2007年10月07日

大山出身・ゆかりのある芸能・有名人

・柴咲コウ

女優の柴咲コウさんは大山・要町の出身です。

1981年東京都豊島区生まれ。

豊島区立要町小学校(現:豊島区立要小学校)、
豊島区立千川中学校卒業。

高校は東京都立板橋高等学校に入学し高校2年生の時に中退。

柴咲さんは2005年中頃まで要町に住まわれていたそうです。
在住当時、大山・池袋周辺では、柴咲さんの姿が頻繁に目撃されていました。
庶民的なお店に行くことが多かったそうで、池袋周辺の居酒屋などにも
来ていらしたとのこと。

ちなみに、同じく東上線出身者のおぎやはぎの矢作兼さんとは、
豊島区立要町小学校(現:豊島区立要小学校)→豊島区立千川中学校 と
ご同窓でもあります。

柴咲さんが芸能界入りしたきっかけは、1995年、柴咲さんが14歳、
中学2年生の時に友達と池袋のサンシャインシティを歩いている所を
スカウトされるもお父様の反対によりその時は芸能界入りを見送られました。
しかし芸能界入りを諦めきれなかった柴咲さんはその後、2年後の1997年、
16歳の高校2年生の時にご自分の意志で芸能事務所に所属し、
芸能活動を始められたそうです。


柴咲さんは学生時代は池袋西口のロサ会館で学校帰りに遊んだり、
としまえん遊園地に遊びに行ったりしていたそうです。

池袋西口のロサ会館で遊んでいた事については柴咲さんは以前、
『みなさんのおかげでした』の食わず嫌い選手権に出演された時に
同じ東上線沿線成増出身の石橋貴明さんにその事を話されていました

下の動画は再び柴咲さんが食わず嫌い選手権に出演された時に、
石橋さんに再度ロサ会館のネタを振られた時の動画です。

『2006年7月20日 とんねるずのみなさんのおかげでした
食わず嫌い王決定戦 柴咲コウvs阿部寛』
(ロサ会館のくだりは03:16頃から。)



としまえん遊園地に遊びに行っていたという事については、
以前『メントレG』に出演された時に、

「豊島園めっちゃ行ってました。」

と話されていました。

『2008年5月4日 メントレG』
(としまえんのくだりは10:27頃から。)





・高田純次

タレントの高田純次さんは劇団の若手時代、
大山にあった「東京乾電池」の稽古場に通われていました。

2007年には文化放送『東京パラダイス』スペシャル2007年2月3日放送分
『高田純次&河合美智子の東京パラダイスwith吉田照美
in ハッピーロード大山』で久しぶりに大山を訪れ、
東京乾電池時代の大山での思い出を
「焼き鳥を食べたいのを我慢してインベーダーゲームに夢中になった。」等、
語ってらっしゃいました。

takadapara.jpg

他、若手劇団員だった頃には、
大山にあった飯場(工事現場内の宿泊施設)から色々な工事現場に
連れて行かれアルバイトをした事もあったそうです。




・柴門ふみ

漫画「東京ラブストーリー」「あすなろ白書」など、多数の作品で有名な
漫画家の柴門ふみさんは、お茶の水女子大時代、
大山にあるお茶の水女子大の寮に寄宿されていたそうです。

大山の寮に寄宿している時
(しかし当時別な住まいが有りそこに住まわれていた時期も有ったとのこと。)、
現在の夫で、同じ漫画家でもある弘兼憲史さんにアシスタントとして
採用されたのがご夫妻の出会いのきっかけ。

この事は以前柴門さんが女性漫画誌Kissの誌上インタビューで
話されていました。
以下に紹介します。

(インタビュアー)
(そういえば柴門さんの場合は、
大学からOL経験無しで、プロになられているんですよね。
最初は弘兼憲史さんのアシスタントをされていて・・・。
ものすごいビッグカップルですよね。)

柴門ふみ:いえいえ、付き合い始めた当初はただの貧乏な二人でしたよ。

(もし失礼でなければ、二人の出会いのいきさつを教えて下さい。)

柴門ふみ:出会いはドラマチックですよ。
私は、大学の漫画研究会で部長をしていたんです。
東武東上線の大山駅に私の大学の寮があり、その寮の漫研の子が
電車の中で漫研の同人誌を読んでいたのを、
同じ沿線の成増駅に住んでいて、自分の仕事場に通えるアシスタントを
探していた夫が見かけまして。
その時はその子に声をかけずに帰ったそうなんですよ。
でも、その日家に帰って新聞を見たら、
「家庭教師募集します。(お茶の水女子大学・大山寮)」という広告と、
大学の寮の電話番号が載っていて。
それで即座に彼が大山寮に電話をして「漫研の人に繋いで下さい!」って
言ったんです。
そこには漫研の子が居たんですが、
「自分は後輩だからよく分からないので、部長に繋いで下さい」という事になり、
寮に住んで居ずに、当時の自宅に住んでいた私に電話が
かかってきたんです。「同人誌見せて下さい」って。
最初は編集者からの電話だと思って、ドキドキしたんですけどね。

(スカウトだと思って・・・。)

柴門ふみ:「よっしゃ」って感じですよね。
それで喫茶店で待ち合わせをして、会ったんですよ。
「じゃあ、原稿を見せて」と言うから見せたら、「あ、トーン削ってるね」って
言うので、「漫画のこと、詳しいですね」って言ったら、
「だって、僕漫画家だもん」と言われて。
「なんて名前ですか?」と聞いたら、「弘兼憲史」って。
でも編集者じゃなくって、ガッカリしていた私は、「名前は知らない」って
冷たく言い放っちゃいました(笑)。
「どんな雑誌に載ったんですか?」と聞いたら、「「ビッグコミック」に載った」と
言うんですが、毎号読んでいたのに、全然記憶に無い。
だからまた「知らない」って。でも何故か気に入ってくれて、
「アシスタントになりませんか?」って言ってくれて・・・。

(何か不思議な縁が有ったんですね。)

柴門ふみ:偶然が積み重なってますよね。
私がもし漫研の部長じゃなかったら、別の人に電話がかかっていたでしょうし。
新聞広告に大山寮の電話番号が載っていなかったら、
夫は電話をかけていなかったでしょうし。

(出会った時の二人の会話を伺っていると、
恋愛にならなさそうな感じもありますが・・・。)

柴門ふみ:そうですよね(笑)。
年も10歳違いましたし。その当時私は20歳でしたが、彼は30歳でしたよ。
でも、わりと最初から気は合いましたね。話しやすい感じで・・・。

(やっぱり縁というのはあるのかもしれないですね。
そうしてその縁からご結婚されて、
今はお子さんが二人いらっしゃるんですよね。)


と、当時の事(上記エピソードは1977年頃の話)を
柴門さんは語られていました。

柴門さんは2014年にテレビ番組に出演された時にも、夫である弘兼さんや
東上線についてのエピソードを語っていました。
以下に紹介します。

「「この人と結婚したい」と思ったのはまだ学生の時で、成増から池袋に
「スターウォーズ」観に行こうって東武東上線に乗ったら、
成増で酔っ払いのおじさんが目の前に来て絡んできた。
「ねーちゃん握手しよう」って。
その時にウチの夫が隣にいて「おじさん僕と握手しましょう」と言って、
酔っ払いのおじさんの手を池袋までずっと握ってた。この危機回避能力(笑)。
殴ったら殴り返されるし。
(漫画のネタは)仕込めば良かったんですよ。東武東上線に乗って(笑)。


等、当時柴門さんが成増の弘兼さんのプロダクションで
アシスタントをしていた頃の話をされていました。


ちなみに、学生時代大山に住まわれていた柴門ふみさんのデビュー作
「P.S.元気です、俊平」の作品の中では、
主人公である俊平が“上京後に初めて暮らす街”として大山が登場しています。

(参照URL)
http://www.geocities.co.jp/Foodpia/5892/fumin/fumin.html

「P.S.元気です、俊平」はヤングマガジンにて1980年から1984年まで
連載され人気を博し、1983年には第7回講談社漫画賞を受賞。
柴門さんの名を世に広めた作品となりました。
1999年にはKinki Kidsの堂本光一さんと瀬戸朝香さん主演でTBSで
TVドラマ化もされました。

P.S.元気です、俊平
rakuten.co.jp




・すぎむらしんいち

漫画「東京プー」「ホテルカルフォリニア」「右向け左!」などで有名な、
漫画家のすぎむらしんいちさんは以前大山に住まわれていました。

すぎむら先生の作品「東京プー」は大山を舞台にした作品で、
ハッピーロード大山商店街をはじめ、大山駅周辺の風景・パチンコ店・定食屋 
などが数多く登場しています。

poo1poo2
poo3poo4
poo5poo6

(クリックで大きくなります)

(あらすじは、北海道で新婚生活を送っていた主人公「カマロの信也」が
逃げた嫁を追って上京。高校時代に修学旅行で訪れた経験が有った
池袋の東武デパート周辺をさまよう内に所持金が底を突き、
無銭飲食をして逃げる最中に轢き逃げに遭い記憶喪失になっていた所を
“板橋区犬山町”で定食屋を営むマスターに保護され、“犬山”で暮らす事に。
しかし、“ラッキーロード”の住人は皆一筋縄ではいかない一癖も二癖もある
住人ばかりで、ストリートファイターのサガットにそっくりの理髪店店長に
無理矢理髪型をパンチパーマにさせられたり、・・・というあらすじです。)

(作品の中では大山の駅前の踏み切りでの乱闘シーンや、
ハッピーロード中程にある老舗のパチンコ店に毎朝並ぶシーンなど、
大山の風景が数多く登場します。)

(連載時期は1993〜1994年。)

東京プー
amazon.co.jp


大山で暮らされていた事をすぎむら先生もご自身でツイッターに、

「すぎむらしんいち @Shin1Sugimura
あ、もちろんそうです。当時住んでました。アイコンパッと見ブルース・リーだと
思ったら・・・
RT @white_angeler : @Shin1Sugimura 東京プーの商店街のモデルは
大山でしょうか??」

(2011年9月26日のリツイート)

とファンからの問いにリツイートして答えられていました。

(参照URL)
http://ameblo.jp/white-angeler/entry-11030565166.html




・吉森みきお

漫画「ライパチくん」「しまっていこうぜ!」などで有名な
漫画家の吉森みきおさんは、作品の売れない新人時代、
大山のアパートに漫画家の友人と同居していたそうです。

吉森さんは以前ご自身のHPで、大山での生活を

「あの頃はめしといえば白めしに塩などの貧乏食生活で、
原稿料やアシスタント料をもらった日には大フンパツして、
大山・中板橋の中華料理店で同居人と一緒に
ニラレバ炒めとビールを食べるのが楽しみだった。
普段の食生活が酷かったので、ニラレバを食べると食べたそばから
みるみる体に力が漲ってくるのが自分でも分かった。」

と語っていらっしゃいました。




・Tina<不確定> 

歌手のTinaさんは大山出身のようで、
TV番組の『うたばん』にゲスト出演された時には石橋貴明さんに

「大山(出身)なんですう〜。」

と言っていたそうです。




・城咲仁

元カリスマホストで現在はタレントとして活躍中の城咲仁さんは大山出身です。

1977年生まれ。

城咲さんのご実家は大山駅から徒歩5分程の場所にある
ラーメン店の「丸鶴」で、現在も「丸鶴」は大山で営業を続けています。

下の動画は「丸鶴」のレタスチャーハンが「板橋のしっとりチャーハン」として
紹介された時の動画です。

『2015年11月17日 マツコの知らない世界 板橋チャーハン&顔ハメ看板
(丸鶴の部分のみ)』



大山出身の城咲さんは、地元である
ハッピーロード商店街のクレープ店「ピエロ」、サンドイッチ店「Ksキッチン」、
居酒屋「鏑屋」、
などのお店は現在も頻繁に利用している、という事を
2005年放送の『出没!アド街ック天国』の「板橋」の回に出演された時に
話されていました。

クレープ店「ピエロ」については2011年放送の
テレビ東京系列『7スタBratch!』番組内でも、
クレープをよく食べに行く事などを話し、お店を紹介されていました。

またちなみに、城咲さんはハッピーロード大山のマスコットキャラクター
「みらいくんとゆめこちゃん」の名付け親でもあります。

当時キャラクターの名前を一般からの公募で受け付けており、
その一般公募に子供時代の城咲さんが応募した名前が採用されて
名付けられたそうです。




・りょう<不確定>

女優のりょうさんは大山に住まわれていたそうです。
ご出身は埼玉県の鳩ヶ谷市ですが、その後大山に越され、
上板橋の東京都立大山高等学校に通学されていたとのこと。
現在でも、青春時代を過ごした大山から程近い中板橋のラーメン店
「環七ラーメン 平太周」などに足繁く通われているようで、
ご本人もTV番組でお店を紹介していました。




・荒俣宏

作家の荒俣宏さんは幼少期の5歳から12歳までの間、
大山に住まわれていました。

1947年東京都台東区生まれ。

荒俣さんはお生まれは東京都台東区ですが、お父様の事業の不振により
5歳の時に板橋区金井窪(現在の板橋区大山金井町)へ夜逃げ。
大山に転居された後、ご実家は同地で瀬戸物販売兼タバコ屋兼貸間業の
「みどり屋」を営んでいらっしゃいました。

当時小学生だった荒俣さんは、お釣りを計算するのが速いという理由から
店番を務める事も多かったそうです。

板橋区立板橋第七小学校卒業。

中学校・高校は日本大学第二中学校・高等学校を卒業。
慶應義塾大学法学部卒。

子供の頃の思い出話として、
神社の境内にある富士塚によじ登って遊んだ事や、

ikebukurofuji

(上:荒俣さんが当時遊んだ、
豊島区池袋本町の氷川神社「池袋富士」の富士塚。)

母親に嘘をついて手に入れた「少年ケニヤ」の貸本を
豊島病院裏の栄町のドブ川に捨てた事、などを
以前TV番組で話されていました。

また、1998年放送のNHK『課外授業 ようこそ先輩』では
母校の板橋第七小学校を訪れ、「板七小の図鑑をつくろう」などの企画を
提案し、実際に板七小の小学生と共に作っておられました。

12歳の時にご家庭の事情で再度練馬区に夜逃げするまでの、
幼稚園〜小学生時代の7年間を大山で過ごされた荒俣さん。

荒俣さんがテレビなどで少年時代の思い出について話される時には
板橋や大山の話題が多く、ご自身のブログでも
少年時代に大山にあった映画館の名前を記事の中に出されています。

(参照URL)
http://blogs.yahoo.co.jp/aramata_hiroshi/15478912.html




・猪狩元秀(いがり げんしゅう)

現役時代、ムエタイの現役王者3人と対戦し、
3試合全てKOで勝利するという強さを誇ったキックボクサーとして、
また、K-1創成期からレフェリー・ジャッジとして長年K-1の
レフェリング・ジャッジングを務めた猪狩元秀さんは大山出身です。

1950年東京都江東区生まれ。

お生まれは江東区ですが、幼少の3歳の時に大山に転居。

猪狩さんは以前東上線成増駅南口にて「食歩記dining あ〜」を
経営されていました。
(2004年に開店し2007年に閉店)




・伊達みきお・富澤たけし:(サンドウィッチマン)

2007年M-1グランプリ王者に輝いたお笑いコンビ
「サンドウィッチマン」のお2人は以前(2008年6月まで)、
大山で暮らしていらっしゃいました。

<略歴>
元々は宮城・仙台商業高校の同級生でラグビー部仲間。
仙台吉本に所属していた富澤が、福祉関係の仕事をしていた伊達を誘って
1998年に上京。
当初は3人組だったが間も無く1人が脱退。
事務所も大手のホリプロに所属したが、
後に所属タレント9組の個人事務所フラットファイヴに移籍。
現在はサンドウィッチマンのマネージャーが立ち上げた新事務所の
グレープカンパニーに所属し活動している。


お2人は上京した1998年から2008年6月までの約10年の間、
大山の家賃6万8千円の木造アパートに2人で同居して住まわれていました。

大山に住み始めた当初、お笑いの仕事に行く時は2人一緒にアパートを出て
仕事場に向かっていたそうですが、アパート暮らしが長くなるにつれ、
近所の人に「あの2人ゲイじゃないか」と思われる事を気にして、
「出かける時はどちらかが先に出て後から付いて行くという方式に変えた」と、
以前伊達さんがTV番組の中で語っていました。

2007年M-1グランプリの王者に輝いた時、授賞式で富澤さんは

「上京して9年で、まだ相方と一緒に暮らしているので、
これ(優勝賞金1千万)で引っ越しします。」

と話していました。

M-1王者獲得直後の2007年12月下旬にはTV取材を受け、
地元大山のサウナ太陽、定食屋の美味しん坊
など2人の行きつけのお店を紹介。
美味しん坊では、からし焼肉ランチ大盛(670円)を注文。
マスターからお祝いのカニクリームコロッケをサービスして貰い、
馴染みの味に舌鼓を打っていました。

その後はハッピーロード大山商店街でささやかな凱旋パレードを行い、
商店街イベント広場においてミニライブも披露。
ネタの合間に「ハイ! ハッピーロード!!」と叫んでいました。

sandwich12.JPG

sandwich14.JPG

sandwich16.JPG

sandwich17.JPG

『2007年12月28日 スッキリ!!』 キャプチャ画像
《携帯の方は
[http://tobu-tojo.up.d.seesaa.net/tobu-tojo/image/sandwich○.JPG?d=a0]の○の部分を1〜17に》


大山での10年間の同居生活時代については、
M-1王者獲得の9ヵ月後の2008年9月にお二人が出版した
「敗者復活」に詳しく書き記されています。

(以下、「敗者復活」より一部引用)

〜「家賃6万8000円、男ふたりの同棲生活。」〜

〜伊達さんは、富澤さんとの大山での同居時代、とにかくお金が無く、
ポケットに100円しか入っていない事もしょっちゅうだったそうです。
そういう時はもやしを買って、アパートの台所でもやしを塩コショウで炒めて
ご飯に混ぜて食べ、しのいでいたとのこと。

〜大山に引越して来てすぐにアパートのトイレの扉が壊れているのを
発見するも、そのままにしておいたそうです。

そしてある夏の暑い盛りの日に、伊達さんがトイレに入って用を足しドアの鍵を
触ったところ、ガチャッ!と音がしてそれっきりドアが開かなくなってしまい、
伊達さんはトイレから出ようとトイレの中で色々ともがくも出れず、
ドアの破壊を考えますが、それも修理代がかかるので諦めて、
トイレの小窓を割る事を思いつき小窓をパリンと割り、小窓に口を当てながら

「富澤、起きろー!」

「たすけてくれー!」

「おーい、暑くて死んじゃうよー!」

と必死に部屋に居る富澤さんに叫びましたが、
富澤さんは熟睡していて気が付かない状態。

伊達さんがトイレの小窓から必死に叫び続けて助けを求めていると、
アパートの住人が「事件が起きてる!?」と騒ぎ出した為、
大事になるのをおそれた伊達さんはそのまま黙って
6時間トイレにうずくまっていました。

そして6時間後に富澤さんが起床してトイレを開けると、
(外側からは簡単に開ける事が出来る壊れ方だった)
トイレの中で伊達さんがぐったりとのびていて、
富澤さんが「何やってんの?」とのびている伊達さんに訊くと
伊達さんは

「何やってんのじゃねえよバカ!閉じ込められてたんだよ、早く気付け!!」

と富澤さんに怒ったそうです。

〜大山のアパートはガスが切れたり壁が崩れたりと
部屋中至る所にガタが来ている部屋だったそうですが、
賃貸契約は富澤さん一人での契約にもかかわらず
伊達さんと2人で同居生活をしていた為、
大家に修理を切り出せなかったとのこと。

そうしてなるべく大家に会わない様に生活していたお2人でしたが、
家賃が遅れたりした時に大家が突然部屋を訪れる事があり、その時に
(契約していない)伊達さんが玄関に出てしまい大家と鉢合わせになり、大家に

「あれ?富澤さんの部屋でしょ?」

と怪しまれるも、伊達さんは

「ああ僕、たまたま遊びに来てんですよ。」

といつもごまかしていたそうです。

しかしこうした大家との鉢合わせが何回も続いてしまい、ある時とうとう大家が
「あんた住んでるでしょ!!」と伊達さんに詰め寄ったそうですが、
伊達さんも詰め寄られてからは、同居がバレているのを気にせず開き直って
同居生活をする様になったそうです。

sandapart1.jpg

sandapart2.jpg

sandapart3.jpg

敗者復活 (幻冬舎)
amazon.co.jp



2008年6月に大山から引っ越した後もサンドウィッチマンのお2人は
ラジオ番組やTV番組で度々、大山を訪れています。

2010年にはTVのパチンコ番組で
「(パチンコ屋の)やすだによく打ちに行っていました。」、
2011年には同じくTVのパチンコ番組で大山のパチンコ店にて
パチンコを打ち、
「(パチンコの機種の)海物語をよく打ってた。」等、話されていました。

他にも2011年放送のテレビ東京系列『7スタBratch!』では、
大山に住んでいた当時、
お2人共ハッピーロード大山商店街にある新井精肉店のメンチカツが好きで、
いつも買いに行っていた事を番組内のVTRで話されていました。

富澤さんは2013年放送の『アメトーク』では、
新井精肉店の店のロゴがハードロックバンドの「メタリカ」のロゴにそっくりだ、
という事を紹介されていました。

meat arai.jpg

『2013年9月26日 アメトーク ハードロック芸人
(新井精肉店の店のロゴを紹介する富澤さんの部分のみ)』
(新井精肉店の店のロゴを紹介する富澤さんは0:38頃から。)


この回の放送で富澤さんが着ているメタリカのギタリストでボーカリストの
ジェイムズ・ヘットフィールドの衣装に似せた服は、
筋金入りのメタリカファンである新井精肉店のご主人が
『アメトーク』の放送の為に富澤さんに貸し出してくれた
ご主人のお手製の服だそうです。
この回の放送の為に富澤さんがご自身で大山の新井精肉店に出向き、
服を貸してもらったとのこと。

meat arai2.jpg

2014年放送の『誰だって波瀾爆笑』では、サンドウィッチマンのお2人は
有楽町線の千川駅近くにあるつけ麺屋のつけ麺道たけしや、
ハッピーロード大山商店街にある甘味処の松屋甘味店、クレープ店のピエロ、
そして精肉店の新井精肉店を訪れ、新井精肉店の店頭では
富澤さんは新井精肉店のご主人とメル友である事などを話されていました。


『2014年10月26日 誰だって波瀾爆笑』
(お2人が千川、ハッピーロード大山商店街で食べ歩きをする部分は
34:30頃から。)



こちらの動画は、2012年2月に発売されたサンドウィッチマンのDVD、
「サンドウィッチマン ライブ2011~新宿与太郎完結篇~」に収録されている
『ちょう散歩』です。
サンドウィッチマンのお2人が深夜のハッピーロード大山商店街を
歩かれています。



サンドウィッチマン ライブ2011~新宿与太郎完結篇~
rakuten.co.jp


こちらの動画は2014年にサンドウィッチマンのお2人が『A-Studio』に
出演された時の動画です。
番組では、ホストを務める笑福亭鶴瓶さんと女優の山下リオさんが
サンドウィッチマンのお2人がかつて住まわれていた板橋のアパートを訪れて
記念撮影をされていました。

『2014年4月25日 A-Studio ゲスト:サンドウィッチマン』
(サンドウィッチマンのお2人が住まわれていた板橋の事について話す部分は
13:48頃から。)



サンドウィッチマンのお2人は大山に住まわれていた時に上板橋の
城北中央公園で草野球に勤しんでいた時期があったそうです。

城北中央公園で草野球をした後に上板橋にあるラーメン店の
蒙古タンメン 中本で激辛の名物ラーメンを食べるのが当時のお決まりの
コースだったとの事ですが、伊達さんは蒙古タンメン 中本の
激辛のラーメンが辛すぎる事について触れ、
「あまりにも辛すぎるので、あんまり好きじゃないです。」と、
お2人が出演した2015年放送の『出没!アド街ック天国』の「上板橋」の回の
番組の中で話されていました。

『2015年5月9日 出没!アド街ック天国 上板橋』
(上板橋について話す部分は13:09頃から。)





・山田詠美(やまだ えいみ)

「ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー」での直木賞受賞、
他にも、「ベッドタイムアイズ」「放課後の音符」などで知られる直木賞作家の
山田詠美さんは大山出身です。

1959年東京都生まれ。

板橋区中丸町のご出身で、小学生までの時期を中丸町で過ごされたそうです。

山田さんは現在、芥川賞の選考委員を務めていらっしゃいます。

最近では、芥川賞受賞の綿矢りささん、金原ひとみさんが影響を受けた作品
として山田さんの「放課後の音符」を挙げるなど、山田さんの作品は
現代の日本語作家に大きな影響を与えていると言われています。




・いっこく堂

腹話術師のいっこく堂さんは御一家で大山に住まわれています。

いっこく堂さんはハッピーロード大山商店街や遊座大山商店街を
よく利用されるそうで、
2005年放送の『出没!アド街ック天国』の「板橋」の回や
2011年放送の『誰だって波瀾爆笑』にて地元大山が紹介された際には、
遊座大山商店街にある焼肉店 炭焼工房 朱雀門や、
遊座大山商店街にある沖縄そばの店 めーばる製麺 海人のいえ 大山店に
ご家族で食べにいらしている事、

2011年放送の『誰だって波瀾爆笑』や
2011年放送の『7スタBratch!』でご自身の地元である大山を
紹介した際には、
ハッピーロード大山商店街にある老舗の甘味店 松屋甘味店の大学芋と
昔ながらの焼きそばをよく食べに行く事などを話されていました。

他にも2005年放送の『出没!アド街ック天国』の「板橋」の回や
2011年放送の『7スタBratch!』では、
ハッピーロード大山商店街にあるかばん店 ダイワバッグで購入したバッグを、
仕事用のバッグとして愛用している事などを話されていました。




・佐々木剛(ささき たけし)

『仮面ライダー』で仮面ライダー2号 一文字隼人役を演じた
俳優の佐々木剛さんが現在、大山で居酒屋「バッタもん」を経営されています。

2012年5月にオープン。
佐々木さん自身が厨房に立ち接客もするこのお店に、
仮面ライダーファンが続々と来店しているそうです。

佐々木さんは1971年に放送を開始した『仮面ライダー』で
仮面ライダー2号 一文字隼人役を演じて人気を博し、
その後の俳優活動も順調でしたが、1982年、佐々木さんが34歳の時に
自宅アパートで自らが原因の火事を出し、
役者の命とも言える顔に大火傷を負った事により
長らく俳優業を離れる事となり、俳優業を離れた後は
ちり紙交換、石焼イモ屋、警備員等の職業を転々、
果てはホームレス生活も経験するなど波瀾万丈の人生を歩まれています。

佐々木さんの半生についてはこちらの動画で詳しく紹介されています。

『2012年11月13日 佐々木剛 大山で居酒屋を経営』
(佐々木さんのくだりは7:18頃から。)


こちらのサイトでは「バッタもん」を開店したきっかけを
佐々木さん自身が語られています。

(参照URL)
http://portal.nifty.com/kiji/120928157563_1.htm

佐々木さんは新潟県新発田市出身。
大山という場所を選んだ理由は、大山にあるホールで芝居をするなど
大山に縁があり、居酒屋を開店されたとのこと。
当初は中板橋や十条でもお店を出す場所を探していたそうです。

-バッタもん-
〒173-0014 東京都板橋区大山東町28−6 ダヴィンチ板橋B1
TEL 03-3962-1825




・マギー司郎

ネタをばらしながらマジックをするマジシャンとして有名な、マジシャンの
マギー司郎さんは以前大山に住まわれていました。

2000年代終わり頃まで長く大山熊野町に住まわれていたそうです。

マギーさんはご自身のネタの中でも、行きつけのお店だった
大山金井町に在る喫茶店 コーヒーショップ ピノキオを
ネタの枕詞にされる事もありました。

枕詞は最初は

「これね。板橋の喫茶店のマスターに好評だったネタね。」だったのが、
「これね。大山の喫茶店のマスターに・・・」となり、最後は
「これね。大山金井町のピノキオのマスターに・・・」と、

どんどん内容が詳細になっていっていました。

大山の喫茶店 ピノキオは他にも

「これ、女性に好評なんですよ。
大山金井町のピノキオのお客の女性3人に凄く褒められたんです。」

等、マギーさんのネタの中で度々使われていました。

大山金井町に長く住まわれていたマギーさんは、
上板橋や大山界隈の居酒屋や大衆酒場がお気に入りとのこと。
2013年10月に発売された板橋区の特集ムック「板橋本」の中の
“マギー司郎さんと行く くだまき板橋 大衆酒場”というコーナーでは
マギーさんが板橋区の居酒屋・大衆酒場について話されていました。
以下にその一部を紹介します。

「長い事東武東上線沿線に住んでいてね、板橋区民だったの。
友人も多くてね、なんか落ち着くんだよね。」

「(板橋区の大衆酒場について)なにしろ気取らないでしょ。
普段着でぶらりと来られる。
都心で呑むよりずっとリラックス出来るのがいいよ。
それが板橋の良さだよね。」

「気取らない町が大好きなのよ。」

と、マギーさんは本の中で話されていました。

板橋本
rakuten.co.jp


posted by pokochi444 at 05:04 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする