2007年10月07日

和光市出身・ゆかりのある芸能・有名人

・こずえ鈴(現 フリーディア)

タレントのこずえ鈴(現在の芸名はフリーディア)さんは
和光市市内に中学〜高校を卒業する頃まで、御一家で住まわれていました。

1980年ドイツ・シュツットガルト生まれ。

こずえさんは2001年放送の『出没!アド街ック天国』の「成増」の回の時には、
隣町和光市の出身として出演されていました。

和光市での生活は、こずえさん自身がTV番組で当時の事について
語られていました。以下がその時のトーク内容です。



-『笑っていいとも!』テレフォンショッキング(1999年11月25日放送)で----

タモリ(以下略):(ドイツ、どこで生まれたの?)

こずえ鈴(以下略):「ドイツのシュツットガルトです。知ってますか?」

(名前聞いた事有る。)

「そこです。」

(幾つ迄シュツットガルトに居たの?)

「半年位で、すぐブラジルに行って。」

(全然憶えてないんだ、それじゃ?)

「憶えてないです。」

(それですぐブラジル行ったの?)

「はい。」

(ブラジルどこ行ったの?)

「サンパウロです。」

(それで?)

「それでアメリカです。」

(幾つ迄ブラジルに居たの?)

「多分1歳か2歳位じゃないですかね。」

(それもあんまり憶えてない?)

「憶えてないですね。」

(それでアメリカ行ったの?)

「そうです。」

(アメリカどこ行ったの?)

「アメリカ、最初はペンシルベニアの方に行って、
途中でバージニア州行ったんですけど、行った事ある?」

(無い。)

「無い?残念。」

(うん。残念(笑)。)

「(笑)」観客

(それでいつ日本来たんだ?)

「6年前ですよ。6年前。」

(幾つ迄居たんだ?アメリカには。)

「13歳迄です。」

(それじゃ、ええと、日本人はお母さん?)

「お父ちゃん。」

(お父ちゃん日本人?)

「日本人です。」

(お母さん何人なの?)

「ブラジル人です。」

(はぁ〜。何でドイツに居たんだよ?)

「お父さんとお母さんがラブラブになって、
それでドイツにお父さんの仕事で行ったんですよ。」

(あ、ブラジルで知り合って。)

「はい。」

(それじゃ日本語ってのは小っちゃい頃からあんまり聞いてないよね?)

「聞いてないです。日本に来てから。」

(日本に来て、6年前に初めて日本語分かったの?)

「そうです!」

(大変だ〜。6年前、ええと、幾つの時だっけ?)

「13歳ですね。」

(13で日本に来たんだ。)

「そうです。」

(はぁ〜!どういう感じだった?いきなり東京来たの?)

「埼玉。」

「(笑)」観客

(シュツットガルト、サンパウロ、ペンシルバニア、)

「はい。」

(それから?)

「バージニア。」

(バージニア、埼玉。)

「埼玉。」

「(笑)」観客

「すいません。」

(埼玉のどこ?)

「埼玉、和光市。」

(和光市。)

「すいません。」

(ちょっと英語風だよね、和光ってのね。)

「(笑)」観客

「和光市です。」

(和光市に突然初めて日本に来たんだな。)

「そうです。」

(それで?学校は普通の学校行ったの?)

「普通の和光三中に。」

(和光三中。)

「(笑)」観客

「すいません。」

(バージニアは二中?どこだったのバージニア。)

「バージニア、あの、(英語)スクールってのがあって。」

(そこから、和光三中。)

「(笑)」観客

(戸惑ったろう?なぁ?)

「大変でした。」

(大変だったろう?)

「はい。」

(和光三中は良いけども、和光三中は、全員英語喋らないよね?)

「喋れないんですよ。でも、」

(どうした?学校行くのに。分からないでしょ。
喋れなかったら学校、三中行った時に。)

「だから聞いて無かった。」

(何にも聞いてなかった?)

「ただ黒板に書いてある物を書いたりして。」

(友達とか出来ないだろう?)

「出来なかったよ。寂しかったよタモさん。」

(そうか・・・)

「(笑)」観客

(早く言ってくれればな。(笑))

「大変でした。」

(誰と遊んでたんだよ?)

「う〜ん、弟と一緒に遊んだりしました。」

(そう?)

「はい。」

(それで、でも、3年間行った、
じゃあ1年間くらい全く日本語分かんないだろう?)

「全く分かんないです。」

(6年でよく普通になったな。)

「テレビとか観ると分かる様になりますよ。」

(逆だ。日本に来てテレビ何観てたの?)

「何観てたんだろう?あの、志村けんさんのギャグとか。」

「(笑)」観客

「アイーンとか。」

(あれ日本語の勉強にはなんないだろう?)

「(笑)」観客

「でも、」

(志村けん観てたら日本語になんねえだろう?)

「結構あれ勉強なりますよホントに。」

(志村けんの?)

「はい。加トちゃんペッとか。」

(それで何となくテレビ観てたら面白かったの?)

「はい、そうです。」

(日本のテレビ面白いもんな。)

「面白い。面白い。面白いですね。」

(日本の。)

「そうですね。」

(何言ってるんだよ。)

「(笑)」観客

(日本のテレビは今世界で一番面白いらしいからね。)

「面白い。大好きです。」

(こんな色んな番組無いらしいから。)

(それで1年くらいでようやく喋られる様になったの?)

「そうです。」

(へぇ〜。『いいとも』とか、そうかお昼だからな。)

「でも観てました。」

(観てた?)

「有難うございます。」

(何で?)

「(笑)」観客

(あ、日本語を色々。)

「はい。」

(で、高校は普通の高校?)

「普通のはい、和光高校。」

(和光高校。)

「(笑)」観客

「(笑)すいません。」

(和光三中、和光高校。)

「和光高校です。」

(その頃はもう大丈夫だった?日本語。)

「もう全然、ペラペラバリバリ。」

(じゃぁあれ?ブラジルってポルトガル語だっけ?)

「ポルトガル語はヒアリング大丈夫なんですけど、」

(喋るのは。)

「喋らないんです、はい。」

(家ではお父さんお母さん何語で喋ってるの?)

「英語です。」

(お母さん、でもブラジルだからブラジルの音楽とか何とか聞いてない?)

「聞いてます。そしたらお母さん燃えるのサンバ踊り始めるの。」

(楽しい家庭だね、サンバ。)

「楽しいですよ。」

(あんまりお母さんがサンバ踊る家庭ってのは、和光で一軒だけだったろう?)

「(笑)」観客

「そうかもしれない!そうだ、そうですね。」

(弟がいる、弟幾つなの?)

「弟(モデル、土屋アンナの元夫のJOSHUA)16歳です、はい今。」

(へぇ〜、そう?可愛い?やっぱり。)

「ん〜・・・」

(顔そんなに可愛く無いの?)

「いまいち。」

(いまいちなの?)

「はい、よく分かんないですね。」

(そう?)

「はい。」

(でも姉がこんな可愛いんだからね、弟も可愛いと思う。)

「いや〜。」

(顔小っちゃいな〜。)

「(笑)」観客

(俺のグーと同じくらいじゃないか?)

「そう。」

(小っちゃいよね。)

「小っちゃい」観客

「タモリさんも私のグーと同じくらい。」

(いや、そんな事はない。)

「(笑)」観客

(そんな事はない。)

「(笑)」観客

(小っちゃいな〜この位だもんね。)

「いや〜、違います。」

(顔洗う時なんかこぼさないで良いだろう?)

「(笑)」観客

「(笑)」

(幾つになったんだ?それで。)

「19歳です!もうすぐ二十歳。」

(来年二十歳になるんだ。)

「大人でしょ。」

(大人になったよな〜。)

「大人ですもうすぐ。」

(もう日本にずっと居るのか?)

「ずっと居ます。はいタモリさんの近くに居ます。」

(そうか。(笑))

「(笑)」観客

(やっぱり良いか?日本が。)

「日本良いですね、何でも有りますし、何か。」

(そうだよな。)

「大好きです、はい。」

(食べ物だって世界中の美味い物東京に居れば食べられるもんな。)

「ああ、そうですよね。」

(ブラジル料理だって食べられるでしょ。)

「あります、はい。」

(お母さんたまに行ってるの?)

「お母さん今日本に居ないんですけど。はい。」

(日本にいない。)

「はい。」

(今でも和光?)

「いや、今はもう東京です。東京。」

(東京か。)

「嬉しい。「どこに住んでるの?」「東京。」(笑)」

「(笑)」観客




-『徹子の部屋』(2002年5月1日放送)で----

黒柳徹子(以下略):≪それで日本にいらして。
お父様って全然日本語が上手じゃないって本当なの?
お父様は日本の方ですよ。なのに全然日本語が上手じゃないんですって。≫

こずえ鈴(以下略):「そうです。ちょっと英語訛りが入っていて。」

≪お母さんがブラジルの方だそうですけども。
弟さん(モデル、土屋アンナの元夫のJOSHUA)がいらっしゃって。≫

「はい。」

≪私凄いと思ったのは日本の公立中学・高校にいらしたのが、
今のあなたの日本語に随分影響を与えていると思いますね。≫

「たぶんそうでしょうね。」

≪来たときは全然出来なかったんでしょう?≫

「“こんにちは”、“ありがとう”、ぐらいですね。」

≪お父様とはいつも英語で話して。≫

「そうです。」

≪お父様は何事も突然なんですって?何かスイスに行った時も。≫

「スイスに居た時も突然スキーやりたいって言って。いきなり山の上に上って。」

≪あなたも準備がねえ。≫

「スキーやる時はいろいろ必要じゃないですか。ウェアとか板とか。
でもそんなの要らないって言って。」

≪(スキーウェアなどを)向こうで借りたりとかして。≫

「いや普通の服でコートだけを着て板だけは借りて。
で、お父さんだけスイスイどこかに行っちゃったんですよ。
鈴ちゃんは泣きながらずっと待ってました。(会場笑)」

≪日本に9年前に行く時も前から行くぞ行くぞというのじゃなくて。≫

「じゃなくて何週間前に「行くから」って。」

≪それも一人言の様だったんですって?≫

「はい。」

≪「行くから〜」見たいな感じで。≫

「そうです最近も電話が掛かってきて、「今渋谷」とか言って。(会場笑)」

≪お父様今までアメリカにいらしたんでしょ。≫

「そうなんです。」

≪じゃあ突然は驚かないですね。≫

「うん・・・たまに驚きます。」

≪いつも科学の事を考えてらっしゃるから、
そんなスケジュールの事とかは考えてらっしゃらないんですね。≫

「やりたい事はやっちゃうみたいな。」

≪いつも科学の事が頭にあるんじゃないですか。≫

「そんな感じがします。いつも勉強してます。」

≪私今キューリー夫人の舞台をやっているんですけども、
いつも科学の事を考えてますね。
だけどいきなり日本に行くぞと言われた時は小さくて。
学校はどの辺だったんですか?≫

「和光三中です。」

≪イヤイヤそうじゃなくて何年生ぐらいだったんですか?≫

「中2です。」

≪でも弟さんもいらして弟さんは小さかったんでしょう?≫

「小学校5年生ぐらいです。」

≪いきなり日本に行く事になってあなたはアメリカのお友達と別れて。≫

「そうです。辛かったです。」

≪そうなんですって。ずっと泣いて飛行機の中でも泣いてたんですって?≫

「本当に突然だったんでバイバイもちゃんと言えなかったんで。」

≪で、お父様が行くぞっていう事になって日本の学校に編入して、
全然日本語出来ないんでしょ?≫

「そうです。」

≪あなたは日本語も出来ないから嫌だなって思ってたんですけども、
弟さんは小さいからすぐに馴染んだんですって?≫

「小学生は英語を習っていないからみんな日本語で「あそぼうよ」とか、
「僕の名前は何々」とか言うじゃないですか。
でも中学生は(英語を習っているから)「My Name is」とか、「This is a pen」
とか言うじゃないですか。だからみんな鈴ちゃんに試すんですよ。
「This is a pen」とか言ってきて、
「(困った感じの口調で)分かってるー」みたいな。(黒柳笑)
「This is a pen(これはペンです)」と何回も言われても
それ以上答え様が無くて困った。」

≪「This is a pen」って言われても。(笑)≫

「分かてるんですけども。」

≪弟さんの場合は向こうは日本語で言うしかないし、
どんどん日本語に馴染んでいくけど
あなたは「What your name?」と言ってくる訳?大変ですね。≫

「大変ですよ。しかも教科書風に言わないと向こうは分からないんで、
「(日本語発音で)マイネイムイズ」みたいな。」

≪それもあなたには良くは分からなかったでしょうね。≫

「分からなかったですね。」

≪英語というものは切れ切れに言うものじゃなくて、
ズルズルズルとくっついて言うのが正しいんですって。≫

「そうです。」

≪私向こうに行った時にスピーチ習いに行った時に言われました。
どうも東洋人は語尾を切ると。言う時は続けて言って下さいって。≫

「そうそうそう。」

≪随分いじめにも遭ったんですって。≫

「そうですね。見た目が外国風なんで目が大きくて。
まばたきしてみろよとか言われたりして。
頭にきて英語でバカーみたいな事言ったら向こうへ行っちゃたんですけども。」

≪それでいじめられる子はどうしたらいいかって。
自分で対処したんですって?≫

「そういじめる方も悪いと思うんですけども、
いじめる方もすごい自分に自身が無いと思うんですよ。
何かひとつだけ出来たら全然いじめられないと思うんですよ。
勉強出来たら「あの子頭良いよね」とか、スポーツ出来たら「あの子凄いよね」
とか、言われるじゃないですか。」

≪あなたは何を?≫

「鈴ちゃんは明るく行こうと思って日本語覚えたのを全部喋って、
毎日明るくしたら人が集まってきて友達もすぐに出来ましたね。」

≪ちょっとやったら変わるものですね。≫

「そうこんなに変わるもんだねって。」

≪でも自分から明るくして行くっていうのは大変だったでしょ?≫

「はい。でもいいやってやっちゃえって。」

≪でも話し掛けても相手が話し掛けてくれなくて、随分待って、
「話し掛けてくれるかな」って。そこの所は随分待ったんですって?≫

「そうなかなか話し掛けてくれなくて。でもその間に自分を変えなくちゃと思って、
眼鏡だったのをコンタクトレンズにかえて。」

≪眼鏡だったの。≫

「歯の矯正もしてたのをとって。」

≪あの頃はまだ日本の子は歯の矯正なんかしてないから
何でハリガネ見たいのを入れてんだって。≫

「言われたり。取ったらまた明るくなって、バーッと行ったら来ましたね。」

≪いじめられてる人には自分の方からある程度行かないとダメっていうのが
あなたの(アドバイス)。≫

「うん。自信を持って下さい。」

≪でも明るく話し掛けても全員がすぐに話し掛けてくれた訳じゃないでしょ?≫

「でも毎日毎日話し掛けないと。」

≪相当がんばらないとね。≫

「がんばりましたね。」

≪今伺ってるだけでも涙が出そうになって、相当涙ぐましいんですけども、
それをやる事によって、(中学を卒業して)次の高校に行った時は。≫

「もうファーーって。本当に楽しかったですよ。」

≪修学旅行も行ったんですってね。≫

「中学は京都に(行きました)。高校は北海道に行きました。」

≪アメリカでは中学の時とかは校則は無かったんですって?≫

「無いんです。自由で。
ご飯食べる時もカフェテリアなんで自由に自分の好きな物を食べれるんで。」

≪あと頭の髪を縛るゴムは何色って決まってる。≫

「ああ!あれは何でなんですかね?」

≪それは目立たない様にじゃないですかね。≫

「そうなんですか。」

≪ゴムは黒に決まっていた。それとブルマも嫌だった。≫

「ブルマは嫌ですよ。パンツと変わらないじゃないですか。
あれは恥ずかしかったですよ。」

≪アメリカはブルマ見たいのは履かないの?≫

「ないです。自分の普段着に着替えて。」

≪自分の持ってきた短パンに着替えて。
私なんかもそうだったんですけどもスカートのヒダが幾つってすっかり
決まってんですよ。それをちょっとでも多くしたいと思うのね。
別に多くしたから良い訳じゃないんだけど。≫

「フフ(笑)」

≪スカートの丈も決まってたでしょ?≫

「決まってました。」

≪靴下も黒で長さは、とか決まってて。≫

「はい。靴下も黒で凄く短い。凄く短い。」

≪校則が馴染めなかった。≫

「苦手でしたね。」

≪そうですか。でも今は慣れてテレビや何かでは活躍されていて。
でもそこまで来るのが大変でしたね。
今振り返ってみてどうでしたか中学高校時代は?≫

「中学は慣れなかった事が一杯有ったんですけども、
高校は本当に明るく楽しく出来たんで本当に良かった。」

≪自分で明るくした事が良かったですね。≫

「それが良かったですね変身した事。」

≪高校の時は言葉はもう出来て。≫

「中学3年の時に言葉は出来てたんで。」

≪私凄いなと思うのは、
英語の訛りの無いお友達と話している様な日本語ですものね。≫

「でもたまに変になったりしますよ。マネージャーさんにそれ違うよとか。」

≪鈴ちゃんのファッションですけども、ファッションには関心があるでしょ。≫

「大好きです。」

≪若い人は鈴ちゃんは何を着るんだろうって
とても関心持ってるそうですけども。≫

「そうなんですか?」

≪そうなんですよ。モデルをやってらっしゃるんですけども原宿とか歩いてると
一日で何枚も名刺が集まっちゃうんですって?≫

「たまにゲームみたいに友達と今日は何枚貰えるのかなって言って。」

≪凄いわね。≫

「その時はちょっと調子に乗ってましたね。(笑)」

≪これだけ可愛らしいとそうだと思うんですけどもね。
スカウトの人から名刺を貰うと家に帰って今日は何枚名刺貰ったって。≫

「その中でちょっと気に入ったのがあると面接受けに行ってたり
してたんですけども、
鈴ちゃんのやりたい事全然聞いてくれなかったんでダメだって思って。」

≪そういうのアメリカでお育ちという事もあるんですけども、
全部自分で決めて自分で選んで。
それでモデルをやって雑誌の表紙なんかに出たりしてとっても可愛いんですよ。
“裏原宿スタイル”というのが当時新しくて。≫

(雑誌登場)

「これは事務所に入る前なんですよ。」

≪次に“QUES”という雑誌の表紙になってこれは事務所に入ってから。≫

「いや入る前ですね。
これも知り合いのカメラマンに撮って戴いて只の作品だったんですけども、
そのカメラマンがどっかの雑誌に持って行ったら、使って戴いて。
でもその頃は事務所に入っていて。
よく分からないんですけども昔の写真を最近使ったんですよ。」

≪目標は女優さんだったんですって?≫

「“マイガール”という映画を見てちょうど同じ歳の子供達が出てたんで
羨ましくて、この人達が出来るんだったら鈴ちゃん出来るでしょって思って。
高校の時にこういうお仕事をし始めたんで諦めずにやってみようかなって。」

≪本当に可愛らしいから何でも言えばやってくれるかと思えばとんでもない。
あなたはこれがやりたい、これは嫌、とはっきりしてらっしゃるから。≫

「はい。」

≪今の事務所に入るまでに随分色々な所の面接を受けて
ここは確実という所を自分で探して。≫

「そうです。」

≪自分のやりたい仕事をやってくれそうだと思って。≫

「そうです。履歴書送って。」

≪やっぱり不安は有ったでしょ?≫

「ありますね。」

≪今度曲をお出しになるそうで。私はビデオ見てないんですけども、
バンドを作ったそうで。歌も歌いたかったの?≫

「はい。音楽が大好きなんですよ。」




・清水かつら

童謡「雀の学校」「叱られて」「靴が鳴る」「緑のそよ風」などの童謡の詩を
作詞した、詩人・童謡詩人の清水かつらさんは和光市に住まわれていました。

<略歴>
本名は清水桂。
1898年(明治31年)に東京市深川区(現在の東京都江東区深川)に
生まれる。
4歳で生母と父が離縁。12歳の時に
埼玉県北足立郡新倉村(現在の埼玉県和光市新倉)出身の継母を迎え、
東京市本郷区(現在の東京都文京区本郷)に住み、父と継母に育てられた。

予科修了後、青年会館英語学校に進学し、
1916年(大正5年)、出版社の中西屋書店出版部へ入社。
中西屋書店は少年・少女向けの雑誌を刊行する為、小学新報社を創設し、
かつらは少女雑誌「少女号」や「幼女号」、「小学画報」を編集した。
編集の傍ら童謡の作詞を始め、この間、
「靴が鳴る」「叱られて」「あした」「雀の学校」などの作品を発表。

1923年(大正12年)の関東大震災により、継母の出身地の
埼玉県北足立郡新倉村(現在の埼玉県和光市新倉)に移り、
ここで生涯を送った。
後に新倉村から白子村へ転居。
白子村に住み、東上線の成増駅から出版社やレコード会社へ通勤していた。

戦後の1946年(昭和21年)には「緑のそよ風」を発表。
同曲は戦後の新時代を象徴する明るい曲として人気を博した。

1951年(昭和26年)7月4日に、
「酒が飲めなくなったら終りだ」とつぶやいて、享年53歳で永眠。
墓所は文京区本駒込の吉祥寺。


現在、和光市内には和光市駅南口駅前広場にある
清水かつら記念碑をはじめ、数々の清水かつらさんに縁があった場所
プレートや記念碑が立てられています。


posted by pokochi444 at 05:12 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする