2007年10月07日

下赤塚出身・ゆかりのある芸能・有名人

・尾崎豊(〜少年時代:11歳まで)

歌手の故・尾崎豊さんは下赤塚出身です。

厳密に言えば、住所は練馬区の春日町で
現在の最寄り駅は都営大江戸線練馬春日町駅か、
東京メトロ有楽町線平和台駅が最寄りの駅になりますが、
尾崎さんが住まわれていた頃は両線とも開通しておらず、
電車での最寄り駅は
西武池袋線の「豊島園駅」と東武東上線の「下赤塚駅」だったそうです。

尾崎さんはお父様が防衛庁の職員だった関係で、
自衛隊練馬駐屯地の近くの春日町の都営住宅に
御一家で住まわれていました。
(現在その都営住宅は在りません。)

<略歴>
1965年(昭和40年)11月29日に世田谷区の自衛隊中央病院にて誕生。
一週間後に退院し練馬区春日町の都営住宅で暮らし始める。
1967年(昭和42年)8月、練馬区立田柄保育園入園。
1968年(昭和43年)5月、春日町の自宅からより近い
練馬区立春日町第二保育園に転園。

1972年(昭和47年)4月、練馬区立田柄第二小学校入学。
1976年(昭和51年)9月、小学5年生の2学期の時に
父親が朝霞駐屯地に転勤になった為、埼玉県の朝霞市溝沼に新居を構え、
一家で転居。小学校は埼玉県朝霞市立朝霞第一小学校に転入。
1978年(昭和53年)4月、中学校は尾崎豊本人の強い希望により、
かつて暮らしていた春日町の練馬区立練馬東中学校に入学。
越境通学で通う。

1981年(昭和56年)4月、青山学院高等学校入学。
1983年(昭和58年)12月、シングル「15の夜」とアルバム「十七歳の地図」で
デビュー。
1984年(昭和59年)1月、青山学院高等学校を自主退学。
1984年(昭和59年)3月、青山学院高等学校の卒業式の当日、
新宿ルイードでデビュー後初ライブを行う。
1984年(昭和59年)8月、日比谷野外音楽堂でのライブイベント出演中に、
7メートルの高さの照明台から飛び降り左足を骨折。
以降のスケジュールが全てキャンセルとなる。
1985年(昭和60年)1月、シングル「卒業」がオリコンチャート初登場で20位を
獲得、一部の過激な歌詞の表現が話題となる。
1985年(昭和60年)3月、2枚目のオリジナルアルバム「回帰線」をリリース。初登場1位を獲得。
1985年(昭和60年)8月、大阪球場でライブを行い、2万6000人を動員。
1985年(昭和60年)11月、代々木オリンピックプールでライブを行い、
2日間で3万人を動員。
1985年(昭和60年)11月、3枚目のオリジナルアルバム「壊れた扉から」を
リリース。
1986年(昭和61年)1月、福岡国際センターでライブを行う。
無期限活動停止宣言をし、渡米する。
1987年(昭和62年)2月、帰国後、レコード会社をCBSソニーから新レーベル
Mother&Childrenに移籍。
1987年(昭和62年)12月、覚せい剤取締法違反で逮捕。
1988年(昭和63年)2月、東京拘置所から釈放。
1988年(昭和63年)6月、フジテレビ系音楽番組『夜のヒットスタジオ』に
最初で最後のテレビ出演。同月21日に発売された新曲「太陽の破片」を歌う。
1988年(昭和63年)9月、4枚目のオリジナルアルバム「街路樹」をリリース。
1988年(昭和63年)9月、東京ドームでライブを行い、5万6000人を動員。
1989年(平成元年)7月、長男 尾崎裕哉が生まれる。
1990年(平成2年)4月、再びレコード会社をCBSソニーに移籍。
音楽事務所をROAD&SKYに移籍する。
1990年(平成2年)11月、5枚目のオリジナルアルバム「誕生」(2枚組)を
リリース。
1990年(平成2年)12月、個人事務所 ISOTOPE(アイソトープ)設立。
1991年(平成3年)3月、雑誌での対談がきっかけとなった女優 斉藤由貴との
不倫が騒がれる。その後10月に別離した事が報じられる。
1991年(平成3年)10月、代々木オリンピックプールでライブを行う。
これが生涯最後のライブとなった。
1991年(平成3年)12月、母親が急死。
(孫(裕哉)のおもちゃを買いに出かけた際に朝霞駅の階段で倒れ、
そのまま急性心不全により亡くなられたそうです。)
1992年(平成4年)4月25日早朝、東京都足立区千住河原町の民家の庭にて
泥酔状態で発見され、警察に通報される。
救急車で病院に運ばれ診察を受け、夫人と共に自宅マンションに帰宅する。
その後、夫人、兄、マネージャーが見守る中、
自宅マンションで暴れたり眠ったりを繰り返したのち、
突如危篤状態に陥り救急車で日本医科大学の緊急病棟に搬送、
蘇生措置が施されるが午後0時6分に死亡。享年28(満26歳)。
1992年(平成4年)4月30日、東京都文京区の護国寺で行われた葬儀には
大勢のファンが詰め掛け、参列者は4万人近くに上り、
美空ひばり、吉田茂に次ぐ規模の参列者数となった。
1992年(平成4年)5月10日、6枚目のオリジナルアルバム
(事実上のラストアルバム)「放熱への証」がリリース。
初回出荷分が即日完売し、100万枚を超えるセールスを記録した。





尾崎さんの中学時代、朝霞駅→下赤塚駅の、
練馬東中学への越境通学時においては、

学校をさぼり東上線の駅のベンチに座っていた
(朝の時間帯の下赤塚駅のベンチに良く座っていたそうです。)、

というエピソードがあります。

下の動画では尾崎さんが通っていた田柄第二小学校と練馬東中学校が
当時の尾崎さんの映像と共に出てきます。

『さだまさしの「縁切寺」を歌う中学生時代の尾崎豊』
(0:37頃から田柄第二小学校、3:09頃から練馬東中学校の映像。)


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(上:尾崎さんの母校、練馬東中学校。通称“ねりとん”。)


彼の初期の曲の多くは春日町で過ごした頃の体験を綴ったものが多いです。

「15の夜」
(前半部分は有名なMC。曲は4:24頃から。)


「15の夜」は、尾崎さんが14歳、練馬東中学2年生の時に
友達と家出の計画を立てた練馬区立向山公園から、盗んだバイクで、
当時グラントハイツの返還後間も無くスクラップ置場なども残っていた
光が丘公園に辿り着いたその夜の体験を描いた曲です。

実際は尾崎さんが14歳の時の経験にも関わらず
「15の夜」というタイトルにしたのは、
「14の夜」だと語感が悪い為、歌いやすい「15の夜」としたそうです。
曲は1983年リリースのファーストアルバム「十七歳の地図」に
収録されています。

十七歳の地図
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「米軍キャンプ」


1985年リリースのサードアルバム「壊れた扉から」に収録されている
「米軍キャンプ」という曲の、
「米軍キャンプ跡の崩れかけた工場」という詩に唄われている風景は、
当時の光が丘の風景です。

hikarigaoka

(上:現在の練馬区立光が丘公園。旧グラントハイツ(※)。)

(※ グラントハイツ=東京都練馬区にかつて1947年(昭和22年)から
1973年(昭和48年)迄の間存在した、アメリカ空軍の家族住宅地。
1973年に日本に返還され、現在は東京都練馬区光が丘の全域
およびその周辺地域となっている。)

壊れた扉から
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他にも尾崎さんと東上線のエピソードとして、
尾崎さんは生前、幼少の頃からお父様がクリスマスや尾崎さんの誕生日に
必ずと言っていい程お土産として買ってきた、
下板橋に現在も在る老舗洋菓子店タカセ板橋店
バタークリームのバースデーケーキやシュークリームが大好きだったそうです。




・宮前真樹

アイドルグループ「CoCo」の元メンバーで、現在はタレントとして活動している
宮前真樹さんは下赤塚出身です。

1973年新潟県十日町市生まれ。

板橋区立赤塚第一中学校卒業。

お生まれは新潟県十日町市。

宮前さんのご親戚の方も2005年頃まで赤塚の東京大仏付近で、
もんじゃ焼・ラーメンのお店を営業されていたとのこと。

下赤塚出身の宮前さんは
2001年放送の『出没!アド街ック天国』の「成増」の回の時には、
成増の隣町下赤塚の出身としてゲスト出演し、
成増のパスタ店(トラットリア イル ほうれんそう)(現在は閉店:工場のみ営業)
で初デートした思い出などを語ってらっしゃいました。




・益岡徹<不確定>

「マルサの女2」の税務官役などで有名な、俳優の益岡徹さんは
下赤塚の板橋区立赤塚小学校に通われていたそうです。

以前『徹子の部屋』に出演した際、赤塚小学校の卒業アルバムを持参して
当時の思い出を話されていました。




・風間やんわり

漫画「食べれません」の作者である漫画家の故・風間やんわりさんは
下赤塚出身です。

1977年東京都板橋区赤塚生まれ。

ご自身の公式サイトでは「板橋区赤塚 楠医院 出身。」と、
ご自身が産まれた赤塚の産院を紹介されていました。

板橋区立下赤塚小学校、
板橋区立赤塚第三中学校卒業。

高校は東京都立北野高等学校
(2005年に都立志村高等学校との統合の為廃校)を卒業。


<略歴>
1994年、都立北野高等学校在学中の高校3年生の時に
講談社ヤングマガジン「ギャグ大賞」を受賞。
翌1995年より同誌にて板橋区赤塚系ギャグ漫画「食べれません」を
連載開始。
「食べれません」は以降、本人が亡くなる2013年まで18年間連載。

代表作には「食べれません」の他、
「腹くだしダンデー」、「たもっさんの時間」、「たもっさん」、「ポチ極道」、
「あつし渡辺の探訪びより」、「やんわり社会派宣言」など。

実姉は漫画家すぎむらしんいちの妻。

上記作品の他に、フジテレビ系ニュース番組『ニュースJAPAN』で
政治風刺4コマ漫画を描くなどして活動していた中の2013年10月22日、
肝機能障害の為、急逝。36歳没。

2013年11月11日発売の週刊ヤングマガジン第50号掲載分の
「食べれません」が絶筆となった。


風間さんの代表作であり、
自ら「板橋区赤塚系ギャグ」と銘打った漫画「食べれません」の作中には、
下赤塚の様々なお店や風景などが数多く登場していました。

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食べれません
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下赤塚出身の風間さんは板橋区赤塚に生まれ赤塚で育ち、
プロの漫画家としてデビューした後も長く赤塚に住まわれていました。

地元下赤塚のお店をご自身の作品の「食べれません」に登場させる事も多く、
中でも頻繁に登場していたのが下赤塚に在る人気ラーメン店 Y'sラーメンで、
お店の社長とも知り合いになり、系列会社が2006年に板橋区蓮根に焼肉店を
オープンした際には店の看板の絵を依頼され描かれていました。

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(「風間やんわり プロデュース」と書かれていますが、ご本人曰く
「看板の絵を描いただけ」との事。
以前ご自身のブログでこの事について話されていました。)

下赤塚出身の風間さんは生前、
2013年10月に発売された板橋区の特集ムック「板橋本」の中の
“板橋LOVERS”というコーナーで地元の赤塚の事を語られていました。
以下にその一部を紹介します。


「高校時代、修学旅行から帰って来てバイトしに行こうと思ってたら、
受賞の連絡が編集部からあったんです。最初、何かの冗談かと思いましたね。
その時は赤塚の寿司屋でバイトをしていて、
その日の内に辞めるって話しましたよ。店の人達は喜んでくれました。
配達する人が自分しか居なくて、辞めるのは申し訳なかったんですが・・・」


「赤塚の子供は母親がのとや(下赤塚に在る激安洋品店)で買った服を着る
っていうのが定番。
中学生にもなると「何で(のとやで)ジャンパー買ってきちゃうんだよ〜」って
なるんだけどね。」


(下赤塚に在るラーメン店 東京ラーメン 大番にて)
「ラーメンが270円だった頃から通ってましたよ。
夜は何故か(ラーメンの価格が)50円アップするんです(笑)。」


「赤塚と言えば後は東京大仏ですね。
ここの人達は大仏と言えば奈良、鎌倉、赤塚ですから(笑)。」


「板橋はヨコとタテの繋がりが強い。
飲み屋に行くと、人生の先輩が沢山居て、よく絡まれます(笑)。」


「人と人との距離が近い所で生まれ育ったから、
今もお隣さんと仲良くやっていけているんだと思います。」


等、風間さんは本の中で語られていました。

本の中では風間さんは他にも、
赤塚に在るバッティングセンターの丸一バッティングセンターや、
風間さんが子供の時に遊んだ公園、赤塚六丁目公園(通称“ブタ公園”)も
思い出深い場所、と話されていました。




・幸田シャーミン

「こんばんは、幸田シャーミンです。」で有名なジャーナリストの
幸田シャーミンさんは下赤塚出身です。

ご実家のビルが川越街道沿いに在り、以前、ビルの1階には
幸田さんの著書などが展示されているコーナーがありました。




・八代英輝

国際弁護士の八代英輝さんは下赤塚出身です。

1964年東京都板橋区赤塚生まれ。

板橋区立赤塚第三中学校卒業。
中学時代はブラスバンド部に所属。

高校は城北埼玉高等学校を卒業。
慶応義塾大学法学部卒。

お生まれになった場所は板橋区赤塚新町の横田医院、
とTV番組『ホンネ日和』の中でご自身で話されていました。

また、下赤塚出身の八代さんは以前、
2007年放送の『出没!アド街ック天国』の「下赤塚」の回に地元出身として
出演し、番組内で赤塚の事を「板橋の代表」と表現していました。

それに対して、同じく番組ゲストとして出演していた
おぎやはぎの2人
(小木博明:ときわ台出身・矢作兼:池袋出身)
(2人共東武練馬の都立北野高校を卒業)
は、下赤塚および赤塚の東京大仏について「一番 地味な駅」と
フリップに書いて、

おぎやはぎ:「下赤塚って地味なんですよね東上線の駅の中でも。
知らないですもんほとんど。
だから何で今日番組に呼ばれたのかわかんないです。(笑)
ただ東京大仏は知ってますよ。
高校のサッカー部のランニングの折り返し地点だったんです。東京大仏は。
だからあれは「折り返し大仏」です。折り返し大仏。(笑) 折り返しですよ。」

とコメントし、
下赤塚出身の八代さんは「それはあまりにも失礼なんじゃないですか?」
と言い返していました。

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他にも、八代さんは2011年放送の『出没!アド街ック天国』の「大山」の回に
同じ板橋区内の赤塚出身として出演し、

「中学校時代にブラスバンド部に所属していて、
ブラスバンドの中学全国大会で銀賞を頂いたんです。
そしてその後大山のハッピーロード商店街で凱旋パレードを行ったのですが、
その時に大山のおかあさん達から銀賞獲得を祝福して貰い声援を頂いて
凄く嬉しかった事を記憶しています。」

と話されていました。

ちなみに『出没!アド街ック天国』においては八代さんは同じ板橋区内の
「高島平」「仲宿」「志村坂上」「東武練馬」の回にも出演されています。

(情報提供 PINECONEさん ありがとうございました)




・山本容子

銅版画家の山本容子さんは、幼少時代の一時期、
練馬区田柄(最寄り駅が下赤塚)に住まわれていました。

山本さんの出生地は埼玉県浦和市(現:埼玉県さいたま市浦和区)。
生後間もなく奈良県生駒市に移住。その後関西各地を転々とし、
9歳の時に練馬区田柄に移り住む。
田柄で暮らした期間は2年程だったそうです。
練馬区立田柄小学校に通われていたとのこと。

2004年放送のNHK『課外授業 ようこそ先輩』では母校の小学校として
田柄小学校を訪れ、
田柄小の子供達と一緒に版画の制作をしていらっしゃいました。




・ナンシー関

消しゴム版画家として、またTVコラムニストとして有名だった
故・ナンシー関さんは、下赤塚に一時期住まわれていたそうです。

ナンシーさんの著書「ナンシー関の「小耳にはさもう」ファイナル・カット」には、
ナンシーさんの消しゴム版画の才能を見い出したコラムニストの
えのきどいちろう氏による

「成増のトナリの下赤塚の文房具屋さんは今もあるだろうか。
突然でたらめな量の消しゴムを買いまくり、ふいに来なくなった
大柄の娘を覚えておいでだろうか。
箱で仕入れたステッドラー
(ナンシー関さんが消しゴム版画に使用していたドイツ製の消しゴム)
(当時下赤塚の文房具店にはステッドラーの取り扱いが無く、
ほとんどナンシーさんの為だけに箱単位で仕入れていた)
はそれっきり誰にも買われず、ホコリをかぶってるだろうか。」

という印象的な内容の巻末解説が添えられています。

ちなみに、上記で触れられている「下赤塚の文房具屋さん」とは
下赤塚で現在も営業を続けている老舗文房具店の三光堂の事であり、
ナンシーさんと下赤塚の三光堂文房具店については以下のリンクにて
詳しく解説されています。

(参照URL)
http://d.hatena.ne.jp/kingfish/20140521
(ページ上部にある「愛用のケシゴム」の項で触れられています)




・松原仁(まつばら じん)

民主党所属の衆議院議員、松原仁さんは下赤塚出身です。

1956年東京都板橋区赤塚生まれ。

小学校は越境入学でときわ台の板橋区立常盤台小学校へ入学。
板橋区立赤塚第一中学校卒業。
高校は都立豊島高等学校を卒業。
早稲田大学商学部卒。




・ケイ・グラント

PRIDEやDREAM、Dynamite!!などの格闘技イベントの
リングアナウンサーとして、
また、FMラジオのDJとしても有名なラジオDJのケイ・グラントさんは
下赤塚出身です。

1959年生まれ。

練馬区田柄のご出身。

練馬区立田柄中学校卒業。

高校は日本大学豊山高等学校を卒業。
日本大学文理学部卒。

芸名であるケイ・グラントの「グラント」という名前は、
かつて下赤塚に存在した米軍の家族住宅地
グラントハイツから取って名付けたそうです。

地元である練馬区田柄周辺の光が丘、かつてのグラントハイツについては、
以前ケイさんが車関係のウェブサイトのインタビューで
ご自身で語っていらっしゃいました。

(参照URL)
http://www.enthuno-mori.com/enthu_news/news028/

ちなみに、練馬区田柄に古くから在る「田柄スイミングクラブ」(1971年開業)
はケイさんのお父様が始められたスイミングスクールで、
現在はケイさんの弟さんが経営を引き継いでいます。
ケイさんの弟さんはスイミングスクールの他にも現在下赤塚(練馬区田柄)で、
-串あげ&もつ煮 庄ちゃん-という店名で居酒屋を営んでいらっしゃいます。

-串あげ&もつ煮 庄ちゃん-
〒179-0073 東京都練馬区田柄2-38-27 ビババルサ105号
TEL 03-6794-4000

今も下赤塚(練馬区田柄)在住のケイさんは
ご自身のツイッターやブログでも頻繁に
地元下赤塚・田柄周辺を話題にした記事をupされています。




・弘兼憲史(ひろかね けんし)

「課長島耕作」「人間交差点」「黄昏流星群」などの著作で知られる
漫画家の弘兼憲史さんの作品、「ハロー張りネズミ」は
下赤塚を舞台にした作品になっています。

1980年から1989年までヤングマガジンに連載していた「ハロー張りネズミ」は
下赤塚を舞台にした作品で、物語が下赤塚を中心に動く回も多く、
下赤塚や成増、そして周辺の地域の風景が作品の中に度々出て来ます。

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「ハロー張りネズミ」は1991年に映画化、1996年にTVドラマ化され、
1991年の映画版では下赤塚駅北口そばにある喫茶店 コーヒー ヒュッテが
主人公七瀬五郎が営む探偵事務所の“あかつか探偵事務所”として
劇中で使用されていました。
当時、コーヒー ヒュッテでロケ撮影も行われたそうです。

ハロー張りネズミ
rakuten.co.jp



弘兼さんは以前成増に住まわれており、仕事場も成増にありました。

成増に在住していた当時・成増に仕事場を構えていた当時、
弘兼さんは赤塚にある飲食店にも足繁く通われていました。

下赤塚の中華料理店 芝蘭(ちいらん)は、2002年に弘兼さんが
フライデー誌の記事で同店の四川麻婆豆腐を紹介した事により
一躍有名店となりました。
下赤塚のジョナサンには柴門ふみさんとご夫婦で良く通われていたそうです。
下赤塚の居酒屋などにも通われていたとのこと。




・ヘレン笹野<不確定>

1980年代前半に「心細いな」などの曲を歌い、アイドル歌手として
活動していたタレントのヘレン笹野さんは、かつて下赤塚に在った
米軍の家族住宅地のグラントハイツ(※)で幼少時代を過ごされたそうです。

(※ グラントハイツ=東京都練馬区にかつて1947年(昭和22年)から
1973年(昭和48年)迄の間存在した、アメリカ空軍の家族住宅地。
1973年に日本に返還され、現在は東京都練馬区光が丘の全域
およびその周辺地域となっている。)

1962年生まれ、アメリカ・ミシシッピー州出身のヘレンさんは
アメリカ人のお父様と日本人のお母様を持つ日系のハーフで、
1981年に「キュン!と片想い」という曲で歌手デビューし、
(デビューコンサートは豊島園で開催されたそうです)
1982年にはアニメ『うる星やつら』のエンディングテーマ曲の「心細いな」を
歌って話題となり、ラジオ、テレビ、雑誌、CMなど、幅広く活動されていました。

「うる星やつら 2代目EDテーマ/心細いな」


「ヘレン笹野/心細いな
at うる星やつら10th ANNIVERSARY・イン・武道館(1991年)」



ヘレンさんは現在は母国であるアメリカに帰国し、
本名のHelen Inghamという名前で芸能活動を続けているそうです。




・渡辺えり(旧芸名 渡辺えり子)

映画「Shall We Dance?」でおなじみの女優、渡辺えりさんは、
上京して一番最初に住んだ街が下赤塚だったそうです。

1973年、渡辺さんが18歳の時に故郷の山形県から上京した時に
暮らしていた下赤塚の木造アパートは、下赤塚駅に近い練馬区田柄に
在ったとの事で、渡辺さんは以前出演したTV番組の中で

「風呂無し・トイレ共同・三畳一間のアパートだったけど、毎日が新鮮だった。」

「下赤塚のアパートは風呂無しだったので、
10日間お風呂に入らない事もあった。
色白で肌が綺麗だったから、
お風呂に入らなくてもそれほど汚れが目立たなかった。」

と田柄での生活を振り返り語ってらっしゃいました。

また、渡辺さんは女優を目指し上京した後、池袋西口徒歩7分ほどの場所に
ある舞台芸術学院に入学。
同じ東上線沿線川越出身の市村正親さんも輩出した同校で
演技の勉強をされたそうです。

31歳の時に初めて池袋にある風呂つきの木造アパートに転居する事が出来た
渡辺さんでしたが、当時はまだお金がなく生活が苦しい状態だったそうで、
そんな貧乏時代にアルバイトをさせてもらいお世話になったお店として、
池袋西口ロマンス通りのロサ会館内にて現在も営業を続けている
おでん屋さん やまの名前をテレビ番組に出演された際に挙げていました。

当時、渡辺さんがアルバイト店員として働いていた
池袋のおでん屋さん やまでは、

「「ちくわぶ(250円)」や「魚スジ(250円)」をまかない料理で出してもらい、
お腹を満たしてもらっていた。」

と番組の中で話されていました。
渡辺さんは現在も、2ヶ月に1回のペースで池袋のやまに通っているそうです。

『2015年4月7日 幸せ!ボンビーガールSP 春の2時間SP』
(渡辺さんの上京時のエピソードについては02:05頃から。)



posted by pokochi444 at 05:09 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする