでしたね。
むしろ、3部屋に11人がギューギューに住んでいる楽しい一家でした。

当時、家があったのは池袋。
ここに、まず両親と4人兄妹の計6人が奥の八畳間に住んでいました。
隣の六畳間には、僕の従姉妹で、後に歌手になった渡辺友子の家族4人。
その他にもう1人、父の一番下の弟がまだ独身で、
間借りみたいに住んでました。
そんな中でジュンはどうやって家計を助けたか。
もう8歳の頃から人前で歌ってお金を稼いでいたんです。

8歳ですから、普通なら歌わせてくれませんよね。
でも、ちょうどその頃、父がやっていたのがキャバレーの支配人。
そのツテをたよって、浅草のキャバレーや、夏祭りのステージで
歌わせてもらっていた。
僕より3つ下のジュンは幼い頃から引っ込み思案で、
人前で歌うのは苦手でした。」


このインタビューが行われた2006年、
三木さんは下咽頭がんで声帯の一部を切除、声を失ってしまいます。
2009年には『NHK歌謡コンサート』で、
実妹の黛ジュンさんと30年ぶりの共演を果たすも、
これが三木さんの生涯最後のTV出演となってしまいました。

2009年5月、がんにより岡山県岡山市内の病院で逝去。享年64歳。

三木さんは昭和歌謡を代表する作曲家の一人として、
現在も高い評価を受け続けています。




・松本潤

アイドルグループ「嵐」のメンバー、松本潤さんは池袋出身です。

1983年 東京都豊島区生まれ。

1990年 豊島区立時習小学校入学。1995年度卒業。

(豊島区立時習(じしゅう)小学校は2003年に廃校。
学校業務は豊島区立大塚台小学校と統合し、
現在の豊島区立朋有小学校(旧:豊島区立大塚台小学校)へ
引き継がれました。)
(豊島区立時習小学校が在った場所は現在、
帝京平成大学池袋キャンパスになっています。)

1996年 豊島区立西巣鴨中学校入学。1998年度卒業。

高校は1999年に堀越高等学校TRAIT(トレイト)コース
(以前は芸能活動コースと呼ばれていました。)に入学。2001年度卒業。

松本さんは小学校1年生から中学校1年生まで軟式少年野球をしていて、
ポジションはキャッチャーだったそうです。
時習小学校ではクラブ活動でバスケットボールをしていたとのこと。
当時は漫画「スラムダンク」が大好きだったそうです。

小学校6年生の時にはバスケットボールクラブのキャプテンを務め、
小学校バスケットボールの都大会にも出場されました。

時習小学校時代の松本さんは、松本家の
「わんぱくで元気の良い子供こそ我が家の男の生き方だ。」という
お父様の“家訓”の元ですくすくと育ち、
中学受験の為の受験勉強をしている子達を尻目に
「とにかく毎日外で元気一杯に遊んでいた」とのこと。
小学校時代の松本さんの成績は「ごく普通」だったそうです。

時習小学校で松本さんの担任だった先生は、

「松本君は“自然児”という言葉がぴったりの生徒でした。」

とおっしゃっていたそうです。

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(上:豊島区立時習小学校時代の松本さん。)

ちなみに松本さんは西巣鴨中学校に入学してすぐに
学級委員に任命されましたが、
これは小学校時代の松本さんを見てきた時習小学校の先生が、
西巣鴨中学校の松本さんの入学したクラスの先生に「推薦」し、
松本さんは学級委員に任命されたそうです。
この事は以前松本さんがご自身で、
雑誌「MYOJO」の1999年4月号のインタビューで話されていました。
一部を以下に紹介します。

(「MYOJO」1999年4月号より一部引用)


(松潤)
高校、無事に合格したよ!いやー、良かった良かった。
新生活には特に不安は感じてないよ。逆に凄く楽しみ。
何たって“勉強意欲”に燃えてるからね。いや、本気なんだって(笑)。
勉強ってやって無駄になる事無いし、勉強出来る状況に居る内に、
ちゃんと勉強しておいた方が良いもんね。

3月には中学も卒業かぁ。
中学に入ったばっかりの頃、学級委員だったんだよ。
しかも小学校の先生の推薦だったんだ。優秀だったんですねぇ(笑)。

(女子の学級委員の)相手の女の子は、
いわゆる優等生タイプの人だったなぁ。
中1でジャニーズに入って忙しくなっちゃったから、
きっと「全然手伝ってくれない」って内心怒っていたんだろうなぁ。
今更だけど、どうもすいませんでした(笑)。

あと印象に残っているのは、尾瀬の移動教室。
親に「朝起こしてね」って頼んだのに、
親が大寝坊して先生からの電話で起こされたという(笑)。
帰りのバスが雪で立ち往生して、
戻って来たのが朝の5時頃になっちゃったんだよなぁ。

中2で覚えてるのは体育祭かな。組体操のピラミッドの一番上でした。
中3はやっぱり仕事中心の毎日だったなぁ。
学校では硬派に磨きがかかってた(笑)。
ホントに女の子とは喋らなかったもんなぁ。
今考えると、もっと色んな人達と喋っておけば良かったかなって、
ちょっと反省してるよ。

中1の5月頃に事務所に入って、ガラッと人生が変わったんだよね。
事務所に入っていなかったら、きっとなーんにも考えないヤツだったと思うよ。
こんなに物事を考える様になったのは、滝沢君のお陰だと思ってる。
2月4日に滝沢君と2〜3時間マジメに語り合ったんだけど、
その時に生きていく上で凄く大切な考え方を教えて貰ったんだ。

僕の人生が変わっちゃう位プラスな考え方。
要点をメモして、何時でも読み返せる様にサイフの中に仕舞ってあるよ。
今は自分の中で大切にしたいから、内容はまだ言えないけれど、
いつか僕みたいに考え込んじゃうタイプの人が居たら、
教えてあげたいなって思ってるんだ。

『京都ビストロジャーニー』の収録の時、
占いの先生に「2月4日から貴方の運が開ける」って言われたんだけど、
本当にその通りになっちゃって、自分でもビックリしてるよ(笑)。

高校に行ったら、色んな経験をしてみたいな。
もうちょっと“やんちゃ”になりたいな〜って思ってるんだ。
中学の3年間は自分では意識してなかったけど、ちょっと背伸びっていうか、
見えないバリアみたいな物を自分の周りに張っていたかもしれない。

そういうものを取っ払って、恥ずかしくて出来なかった事とか
思いっ切りやってみたい!
カッコつけたって、そんなのすぐにバレるんだから(笑)。
ありのままの自分を出していけたらって思ってるよ。


『1998年 京都ビストロジャーニー 第3回』


松本さんは西巣鴨中学校ではサッカー部に入部しますが、
ジャニーズ事務所に入所した為1年ちょっとで辞めてしまったそうです。

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(上:中学校時代の松本さん。)


☆松本潤さん愛用のグッズ -その1-☆

rakuten.co.jp
2012年12月22日TBS『嵐にしやがれ』
2013年10月9日TBS『はなまるマーケット』で紹介された松本さん愛用の真空チタンタンブラー
と思われるタンブラー

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毎日元気一杯に外で遊びバスケットボールでも活躍していた松本さんは、
小学校時代から女子に大モテだったそうです。
小学校の同じクラスの女子全員からバレンタインのチョコレートを貰った事も
あったとのこと。
この事は松本さんご本人が
2004年2月13日放送の『ミュージックステーション』で話されていました。
以下がその時の内容です。


タモリ:「嵐の松潤、何かバレンタインの想い出あるの?」

松本潤:「え〜、良い想い出も、悪い想い出もあるんですけど、良い想い出は、
(はにかみながら)あのね、クラス全員から(チョコレートを)頂いた事が
あります。」

武内絵美アナ:「凄いですねえ。」

(嵐のメンバー4人は松本さんを中心にして周りから囲んで
両手を松本さんに向けて手のひらをヒラヒラさせている。)
(大野智さんだけがいつもの仕草で顎を前に出して口を尖らせている。)

タモリ:「すっごいね。」

松本潤:「昔ですけどね。昔ですけどそういう事もありました。」

タモリ:「昔、モテたんだね。」

松本潤:「モテましたね。そ、そんな、昔って強調されても。」

武内絵美アナ:「今も。っていう。」

(後ろで二宮和也さんが大野さんに何かを話しかけている。)

タモリ:「凄いね、全員からモテるって。」

武内絵美アナ:「それは、凄いですね。」

松本潤:「それは嬉しかったですね、めちゃめちゃ。」

タモリ:「は〜、駄菓子チョコ100個貰ったの?」

松本潤:「も、ありました。
あの、駄菓子屋の娘さんからチョコレートをバレンタインに頂いた時に、
お菓子のシール付きのチョコレート(ロッテのビックリマンチョコ)が
あったんですよ。それを100個貰った事がありました。」

タモリ:「へえ〜。」

松本潤:「おまけ付きのチョコレートを。」

(嵐のメンバー4人とPUFFYの吉村由美さんが松本さんを中心にして
周りから囲んで両手を松本さんに向けて手のひらをヒラヒラさせている。)

タモリ:「おお〜。松潤、小学校(の時)モテたねぇ。」

松本潤:「モテましたね。」

(櫻井翔さんが合図をしてまた嵐のメンバー4人が松本さんを中心にして
周りから囲んで両手を松本さんに向けて手のひらをヒラヒラさせている。)

タモリ:「可〜愛いかったろうなあ。」

松本潤:「ハハハ・・・有難うございました。」

松本さんは話しながら恥ずかしそうにしていました。

女子に大モテだった松本さんですが、
小学校5年生の時に移動教室で山中湖に行き、
男女ペアで進む肝試しに参加した際、
当時松本さんが好きだった女子とペアになり順番を待っている時に、
松本さんは嬉しさと緊張でお腹が痛くなった事があったそうです。

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(上:中学校時代の松本さん。)


☆松本潤さん愛用のグッズ -その2-☆

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2013年10月9日CX『TOKIOカケル』で紹介された松本さん愛用の「ショートポール」
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松本さんが芸能界入りするきっかけは、
松本さんが小学6年生の時にご自身で書いた履歴書
(松本さんご本人曰く「「小学校卒業」までしか経歴の無い
凄く簡単な履歴書だった。」)を小学校の卒業式の帰りにポストに入れ、
ジャニーズ事務所に送ったのがきっかけ。

普段から自宅で2歳年上のお姉様と一緒に、
当時活躍していたKinki Kidsのビデオをいつも松本さんは観ていたそうで、
その映像から受けたKinki Kidsの世界観に感動して憧れを抱き、
芸能界入りを考える様になったとのこと。

この事については以前松本さんがご自身で『情報プレゼンター とくダネ!』の
中で語られていました。

そして2ヵ月後の5月中旬、中学1年生になった松本さんの自宅に
ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長から直々に電話があり、
その日松本さんは軟式少年野球の試合が中止になって
たまたま家に帰って来ておりその後少年野球の練習に行く予定でしたが、
家族会議の末、お父様の「こんなチャンスは二度と無い。」との結論が出て、
すぐに松本さんはお父様の運転する車でジャニー喜多川社長の待つ
六本木のテレビ朝日の第1リハーサル室に向かったそうです。
そして六本木のテレビ朝日に到着した松本さんを見て
ジャニー喜多川社長はその場でオーディション無しで松本さんを合格にし、
松本さんのジャニーズ事務所入りが決まりました。

“オーディション無しでのジャニーズ事務所入所者”は、
以前はたのきんトリオの野村義男さんや川崎麻世さんなどが時代もあり
(現在程厳密にジャニーズ事務所のオーディションが
システム化されていなかった)居ましたが、
80年代中頃からはオーディションの審査基準も厳しくなり現在に至るまで、

少年隊の東山紀之さん、男闘呼組の岡本健一さん、
光GENJIの佐藤アツヒロさん、Kinki Kidsの堂本光一さん、
そして嵐の松本潤さん、

上記5人以外の“オーディション無しでのジャニーズ事務所入所者”は
居ません。


☆松本潤さん愛用のグッズ -その3-☆

rakuten.co.jp
2013年10月9日CX『TOKIOカケル』で紹介された松本さん愛用の骨盤矯正器具「骨盤職人」
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オーディション無しでジャニーズ事務所に入所した松本さんについては、

「この人は“エリート”なんですよ。」

と、以前『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』の番組の中で
嵐のメンバーの二宮和也さんが話されていました。

『2004年2月23日 HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP
(嵐のトーク部分のみ)』
(ジャニーズ事務所にオーディション無しで入所した経緯を話す松本さんは
5:00頃から。)


松本さんはジャニーズ事務所に入所した当初から
ジャニー喜多川社長と藤島ジュリー景子副社長のお気に入りで、
現在もお2人からは非常に可愛がられているとのこと。

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(上:中学校時代の松本さん。)

ちなみに、松本さんのお父様は「卵関係のお仕事」をなさっているそうで、
松本さんがご自身で以前TV番組でその事を話されていました。

『2010年8月26日 VS嵐 (松本さんがお父様の職業を話す部分のみ)』





・三遊亭好楽(さんゆうてい こうらく)

長寿番組『笑点』でお馴染みの落語家、三遊亭好楽さんは池袋出身です。
豊島区東池袋出身。

現在は好楽さんの娘さん(次女)が池袋の雑司が谷にて、
たい焼き店「ひなの郷」の店主をされています。




・浅野孝巳(あさの たかみ)・浅野良治(あさの よしはる)

TVドラマ『西遊記』主題歌「モンキー・マジック」、
TVドラマ『西遊記』エンディングテーマ「ガンダーラ」、
「ビューティフルネーム」、
TVアニメ『銀河鉄道999』主題歌「銀河鉄道999」、などの楽曲で有名な、
日本を代表するプログレッシブ・ロックバンド「ゴダイゴ」のギタリストの
浅野孝巳さん、
そして一時期ゴダイゴのドラマーを務めていた弟の浅野良治さんは、
豊島区要町の出身です。

浅野孝巳さんが1951年生まれ。浅野良治さんが1954年生まれ。

豊島区立要町小学校(現:豊島区立要小学校)卒業。




・ハナ肇

戦後の高度経済成長期時代に活動し一世を風靡した
昭和を代表するコミックバンド「クレイジーキャッツ」のリーダーであり、
同バンドのドラマー、俳優、コメディアンとして活躍したコメディアンの
故・ハナ肇さんは豊島区要町の出身です。

1930年東京府北豊島郡(現在の東京都豊島区)長崎町生まれ。

東京府北豊島郡立長崎第二国民学校
(豊島区立要町小学校→現:豊島区立要小学校)卒業。

山手通り沿い要町交差点近くのハナさんの育ったご実家で、
ご両親は水道工事店を営まれていたそうです。

ハナさんは要町小学校50周年記念式典の際には来賓として招かれ、
本業のドラムを披露しトークもされたとのこと。




・横尾要(よこお かなめ)

プロゴルファーの横尾要さんは豊島区要町の出身です。

1972年東京都生まれ。

豊島区立要町小学校(現:豊島区立要小学校)、
豊島区立千川中学校卒業。
高校は私立東京学館浦安高等学校を卒業。
日本大学卒。

要町出身の横尾さんは2006年、
ご自身が1985年3月に要町小学校を卒業されて以来、
25年ぶりに母校を訪問。
母校の生徒達にゴルフの実技指導を行い、
共に給食を食べるなどして楽しい時間を過ごされました。

また、スナッグゴルフ(子供からお年寄りまで楽しめる簡易ゴルフ)の用具を
寄贈し、豊島区教育委員会から感謝状を贈呈されました。

贈呈を受けて横尾さんは、

「子供達はゲームやパソコンによって外で遊ぶ機会が減ったと思う。
外で元気良く遊んで貰えるように、その協力が少しでも出来ればと思い
寄贈をさせて頂いた。」

と話されていました。




・橋幸夫(はし ゆきお)

歌手の橋幸夫さんは池袋出身です。

1943年東京都荒川区生まれ。

豊島区立池袋第三小学校、
豊島区立道和中学校
(現:西池袋中学校。2005年4月に道和中学校と真和中学校が統合し開校。)
卒業。

高校は城西大学附属城西高等学校を卒業。

橋さんはお生まれは荒川区尾久。
5歳の時に尾久から池袋へ転居し、中学生の時に中野に転居するまでの間、
池袋で暮らされていました。

橋さんは以前インタビューの中で池袋に住まわれていた当時の事について、

「池袋は尾久の閑静な住宅地に比べるとそれは賑やかな繁華街でした。
場所柄色々と遊びの誘惑も多く、年齢的にもエネルギーが有り余る
“遊びざかり”にさしかかって来たので、
「悪い遊び」に向かわないようにと心配した母の勧めで、
中学2年の時(昭和32年)、作曲家・遠藤実先生の「歌謡教室」に入りました。」

と話されていました。

小中高と全て豊島区内の学校を卒業した橋さんは、
母校である道和中学校と真和中学校が統合して平成17年4月に開校した
豊島区立西池袋中学校の校歌の作曲を担当されたとのこと。

池袋での“ワルガキ時代”については、橋さんが2015年にラジオ番組
『爆笑問題の日曜サンデー』に出演された時に詳しく話されていました。

『2015年3月1日 爆笑問題の日曜サンデー ここは赤坂応接間
ゲスト:橋幸夫』
(池袋で過ごした時期について話す橋さんは2:32:30頃から。)





・真島昌利(ましま まさとし)

元ブルーハーツ、ハイロウズのメンバーで現在はクロマニヨンズのメンバー
として知られるギタリストの真島昌利さんは池袋出身です。

1962年東京都練馬区上石神井生まれ。

真島さんは練馬区の上石神井の病院で1962年に生まれ、その後
池袋の家に引っ越し、3歳まで池袋で過ごされたそうです。
幼児期を過ごした池袋について真島さんは以前、1989年に発売された
「ROCKIN'ON JAPAN Vol.29 真島昌利 20000字インタビュー」にて
以下のように語っていました。


●生まれたのはどこですか。

「生まれたのはね、東京だよ。」

●東京のどこ?

「東京のね、池袋・・・かなあ? あんまりでも記憶ないなあ。」

●いつぐらいまで池袋に居たの?

「3つぐらいじゃないかなあ。あっ、生まれたの上石神井だったかもしんない。
上石神井の病院で生まれたっていう事をね、聞かされた事もあるけどね、
よく分かんないな。上石神井で生まれて池袋にすぐ引越したのかもしんない。」

●何人兄弟ですか。

「兄貴がいる。」

●2人っきり? お兄さんは幾つ離れてるの?

「2つ。」

●家業は何ですか。

「普通のサラリーマンだよ。」

●生まれてすぐ引越したかどうかは定かじゃないとしても、とにかく
3歳ぐらいまでは池袋に居たワケ?

「うん、多分。(南池袋にある雑司が谷の)鬼子母神で遊んだ記憶が
あるからね、居たんじゃないかな。」


以上のように池袋に居た期間は幼少時代の3歳までと短い期間だった
真島さんですが、3歳の時に東京都小平市花小金井にご家族で転居した後も、
中学生時代の1976年には池袋の西武百貨店で開催された
アマチュアバンドコンテンストに当時組んでいたバンドメンバーと共に、
「ジョニー&スリー・クール・キャッツ」というバンドで出場したりと、
花小金井に移り住んだ後も池袋に訪れる機会はあったとのこと。

(参照URL)
http://ur2.link/ybrc


posted by pokochi444 at 05:01 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする