2007年10月07日

成増出身・ゆかりのある芸能・有名人 -石橋貴明さんについて-

・石橋貴明

とんねるずの石橋貴明さんは成増出身の芸能人として有名です。

1961年、東京都葛飾区に生まれ、
化成会社(石橋化成)を営むお父様のもとで裕福な暮らしを送るも、
石橋さんが幼稚園の時にお父様の会社が倒産し、板橋区小豆沢へ転居。
その後間もなく成増のアパートに引っ越し、19歳まで
成増で暮らされていました。

北区浮間幼稚園中退(※)。
1968年 板橋区立志村第四小学校入学。
1970年 小学校3年生の時に板橋区立成増小学校へ転校。1973年度卒業。
1974年 板橋区立赤塚第二中学校入学。1976年度卒業
1977年 帝京大学系属帝京高等学校(帝京高校)入学。1979年度卒業。

(※ 当時石橋さんは板橋区小豆沢に住んでいましたが、
石橋さんのお母様が石橋さんが板橋区のガラの悪い子供達に
影響されないようにする為、当時評判の良かった北区の浮間幼稚園に
バスで越境通園させていたそうです。
しかしその浮間幼稚園でいじめに遭い、幼稚園を「中退した。」と
石橋さんが以前TV番組で語られていました。)

東上線沿線の住人の方以外にも石橋さんが成増出身という事は
全国的に有名かと思います。

(とんねるずのデビューアルバム「成増」をはじめ、
1985年発売のとんねるず自著「天狗のホルマリン漬け」などに
エピソード多数)

(古館伊知郎さんとのトーク番組『第4学区』などでも有名)

ですので、ここでは石橋さんがTV番組等で繰り広げる東上線トーク、特に、
東上線出身の芸能人に絡んでいるトークについて挙げていきたいと思います。



---稲垣吾郎とのトークで---(『うたばん』)

稲垣吾郎:「あ、僕、あれなんですよ。高島平なんですよ。実家。」

石橋   :「あ〜!そうかい!高島平は昔なあ、大砲撃ってたんだぞあそこ!
あれは明治だか何かの江戸時代は大砲撃ってたんだよ。」

稲垣吾郎:「あ、そうなんですか!」

石橋   :「うん。んで、高島平の団地が出来る前に、
俺、小豆沢に居たから。」

稲垣吾郎:「え、小豆沢なんですか!(と石橋さんを指差す)」

石橋   :「そうだよ。志村スポーツセンター(※)の・・・
(と稲垣さんを指差す)」

稲垣吾郎:「え、僕行ってましたよ!(志村スポーツセンターに)」

石橋   :「俺行ってたよ〜!志村スポーツセンタ〜!!」

(ここで石橋さんと稲垣さんが席を立ち上がり、見つめ合いながら
ガッチリと握手を交わす。)

稲垣吾郎:「(石橋さんと板橋話で盛り上がっている事で、
SMAPのメンバーに向かって)ちょっとローカル過ぎたかな。」

稲垣吾郎:「大山ハッピーロードとか。」

石橋   :「大山、あそこはよく万引き(※)したね。俺は。」

石橋   :「あ〜高島平の。(出身なんだ)」

稲垣吾郎:「そうなんですよ。
だからもう成増なんてもうしょっちゅう(行っていたん)ですよ。」

(※ 志村スポーツセンター=板橋区志村にかつて存ったアイススケート場。)

(※ 大山で万引き=石橋さんは1999年と2000年に放送されたTV番組
『第4学区』の中では「大山は映画を観る為に降りた位。」
と話されていたので、おそらくネタであると思われます。)

『2000年10月22日 うたばん SMAPスペシャル (一部のみ)』
(1996年10月15日のうたばんSMAP初出演の回で板橋話をする
石橋さんと稲垣さんは0:35頃から。)





---稲垣吾郎&スマップとのトークで---(『うたばん』)

木村拓哉:「吾郎ってなんかあれですよ。
わかるでしょ?ね?何かむかつくじゃないですか。」

稲垣吾郎:「え?何で?何が?」

(ここで稲垣さんがわざとらしく人差し指を額に持っていき
田村正和さんがやるようなポーズをとる。)

木村拓哉:「ね?あれ見てくださいよ?むかつくでしょ?」

稲垣吾郎:「いやこれ自然にでちゃうんだよね。自然に。」

石橋   :「おめ 高島平の団地っ子が何言ってんだよ。」

稲垣吾郎:「いいじゃないですか団地。
近所なんですから仲良くしてくださいよ。」

石橋   :「うっせー 
成増と高島平のガキはちょっと性質が違うんだよ。」




---稲垣吾郎&スマップとのトークで---(『ビストロSMAP』)

稲垣吾郎:「僕あの、地元が板橋区なんですよ。」

石橋   :「(稲垣を指差しながら)そう! 板橋区なのよ!」

稲垣吾郎:「そうなんです。だから凄くこう地元愛と言うかですね、
「(とんねるずの石橋貴明が)こっから出てきたんだ。」みたいな感じで
みんな言ってたんですよ学校とかで。」

木村拓哉:「というかね、あの、ウチの吾郎はホントに一時期、
メンバーがみんなで(高島平の)吾郎の家行ったりした事もあって、
そん時にやったらすんげえ胸張って言うのが、
「ああ僕ん家ね、とんねるずの地元なんだよ。」
ってそれで凄い胸張って歩いてんですよ。」

稲垣吾郎:「そうですよ。」

中居正広:「でも当時僕なんか、「すげえ!」って言ってましたけども。」

石橋   :「高島平、まあ成増近いですからねえ。」

稲垣吾郎:「そうなんですよ。」

石橋   :「吾郎ちゃんもねえ、立派になられてもう。」

『2010年4月26日 ビストロSMAP』
(地元が板橋区のくだりは26:46頃から。)





---柴咲コウとのトークで---(『みなさんのおかげでした』)

柴咲コウ :「ロサ会館(池袋西口)でよく学校帰りとか遊んでて。」

石橋   :「ああヤンキー?だったっしょ?」

柴咲コウ :「ええ〜 違いますよ。」

石橋   :「いやまたまた、俺らの頃はロサとかあっこら辺でカツアゲされた奴
よく居たもんな。」




---柴咲コウとのトークで---(『みなさんのおかげでした』)

(柴咲さんが出演した映画「日本沈没」の話をする。)

柴咲コウ :「(映画「日本沈没」が)出来上がった映像を見たら渋谷の街とかも
「ズドーン」て(崩壊していて)。」

石橋   :「じゃあ当然の様に池袋のロサ会館前も、「べシャッ」と?」

木梨憲武 :「(映画の中に)池袋は映っていないんじゃない?ねえ?」

柴咲コウ :「ねえ。(手を振って否定しながら)(池袋は映画の中に)
映ってない、映っていなかった。(笑)」

rosa sibasaki1.jpg

『2006年7月20日 とんねるずのみなさんのおかげでした
食わず嫌い王決定戦 柴咲コウvs阿部寛』
(ロサ会館のくだりは03:16頃から。)





---菅野美穂とのトークで---(『みなさんのおかげでした』)

(石橋さんがおみやげにちなみ成増や東上線の話をする。)

菅野美穂:「(自分を指差しながら)私東上線出身なんです。あの・・・若葉。」

石橋   :「うん。ああ、そうなの?そうなんだ〜。若葉ね。」

石橋   :「森林公園より(※)だよね?」

(※ 〜駅より前=古くからの東上線ユーザーが、
その駅が池袋寄りか寄居寄りかを話す時に使うローカル表現。
池袋寄りの場合は「前」、寄居寄りの場合は「後ろ」となる。)




---おぎやはぎとのトークで---(『うたばん』)

石橋   :「(矢作と小木を指差して)お前どこだよ。」

矢作   :「俺は池袋ですよ。」

小木   :「俺は板橋区ですよ。」

石橋   :「板橋どこだよ。」

小木   :「ときわ台ですよ。」

石橋   :「いいとこじゃねえかよ・・・。」

石橋   :「(おぎやはぎの隣りに突然並んで)池袋、ときわ台、成増。」

石橋&
おぎやはぎ:「東武東上線。」

石橋   :「ときわ台はね、池袋と成増の間ぐらいなの。」

小木   :「丁度ど真ん中。」

スマップ中居:「わかんない。わかんない。わからない!」

石橋&
おぎやはぎ:「成増下赤塚東武練馬上板橋
ときわ台中板橋大山下板橋北池袋
池袋。」

スマップ中居:「知らねえよ!!何が気持ちいいんだよ!
駅名言って何が楽しいんだよ!!」

『2006年3月9日 うたばん』
(東上線のくだりは20:50頃から。)

(削除防止の為に韓国語字幕が入っています)




---おぎやはぎとのトークで---(『みなさんのおかげでした』)

石橋   :「こないだ三軒茶屋のデニーズで、朝、
ばったりおぎやはぎに会っちゃって。」

おぎやはぎ:「あ この間有難うございました。」

石橋   :「いや何が凄いって彼らは何てったって東上線出身ですから。」

おぎやはぎ:「そうなんですよね〜 盛り上がりましたよね。
4時間くらい喋ってました?」

石橋   :「そんぐらい喋ってたな。いやだって面白えんだもん。おぎやはぎ。」




---若槻千夏とのトークで---(『うたばん』)

(若槻さんの事を呼ぶ時)

石橋   :「森林公園!」「森林!」

『2007年4月5日 うたばん』
(若槻さんの事を「森林公園」と呼ぶ石橋さんは48:30頃から。)

(削除防止の為に韓国語字幕が入っています)




---尾崎豊---(『うたばん』)

石橋   :「俺、尾崎豊と飲んだ事あるよ。」

勝俣   :「何、話すんですか?尾崎君と。」

石橋   :「東上線の、俺成増じゃん。(尾崎君が)下赤塚なんですよ。
池袋が一番近い繁華街なの。
そこに、東上線は「ぶらんで〜と東武」って東武デパートの屋上が、
スゴく当時(石橋さんと尾崎さんが子供時代の当時)面白かったの。
変なこう、木が有って、そこがジャングルジムみたいになってんの。
それが凄い楽しかったの。で、

(石橋)「(池袋の東武デパートの屋上のジャングルジムに)行った事ある?
尾崎?」

(尾崎)「ありますよ、あん中(ジャングルジムの中)でしょう〜?!
スッゲー楽しいすよね〜!」

みたいな。」

勝俣   :「尾崎そんなにはしゃぐんですか?」

石橋   :「はい。」

『2010年1月19日 うたばん
(尾崎さんとの思い出について語る石橋さんの部分のみ)』


他にも、番組上では無いのですが、下赤塚・春日町出身だった尾崎さんは
石橋さんに自分がグラントハイツ・下赤塚周辺で遊んでいた事を話し、
石橋さんもグラントハイツには良く行った事等、
東上線トークで盛り上がったそうです。

(※ グラントハイツ=東京都練馬区にかつて1947年(昭和22年)から
1973年(昭和48年)迄の間存在した、アメリカ空軍の家族住宅地。
1973年に日本に返還され、現在は東京都練馬区光が丘の全域
およびその周辺地域となっている。)




---尾崎豊---(『ヨルタモリ』)

石橋   :「板橋区は、東上線はですね、僕が成増、下赤塚に尾崎豊、
東武練馬に山下達郎さん、この“3大歌手”が並んだ所なんですよ。」

タモリ   :「3大歌手。(笑)」

タモリ   :「尾崎豊が下赤塚ってイメージが無いねえ。意外だ。」

石橋   :「下赤塚なんですよ。で、引っ越して朝霞か何か行っちゃった。」

石橋   :「で、もうちっちゃい時、僕達東上線の子は、東上線がそのまま
池袋に行くから、「ぶらんで〜と東武」って、東武デパートが「ぶらんで〜と東武」
って呼ばれていた時、そこの屋上のこういう木のジャングルジムで遊ぶのが
すっごい東上線沿線の子供達にとってはちょっとした一番の喜びみたいな時が
あったんですよ。」

石橋   :「で、一回だけ僕、尾崎豊君に会った事があるんですよ。
大人になってから。
で、カッコ良くて尾崎君が。「カッケ〜なあ。尾崎豊はやっぱりカッケ〜わ。」
って。
で、(石橋さんが尾崎さんに)「下赤塚なんでしょ?」って。
で、(尾崎さんが石橋さんに)「貴さん、成増なんでしょ?」って。」

宮沢りえ :「あっ、(石橋さんが成増出身という事を尾崎さんが)
知ってたんだ〜。」

石橋   :「「(子供の時に)東武のデパートの屋上の木のジャングルジムで
遊んだ事ある?」って聞いて、「(尾崎さんが)もちろんです!」って。
すっげー盛り上がっちゃった。」

石橋   :「で、「(尾崎さんと握手をしながら)頑張ろうな!東上線同士で!」
って。
歴史的なこの、大物歌手同士の握手(が実現したという)。(笑)」

『2015年4月26日 ヨルタモリ』
(尾崎さんとの思い出について語る石橋さんは19:25頃から。)





---宮沢りえ---(『ヨルタモリ』)

石橋   :「りえは練馬区でしょ?」

宮沢りえ :「あたし練馬区です。大泉学園。」

タモリ   :「ああ、(成増の)近くだ。大泉学園。うん。」

石橋   :「練馬区はでも、りえの(地元の)辺りは凄い綺麗な子が
沢山居るんですよ。」

タモリ   :「大泉学園。」

宮沢りえ :「(観月)ありさちゃん(※)も。」

石橋   :「(観月)ありさもそうだよね。観月ありさも。」

宮沢りえ :「そう、そうなんです。」

能町みね子:「上戸彩さん(※)もこないだ来た時、練馬?でしたっけ。
言ってましたよね。」

タモリ   :「団地(出身)だって言ってたね。」

(※ 観月ありささんは練馬区大泉学園町出身)
(※ 上戸彩さんは練馬区光が丘出身)

『2015年4月26日 ヨルタモリ』
(練馬区の大泉学園周辺について話す石橋さんは19:05頃から。)





---Tinaとのトークで---(『うたばん』)

歌手のTinaさんが『うたばん』に出演した際に大山出身である事を話し、
石橋さんも
「大山は東上線の中でいちばん大きい商店街がある。」
「何でも揃う。」
等、大山の話をしていたようです。




---ラジオでのトークで---(『とんねるずのオールナイトニッポン』)

石橋さんは以前、ラジオ『とんねるずのオールナイトニッポン』で、

「東武東上線は“ミュージシャンライン”なんだよ。
東武練馬が山下達郎さん、
下赤塚が尾崎豊くん、
そして成増がオレ。(笑)」

と話していました。




---山下達郎とのトークで---(『とんねるずのオールナイトニッポン』)

(石橋さんが東武練馬の話をする。)

石橋   :「東武練馬ってのはもう池袋を背にして行くと、
右っ側(北側)が崖みたいになってんですよね。」

山下達郎:「そう! そうなんですよね。
(あそこら辺は)志村高校がありますね。大東文化大学がありますね。」




---山下達郎とのトークで---(『とんねるずのオールナイトニッポン』)

(山下さんが池袋駅構内東口地下に在った「スナックランド」の話をする。)

山下達郎:「あそこに100円のカレーがあってね。
100円で食べられる立ち食いのカレーがあったでしょ。」

石橋   :「あっ、あそこ、あと、サラダうどんって食べた事ありますか?」

山下達郎:「そうそうそうそう。(笑)」

石橋   :「あっ!(笑) サラダうどん食べてましたか!(笑)」

山下達郎:「他人の感じがしませんね。(笑)
何か初めて会った気がしませんね今日は。(笑)」

石橋   :「(スナックランドで)チーズドック食べた事あります?」

山下達郎:「ありますあります。(笑)」

石橋   :「これが! 蜂蜜かけて。」

山下達郎:「ありましたね〜。」

(※ スナックランド=1997年まで池袋駅構内東口地下に存在した
立ち食い専門の飲食エリア。)

『1991年 とんねるずのオールナイトニッポン ゲスト:山下達郎
(東上線や池袋についてのトークをされる山下さんと石橋さんの部分のみ)』





---太田光との絡みで---(『笑っていいとも!』)

(石橋さんがユニット“矢島美容室”で乱入。)

タモリ   :「静岡の磐田から来たの?」

石橋   :「ノー。ネバダ。」

太田光  :「えー?成増でしょ?」

石橋   :「ノー!ノー!東武東上線ノー!!」

『2008年10月29日 笑っていいとも! (太田さんと絡む石橋さんの部分のみ)』
(太田さんと絡む石橋さんは3:26頃から。)




---太田光とのトークで---(『みなさんのおかげでした』)

(石橋さんが苺を食べる時は牛乳と砂糖を入れるという話をする。)

石橋   :「俺は潰して砂糖ちょっと入れて、牛乳。」

太田光  :「う〜わ貧乏人。貧乏人だ。(笑) 
果実だけの甘さでイケるのが上流の・・・
貧乏なヤツはすぐ砂糖だとか何とか、甘い物が良い物だと思ってるから。」

石橋   :「東上線の「奥」に言われたくないわ。(笑)」

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『2005年4月28日 とんねるずのみなさんのおかげでした
食わず嫌い王決定戦 木村佳乃vs爆笑問題』
(東上線のくだりは9:07頃と39:28頃から。)




〔※〕
(稲垣吾郎さんは板橋区高島平のご出身
(最寄り駅は都営三田線「高島平駅」)で東上線には直接の関係は
ありませんが、石橋さんと絡む時は良く
「板橋区なんですから。」「近所でしょう。」等、
東上線沿線出身の石橋さんに親近感のあるトークをする事も多いので、
少し解釈を拡げさせて頂いて掲載しました。)

(・稲垣吾郎 1973年生まれ 東京都板橋区高島平出身。
板橋区立高島幼稚園卒園。
板橋区立高島第二小学校、板橋区立高島第三中学校卒業。
高校は堀越高等学校を卒業。)

〔※〕
(宮沢りえさんは練馬区大泉学園町のご出身
(最寄り駅は西武池袋線「大泉学園駅」)で東上線には直接の関係は
ありませんが、大泉学園町の北側の一部は東上線の和光市駅もしくは
成増駅が最寄り駅となる地域もある事から、
少し解釈を拡げさせて頂いて掲載しました。)

(・宮沢りえ 1973年生まれ 東京都練馬区大泉学園町出身。
練馬区立大泉学園緑小学校、練馬区立大泉学園中学校卒業。)





また、石橋さんは2007年4月放送の『ぴったんこカン・カン』では
池袋駅西口前にある中華料理店の東明飯店(当時の店名は「東明大飯店」)を
訪れ、高校3年生の時にそのお店でアルバイトをしていた頃の思い出を語り、
その後は池袋駅北口出口近くの東武デパート地下1階の通路、
かつて「36面」と呼ばれた(現在は液晶になり「12面」)テレビモニターが36台
設置されていた場所を訪れ、
デートの待ち合わせをした思い出を語られていました。
「36面」は2007年の放送時点ですでにテレビモニターの数は
36面では無かったのですが、
石橋さんが「36面」「36面」と呼んでいたのが印象的でした。

そして池袋駅メトロポリタン口から20数年ぶりに東武東上線に乗り、
おぎやはぎと共に中板橋駅で下車した際には、

「電車が混んでる時は中板で降りて中板から自転車で帝京まで通ってたから。
中板からすげー近いんだよ、帝京。」

(先頭車両に乗ってしまい、おぎやはぎが
「あ〜やべ、中板出口一番後ろに乗んなきゃ駄目なんだ。」と言うと、)

「あ〜そうだそうだ中板は出口こっちだ。」

等、高校時代に通学した時の思い出などを語っていらっしゃいました。


下の動画はとんねるずのデビューアルバム「成増」(1985年3月発売)に
収録されている曲「バハマ・サンセット(New Version)」です。
石橋さんが暮らしていた当時の成増の情景やお店が歌詞に出てきます。



柏屋・・・かつて成増に在ったLサイズ以上のサイズに特化した
婦人服チェーン店。)

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シズオカヤ・・・かつて成増に在ったスーパーマーケットチェーン。
現在のプラスゲオ成増店の場所と現在のダイエー成増店の場所
(かつて在った成増名店街ビルの地下)に在りました。)

京樽・・・石橋さんが成増で暮らしていた当時から成増駅コンコース内に在る
持ち帰り寿司専門の寿司チェーン店。
「バハマ・サンセット(New Version)」の歌詞の中に出てくる
“茶きん鮨(茶巾寿司)”は五目ちらしを薄焼き玉子で包んで海老を乗せた寿司
で、京樽の代表的な人気商品です。
京樽 成増東武コンコース店は2015年まで成増駅コンコース内にて営業を
続けていましたが、2016年3月に成増駅コンコースに新設された
駅ナカ商業施設「EQUIA」が出来た事により現在は営業を終了しています。)

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(東武のれん街・・・渋谷にある東急東横のれん街をもじって
歌詞に使用しただけで実際には存在しません。)

(曲中の“有賀いずみ”さんは板橋区立志村第四小学校時代の
石橋さんの初恋の人だそうです。)

(“有賀いずみ”さん情報は
「天狗のホルマリン漬け」の中の〜第1章 初恋〜より。)


とんねるずの3枚目のシングル「一気!」(1984年12月発売)です。
曲の冒頭で石橋さんが、
押忍!帝京高校出身!東武東上線、成増在住!石橋貴明!!
と、気合を入れます。






とんねるずの4枚目のシングル「青年の主張」(1985年4月発売)です。
曲の最初の部分で女性ナレーターが、
東京都成増地区代表、石橋貴明さんの青年の主張。乾布摩擦の勧め。
と、石橋さんの事をナレーションで紹介します。




石橋さんは1985年発売のとんねるず自著「天狗のホルマリン漬け」では、
石橋さんが成増に暮らしていた当時の成増や東上線沿線の様子を
独自の描写で語られています。

(以下、「天狗のホルマリン漬け」より一部引用)

〜「第4章 我が町 我が友 MY TOWN MY FRIENDS」〜

〜東武東上線

池袋・・・ここが池袋です。東武デパートには1500人集めました(※)。

(※東武デパートに1500人=とんねるずは1984年発売の「一気!」、
1985年発売の「青年の主張」のシングル発売イベントを
池袋の東武百貨店の屋上で当時開催していました。)

北池袋・・・この駅は、まるで東上線の中でも意味をもっていない。

下板橋・・・この駅には、私は降りたことがない。

大山・・・この商店街はものすごく、板橋区の地価が一番高いのもここである。

中板橋・・・この駅から自転車に乗って帝京によく通った。

ときわ台・・・この駅には女子高生がたくさんいる。ナンパの宝庫。

上板橋・・・この駅にも私は降りたことがない。

東武練馬・・・この駅から歩いてすぐの所にレオナルド熊さんが住んでいた。

下赤塚・・・パチンコ屋がよく出ることで有名。

我が町 成増・・・池袋から急行・準急で10分、各駅で20分。
これが東武東上線成増の所要時間である。
営団有楽町線からだと、池袋から15分である。
駅はだんぜん、私が降りる南口の方が盛り上がっている。
パチンコ店が駅前の噴水を四方から囲み、
モスバーガーチェーンの1号店があるのも自慢である。
北口の方にはかなり歩くと、
東京大仏という日本で3番目に大きな大仏もあります。
あっそうそう、湖池屋のポテトチップの工場も北口の方にあるのです。

成増と和光市の間・・・この間には大きな滝があり、成増の人間は近寄らない。

和光市・・・この駅より埼玉県になってしまう。



等、石橋さんは本の中で語られています。

「天狗のホルマリン漬け」には
他にも多くの成増・東上線沿線の思い出話、エピソードが掲載されていますが、
全てをここでは記載出来ませんので一部を引用し紹介させて頂きました。

天狗のホルマリン漬け(集英社)
amazon.co.jp


石橋さんは1999年4月〜9月および2000年4月〜9月の期間に放送された
『第4学区』では、同じ「第四学区(※)」の北区滝野川出身のアナウンサー
古館伊知郎さんと東上線トークや成増トークを繰り広げました。


(※ 第四学区=かつての都立高等学校の学区分の一つ。
文京区、豊島区、北区、板橋区が第四学区だった。
2003年に都立高等学校の学区分は撤廃された。)

古館さんは小学校は北区立滝野川第二小学校、
中学校は千代田区立今川中学校(現:神田一橋中学校)、
高校は立教高等学校(現:立教新座高等学校)、
大学は立教大学経済学部経営学科卒業という経歴で
北区の滝野川は板橋区板橋のすぐ隣という事もあり、
そして立教高等学校は東上線の志木、立教大学は池袋にあった為、
成増出身の石橋さんとは子供時代から青少年時代にかけての
地理的な環境が似通っている部分も多く、
番組では非常に「東上線ローカル」「板橋区・北区ローカル」な話が展開され、
当時話題となりました。

(以下、TV番組『第4学区』より一部引用)



〜「成増 お好み焼き屋「栞(しおり)」」〜

〜板橋区成増のお好み焼き屋「栞」にて

石橋   :「今回は、あえて僕のホームグラウンドである成増。」

古館   :「成増。しかも貴明の同級生がやってるお好み焼きの「栞」。」

(「栞」は現在は閉店しています。)

『第4学区』動画 【成増編1】【成増編2】【成増編3




〜「滝野川 「亀の子たわし」」〜

〜北区滝野川の「亀の子束子西尾商店」本社にて

石橋   :「次のロケ先どうしましょうかねぇ。」

古館   :「ロケ先ねぇ。」

石橋   :「志村の坂上坂下あたり行きましょうか。」

古館   :「ああ、いいじゃない。」

石橋   :「板橋区体育館の辺とか。」

古館   :「おお。」

石橋   :「僕は坂下に居たんですから。
板橋区体育館が出来る前の空き地知ってるんですから。
あそこで僕は、『柔道一直線』のロケをやってるのを見て(笑)、
初めてテレビに出ている芸能人というのを目の前で見たんですから。
それが、あの桜木健一さんだったんですから。
で、桜木健一さんにサインを貰って、すっごい喜んで
「はーい、君達桜木健一さんにサイン貰ったら客席の方行って拍手して」って
言われて、全国中学生(柔道)大会の会場になってる場所で拍手とか
「頑張れ、一条」(立ち上がって万歳のポーズをしながら)とか言って。
それで僕はエキストラとして出たんですから。」

古館   :「じゃあ、桜木健一にサイン貰ってなかったら、
今の貴明はないんだ。」

石橋   :「ないですね(笑)。」

古館   :「そこが貴明の芸能人としての始まりだよ。じゃあ志村坂下行こう。」

石橋   :「坂下ですね。」

古館   :「志村坂下に何があるのか。」

石橋   :「小豆沢がある。」

古館   :「小さい豆の沢と書いて小豆沢よ。」

石橋   :「じゃあ小豆沢に行きましょう。」

古館   :「でも、志村坂上の方がメジャーだよ。」

石橋   :「坂上には何せ凸版印刷がありますからね。」

古館   :「あ、凸版印刷があるな。」

石橋   :「ありますよ、凸版印刷。坂下坂上、あの辺ね。
小豆沢近辺いいですよ。すぐ近くに蕎麦屋が在って、
蕎麦屋さんの所から大王子虎男(だいおうじとらお)が出て来たんですよ。」

古館   :「誰?それ?」

石橋   :「大王子虎男っていうのは
『柔道一直線』の桜木健一のライバルだった男。
黒い柔道着を着て、蕎麦屋から出て来たんです。」

『第4学区』動画 【滝野川編1】【滝野川編2




〜「西麻布 「さくら」」〜

〜港区西麻布の和風創作居酒屋「さくら」にて

石橋   :「俺、今でも思い出すんですけどね(笑)、
今でこそ所得番付1位だとか何だとか言ってますけど、
僕はすっごい貧乏な子だったんですよ。
これ本当、石橋貴明の生い立ちを赤裸々に語りますよ。
僕が小学2年生の時に親父が工場を潰したんですよ。
その前までは、下が工場で上が住まい。
だから工場ぐらいのスペースが有る所に住んでたから、
2階の部屋は凄く広かったんです。で、物凄くイイ生活をしてたんです。
ところが、ある日の夜中にヒューッて引っ越しをしたんですよ。
何で夜中に引っ越しすんのかなあと思ったんですけどね。
で、物凄く広い家だったのに、ある日から四畳半一間になったんですよ。
親子4人で四畳半一間。
で、冷蔵庫が無かったんですよ。冷蔵庫なんか持っていけない訳ですよ。」

古館   :「それはそうだ。」

石橋   :「夜逃げだから。で、夏とかカルピスが飲めないんですよ。
氷が無いから。」

古館   :「冷蔵庫無いし。」

石橋   :「だから、あの当時どうやってお袋は飯を作ってたんでしょうね。
で、2年間位そういう生活をしてましてね、4年生ぐらいになって、
やっと6畳と3畳ぐらいのアパートに引っ越したんですよ。
でも、当然まだ風呂場無いんですよ。
で、何年か過ぎて行って、兄貴が結婚して居なくなって、
親父とお袋と俺の3人の生活になったんですけど、
オナニーをする場所が無いんですね。
これが(と、箸を持ってテーブルを叩く)。」

古館   :「オナニー的には環境劣悪だった訳だ。」

石橋   :「最悪の状態ですね。思春期の僕にとっては・・・」

石橋   :「でも、その自分の部屋が無い為に、
僕はいつも家のすぐ近くの製薬会社の倉庫の隅
エロ本を持って入って、そこでガーッて。」

古館   :「製薬会社!?」

石橋   :「製薬会社の小っちゃい倉庫の間にスペースが有るんですよ。
そこにエロ本を貯めてたの。今でも「エロトピア」は有るって言いますからね。」

古館   :「いいよなあ、やっぱり。
アダルトビデオが普通になっちゃうと、駄目だよ。」

石橋   :「駄目ですよ。」




〜「大山商店街 「松屋甘味店」」〜

〜板橋区大山の「松屋甘味店」にて

石橋   :「今回はここ、大山商店街。」

古館   :「馴染みあるの、ここ?」

石橋   :「映画館が在りましたね、駅のすぐそばに。」

古館   :「大山東映とか、昔在ったけど。」

石橋   :「ええ、そこに映画観る為に降りた位で、後は・・・」

古館   :「池袋、北池袋、下板橋、大山、中板橋・・・
俺ね、池袋からの順番で言わないと言えないんだけど、
昔、お祖父ちゃんが住んでたね。」

石橋   :「大山にですか?」

古館   :「だから幼稚園位の時には、何回かこの辺りに来た記憶有る。
だけど、こんな風にアーケードになってるなんていうのはさあ、
全然、知らなかった。でも、このアーケード、凄いんだって?」

石橋   :「何か、日本一長いとか・・・」

古館   :「俺、几帳面に資料持ってきたんだけど
(と、おもむろに歌詞カードをポケットから出す)。
まずね、この大山商店街に行く前にね「花板橋」っていう歌が有るんだよ。
舟木さんっていう人(舟木一夫とは別人)が作詞作曲で、
上野さゆりさんが歌ってるんですけどね、
「ああ、ああ、ああ、春の板橋明るいところ
ああ、ああ、ああ、夏の板橋輝くところ・・・」」

石橋   :「はぁ〜!?」

古館   :「これちゃんと、キングレコードより発売中だよ。」

石橋   :「キングレコード、へぇ〜。」

古館   :「で、「ハッピーロード大山」。同じく上野さゆりが歌ってます(笑)。」

石橋   :「上野さゆりさん、この辺の人なんですかねぇ。」

古館   :「多分そうでしょうね。だって
皆さん誰でも知っている、ハッピーロード大山は、買い物便利なアーケード、
ハローカードの商店街、ハッピーロード大山、大山

ですよ。凄いよ。これ。10番まであるもん。
だから相当有名なアーケードに来たって事だよ。」

石橋   :「でもねえ、古館さん。この「ハッピーロード大山」の歌って
1番から10番までありますけど、1番が
「皆さん誰でも知っている、ハッピーロード大山は、買い物便利なアーケード」
でしょ。
で、2番は「何でも揃うアーケード」、3番は「手軽で安いアーケード」・・・って。」

古館   :「全部同じだ。」

石橋   :「同じですよ。」

古館   :「4番のここがいいじゃない。「雨にも強いアーケード」。」

石橋   :「5番、「一生付き合うアーケード」。」

古館   :「ハハハハハ・・・強制するなって。「女性が元気な・・・」。」

石橋   :「・・・「アーケード」。」




〜板橋区大山の「松屋甘味店」にて

石橋   :「俺ねえ、昔ねえ。俺は次男坊じゃないですか。
だけど、兄貴はやっぱり長男だから、写真がいっぱい有るんですよ。
例えば初節句とか七五三とかね。」

古館   :「ああ。」

石橋   :「で、七五三の写真なんて、
どう考えてもどこかの写真館で撮って貰った様な、
お袋椅子に座ってる、兄貴が飴持って横に立っている、っていう。」

古館   :「千歳飴ね。」

石橋   :「ところが、俺の写真はそういうのが1枚も無いの。
で、何で無いんだろうと思って、
ある日、小学校1年生とか2年生位の時だったと思うんですけど、
お袋に聞いたんですよ。「何で兄貴のは有って、俺の写真は無いんだ」って。
そしたらお袋が「水害に遭った」って言うの。
確かにね、1回あったらしいんですよ。」

古館   :「水害が(笑)。」

石橋   :「台風か何かで水かさが増して、
板橋区の方の何とか川が氾濫して、で、水害に遭って、
それで貴明のそういう写真は無くなっちゃったんだって言うから、
「ああ、そうなんだ」と思ってたんです。
でも大人になってある時フッて考えたら、
水害に遭ったんなら、何で兄貴の写真は残ってるんだと(笑)。」

古館   :「何で俺のだけは流れるんだと。」

石橋   :「俺のだけ流れていく訳ねえだろって。
箱の中にアルバムがキッチリ入ってて、取れない様にちゃんとしてあるのに、
俺の写真だけピョンピョン剥がれて、水害でワッと流れて、
どんぶらこどんぶらこ・・・と。」




〜「成増 「成増小学校」」〜

〜板橋区成増にある石橋さんの母校「板橋区立成増小学校」にて

石橋   :「僕ね、一回ね、30(歳)位かな、すっごい落ち込んで。
何か、やる気が無くなっちゃった時があったんですよ。30代前半にね。」

石橋   :「で、何気無く来たんですよ。
ココ(自分が家族と暮らしていた成増のアパート)に。」

石橋   :「で、アパートなんですけど、僕が(家族と住んでいたのが)
2号室だったんですよね。
あ〜俺は、それこそそこに小学校4年生から18(歳)で帝京卒業してからも
しばらく居ましたから。」

石橋   :「約、そうですね8年間位そこに居たんですよね、
(成増のアパートの)2号室に。」

石橋   :「で、パッと(アパートの前に立って)「ココだったなあ」と。
ああ、その、「アパートの前の道ってもう少し広かったんじゃねえかな」、とか
思いながら、それこそ、この、物凄く、この、机(成増小学校の教室の机)を
見るように、
「あれ?こんなに細い道だったの?って。道路幅広くなかったっけな?」って。」

石橋   :「ああ良くココ(成増の自宅アパート前の道路)でバット振ったな
って。ココで兄貴とかに教えてもらってバット振ってたなって。小学校の時。」

石橋   :「「ああ、このまんま(当時のまま)だな」って思って。」

石橋   :「で、フッと見たら、(アパートの)1号室と3号室、つまりウチの
両サイド、(自分が暮らしていた時と)同じ人なんですよ。」

古館   :「うわ、長いじゃない。」

石橋   :「うん。ね、僕が(成増で暮らしていたアパートを見に行ったのが)
31、2(歳)かな、だから19(歳)位から僕がそのアパートを出たんで。
もうそれから10何年。同じ表札。」

石橋   :「で、「ああ〜」って。で、まさかトントンとドアを叩く訳にもいかないし。」

古館   :「で、ドア開けて「同じなんですね」って言ったって、「うるせえ」って
言われるよなあ。ほっといてくれって(笑)。」

石橋   :「ええ(笑)。」

石橋   :「で、何かねえ、(右手の手のひらを左胸にあてながら)凄くこう、
「ク〜ッ」と来ましたよ。」

石橋   :「何か、自分はこう、成増を後にして、ね、別にそこに(一戸建ての)家があった訳でも無かったし、あれなんだけども、「ああ親父とお袋もココ(成増
のアパート)で、兄貴も居て、生活してたな」って。そっから自分は出てって。で、
いっぱしにこの芸能界で才能も無かったのに何かたまたま当たっちゃったよう
に、宝くじが当たったようにこの芸能界で売れて。」

古館   :「何て事言うの貴明。何そんな急にへりくだって。
貴明じゃねえんじゃねえの今日(笑)。
才能も無かったのに?おかしいよ(笑)。才能があるから運を引き寄せて、
運も才能の内だよ。」

石橋   :「ほいで、ね、その、自分がスッとやる気が無くなっちゃった時が
(31、2歳の時に)あった訳ですよ。」

石橋   :「でも、何か、俺はでも、この(自分が家族と暮らしていた成増の
アパートの部屋の広さが)6畳と3畳なんですよ。
風呂も無いんですよ。近くの銭湯に行かなきゃいけない、「亀の湯」っていう。」

石橋   :「「亀の湯」に行かないとお風呂に入れない、そこのトコから、
いっぱしにマンションだなんてトコに住めるようになって、風呂もいつでも
入れるような生活になって、(古館:「人気者になって」)(人気者に)なって、
金も凄く貰えるようになって、それがちょっとした所で落ち込んで、「ううっ」って
そこ(自分が家族と暮らしていた成増のアパート)に帰ってきてバッて見たら、
まだそこに(自分が住んでいた時と同じ人が)住んでる人が居ると。」

古館   :「「(自分が家族と暮らしていた成増のアパートの両サイドの部屋に)
同じ人が住んでる」って。」

石橋   :「うん。ってまあそう言っちゃなんですけども、自分はその6畳と3畳の生活よりかは自分は少しグレードアップした訳じゃないですか。
「何をめげてるんだ」と。」

石橋   :「「頑張らにゃいかんぞ」と。「こっからスタートじゃねえか」、と
思った時がね、その32(歳)位の時にね、あったんですよ。
そこ(自分が家族と暮らしていた成増のアパート)の(前に帰ってきて感じた事
が)。」

石橋   :「今どうなんだろうなあ、別にそこで生活をしている人が駄目だって
いう事じゃないですよ。でも何かね、妙にね、あんまりだからね、
ある種懐かしい思いと、ある種帰って来たくない、って思いがあるんですよ。」

古館   :「あと切ない思いとか、そういう色々な思いが複雑に入り混じって。」

石橋   :「うん。(「ク〜ッ」と)来ましたよ。それは。」

石橋   :「何だろう、別に成増に帰ったからって、ね、別に父親の墓がある訳
でも無いし、母親が今そこに住んでる訳でも無いんだから、
答えなんか見つからないと思うんですよ。」

石橋   :「後にも先にもね、一回だけなんですよ。夜中にね、急に
「成増に帰ろう」って思ったのが。」

石橋   :「でもね何かね、(成増に)帰って、その、ああ、自分がここで育った
この場所(成増)で、また同じ何年間か経った自分の目線で物を見る、って
何かね、良いんですよね。」

『第4学区』動画 【成増小学校編1】【成増小学校編2


第4学区
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- 『第4学区』 動画 -

『第4学区 池袋編』


『第4学区 和光市レインボーモータースクール編 3-1』


『第4学区 和光市レインボーモータースクール編 3-2』


『第4学区 和光市レインボーモータースクール編 3-3』


『第4学区 朝霞編 1-2』


『第4学区 朝霞編 2-2』


『第4学区 滝野川 亀の子たわし西尾商店』


『第4学区 プロレス中継』(音声のみ)


『第4学区』動画
ハッピーロード大山編1】 
池袋編1
池袋編2
王子編1
王子編2
王子編3
王子編4
上野編1
上野編2
上野編3
上野編4
上野編5
上野編6
渋谷編1
渋谷編2
渋谷編3
西麻布さくら編1
西麻布さくら編2
西麻布さくら編3
西麻布編1
西麻布編2
西麻布編3
西麻布編4
広尾編1
六本木編1
六本木編2
六本木編3
六本木編4
お台場編1
お台場編2
由布院編1
由布院編2
未公開編1


- 『オシャレ30_30』 動画 -

『オシャレ30_30 - 1_5』


『オシャレ30_30 - 2_5』


『オシャレ30_30 - 3_5』


『オシャレ30_30 - 4_5』


『オシャレ30_30 - 5_5』



石橋さんは帝京高校の2年生だった1978年、
膝の怪我で成増の安田病院に入院した経験があり、
当時17歳で高校2年生だった石橋さんは病院の病室で同部屋だった
8歳の少年にトランプのポーカーなどの色々な遊びを教えた事が
あったそうです。
このエピソードについては、
『みなさんのおかげでした』の「クイズ!とんねるずにもう一度逢いたい人」の
コーナーに当時8歳だった少年のご本人が登場し、思い出を石橋さんと
語り合っていました。

『2010年9月9日 とんねるずのみなさんのおかげでした
クイズ! とんねるずにもう一度逢いたい人』
(石橋さんに逢いたい人のくだりは13:24頃から。)



こちらの動画は、
石橋さんが成増小学校と赤塚第二中学校で同級生だった女の子の家に
お誕生日会に呼ばれた時のエピソードです。

『2010年12月9日 とんねるずのみなさんのおかげでした
クイズ! とんねるずにもう一度逢いたい人』



posted by pokochi444 at 05:10 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

下赤塚出身・ゆかりのある芸能・有名人

・尾崎豊(〜少年時代:11歳まで)

歌手の故・尾崎豊さんは下赤塚出身です。

厳密に言えば、住所は練馬区の春日町で
現在の最寄り駅は都営大江戸線練馬春日町駅か、
東京メトロ有楽町線平和台駅が最寄りの駅になりますが、
尾崎さんが住まわれていた頃は両線とも開通しておらず、
電車での最寄り駅は
西武池袋線の「豊島園駅」と東武東上線の「下赤塚駅」だったそうです。

尾崎さんはお父様が防衛庁の職員だった関係で、
自衛隊練馬駐屯地の近くの春日町の都営住宅に
御一家で住まわれていました。
(現在その都営住宅は在りません。)

<略歴>
1965年(昭和40年)11月29日に世田谷区の自衛隊中央病院にて誕生。
一週間後に退院し練馬区春日町の都営住宅で暮らし始める。
1967年(昭和42年)8月、練馬区立田柄保育園入園。
1968年(昭和43年)5月、春日町の自宅からより近い
練馬区立春日町第二保育園に転園。

1972年(昭和47年)4月、練馬区立田柄第二小学校入学。
1976年(昭和51年)9月、小学5年生の2学期の時に
父親が朝霞駐屯地に転勤になった為、埼玉県の朝霞市溝沼に新居を構え、
一家で転居。小学校は埼玉県朝霞市立朝霞第一小学校に転入。
1978年(昭和53年)4月、中学校は尾崎豊本人の強い希望により、
かつて暮らしていた春日町の練馬区立練馬東中学校に入学。
越境通学で通う。

1981年(昭和56年)4月、青山学院高等学校入学。
1983年(昭和58年)12月、シングル「15の夜」とアルバム「十七歳の地図」で
デビュー。
1984年(昭和59年)1月、青山学院高等学校を自主退学。
1984年(昭和59年)3月、青山学院高等学校の卒業式の当日、
新宿ルイードでデビュー後初ライブを行う。
1984年(昭和59年)8月、日比谷野外音楽堂でのライブイベント出演中に、
7メートルの高さの照明台から飛び降り左足を骨折。
以降のスケジュールが全てキャンセルとなる。
1985年(昭和60年)1月、シングル「卒業」がオリコンチャート初登場で20位を
獲得、一部の過激な歌詞の表現が話題となる。
1985年(昭和60年)3月、2枚目のオリジナルアルバム「回帰線」をリリース。初登場1位を獲得。
1985年(昭和60年)8月、大阪球場でライブを行い、2万6000人を動員。
1985年(昭和60年)11月、代々木オリンピックプールでライブを行い、
2日間で3万人を動員。
1985年(昭和60年)11月、3枚目のオリジナルアルバム「壊れた扉から」を
リリース。
1986年(昭和61年)1月、福岡国際センターでライブを行う。
無期限活動停止宣言をし、渡米する。
1987年(昭和62年)2月、帰国後、レコード会社をCBSソニーから新レーベル
Mother&Childrenに移籍。
1987年(昭和62年)12月、覚せい剤取締法違反で逮捕。
1988年(昭和63年)2月、東京拘置所から釈放。
1988年(昭和63年)6月、フジテレビ系音楽番組『夜のヒットスタジオ』に
最初で最後のテレビ出演。同月21日に発売された新曲「太陽の破片」を歌う。
1988年(昭和63年)9月、4枚目のオリジナルアルバム「街路樹」をリリース。
1988年(昭和63年)9月、東京ドームでライブを行い、5万6000人を動員。
1989年(平成元年)7月、長男 尾崎裕哉が生まれる。
1990年(平成2年)4月、再びレコード会社をCBSソニーに移籍。
音楽事務所をROAD&SKYに移籍する。
1990年(平成2年)11月、5枚目のオリジナルアルバム「誕生」(2枚組)を
リリース。
1990年(平成2年)12月、個人事務所 ISOTOPE(アイソトープ)設立。
1991年(平成3年)3月、雑誌での対談がきっかけとなった女優 斉藤由貴との
不倫が騒がれる。その後10月に別離した事が報じられる。
1991年(平成3年)10月、代々木オリンピックプールでライブを行う。
これが生涯最後のライブとなった。
1991年(平成3年)12月、母親が急死。
(孫(裕哉)のおもちゃを買いに出かけた際に朝霞駅の階段で倒れ、
そのまま急性心不全により亡くなられたそうです。)
1992年(平成4年)4月25日早朝、東京都足立区千住河原町の民家の庭にて
泥酔状態で発見され、警察に通報される。
救急車で病院に運ばれ診察を受け、夫人と共に自宅マンションに帰宅する。
その後、夫人、兄、マネージャーが見守る中、
自宅マンションで暴れたり眠ったりを繰り返したのち、
突如危篤状態に陥り救急車で日本医科大学の緊急病棟に搬送、
蘇生措置が施されるが午後0時6分に死亡。享年28(満26歳)。
1992年(平成4年)4月30日、東京都文京区の護国寺で行われた葬儀には
大勢のファンが詰め掛け、参列者は4万人近くに上り、
美空ひばり、吉田茂に次ぐ規模の参列者数となった。
1992年(平成4年)5月10日、6枚目のオリジナルアルバム
(事実上のラストアルバム)「放熱への証」がリリース。
初回出荷分が即日完売し、100万枚を超えるセールスを記録した。





尾崎さんの中学時代、朝霞駅→下赤塚駅の、
練馬東中学への越境通学時においては、

学校をさぼり東上線の駅のベンチに座っていた
(朝の時間帯の下赤塚駅のベンチに良く座っていたそうです。)、

というエピソードがあります。

下の動画では尾崎さんが通っていた田柄第二小学校と練馬東中学校が
当時の尾崎さんの映像と共に出てきます。

『さだまさしの「縁切寺」を歌う中学生時代の尾崎豊』
(0:37頃から田柄第二小学校、3:09頃から練馬東中学校の映像。)


neriton

(上:尾崎さんの母校、練馬東中学校。通称“ねりとん”。)


彼の初期の曲の多くは春日町で過ごした頃の体験を綴ったものが多いです。

「15の夜」
(前半部分は有名なMC。曲は4:24頃から。)


「15の夜」は、尾崎さんが14歳、練馬東中学2年生の時に
友達と家出の計画を立てた練馬区立向山公園から、盗んだバイクで、
当時グラントハイツの返還後間も無くスクラップ置場なども残っていた
光が丘公園に辿り着いたその夜の体験を描いた曲です。

実際は尾崎さんが14歳の時の経験にも関わらず
「15の夜」というタイトルにしたのは、
「14の夜」だと語感が悪い為、歌いやすい「15の夜」としたそうです。
曲は1983年リリースのファーストアルバム「十七歳の地図」に
収録されています。

十七歳の地図
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「米軍キャンプ」


1985年リリースのサードアルバム「壊れた扉から」に収録されている
「米軍キャンプ」という曲の、
「米軍キャンプ跡の崩れかけた工場」という詩に唄われている風景は、
当時の光が丘の風景です。

hikarigaoka

(上:現在の練馬区立光が丘公園。旧グラントハイツ(※)。)

(※ グラントハイツ=東京都練馬区にかつて1947年(昭和22年)から
1973年(昭和48年)迄の間存在した、アメリカ空軍の家族住宅地。
1973年に日本に返還され、現在は東京都練馬区光が丘の全域
およびその周辺地域となっている。)

壊れた扉から
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他にも尾崎さんと東上線のエピソードとして、
尾崎さんは生前、幼少の頃からお父様がクリスマスや尾崎さんの誕生日に
必ずと言っていい程お土産として買ってきた、
下板橋に現在も在る老舗洋菓子店タカセ板橋店
バタークリームのバースデーケーキやシュークリームが大好きだったそうです。




・宮前真樹

アイドルグループ「CoCo」の元メンバーで、現在はタレントとして活動している
宮前真樹さんは下赤塚出身です。

1973年新潟県十日町市生まれ。

板橋区立赤塚第一中学校卒業。

お生まれは新潟県十日町市。

宮前さんのご親戚の方も2005年頃まで赤塚の東京大仏付近で、
もんじゃ焼・ラーメンのお店を営業されていたとのこと。

下赤塚出身の宮前さんは
2001年放送の『出没!アド街ック天国』の「成増」の回の時には、
成増の隣町下赤塚の出身としてゲスト出演し、
成増のパスタ店(トラットリア イル ほうれんそう)(現在は閉店:工場のみ営業)
で初デートした思い出などを語ってらっしゃいました。




・益岡徹<不確定>

「マルサの女2」の税務官役などで有名な、俳優の益岡徹さんは
下赤塚の板橋区立赤塚小学校に通われていたそうです。

以前『徹子の部屋』に出演した際、赤塚小学校の卒業アルバムを持参して
当時の思い出を話されていました。




・風間やんわり

漫画「食べれません」の作者である漫画家の故・風間やんわりさんは
下赤塚出身です。

1977年東京都板橋区赤塚生まれ。

ご自身の公式サイトでは「板橋区赤塚 楠医院 出身。」と、
ご自身が産まれた赤塚の産院を紹介されていました。

板橋区立下赤塚小学校、
板橋区立赤塚第三中学校卒業。

高校は東京都立北野高等学校
(2005年に都立志村高等学校との統合の為廃校)を卒業。


<略歴>
1994年、都立北野高等学校在学中の高校3年生の時に
講談社ヤングマガジン「ギャグ大賞」を受賞。
翌1995年より同誌にて板橋区赤塚系ギャグ漫画「食べれません」を
連載開始。
「食べれません」は以降、本人が亡くなる2013年まで18年間連載。

代表作には「食べれません」の他、
「腹くだしダンデー」、「たもっさんの時間」、「たもっさん」、「ポチ極道」、
「あつし渡辺の探訪びより」、「やんわり社会派宣言」など。

実姉は漫画家すぎむらしんいちの妻。

上記作品の他に、フジテレビ系ニュース番組『ニュースJAPAN』で
政治風刺4コマ漫画を描くなどして活動していた中の2013年10月22日、
肝機能障害の為、急逝。36歳没。

2013年11月11日発売の週刊ヤングマガジン第50号掲載分の
「食べれません」が絶筆となった。


風間さんの代表作であり、
自ら「板橋区赤塚系ギャグ」と銘打った漫画「食べれません」の作中には、
下赤塚の様々なお店や風景などが数多く登場していました。

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食べれません
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下赤塚出身の風間さんは板橋区赤塚に生まれ赤塚で育ち、
プロの漫画家としてデビューした後も長く赤塚に住まわれていました。

地元下赤塚のお店をご自身の作品の「食べれません」に登場させる事も多く、
中でも頻繁に登場していたのが下赤塚に在る人気ラーメン店 Y'sラーメンで、
お店の社長とも知り合いになり、系列会社が2006年に板橋区蓮根に焼肉店を
オープンした際には店の看板の絵を依頼され描かれていました。

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(「風間やんわり プロデュース」と書かれていますが、ご本人曰く
「看板の絵を描いただけ」との事。
以前ご自身のブログでこの事について話されていました。)

下赤塚出身の風間さんは生前、
2013年10月に発売された板橋区の特集ムック「板橋本」の中の
“板橋LOVERS”というコーナーで地元の赤塚の事を語られていました。
以下にその一部を紹介します。


「高校時代、修学旅行から帰って来てバイトしに行こうと思ってたら、
受賞の連絡が編集部からあったんです。最初、何かの冗談かと思いましたね。
その時は赤塚の寿司屋でバイトをしていて、
その日の内に辞めるって話しましたよ。店の人達は喜んでくれました。
配達する人が自分しか居なくて、辞めるのは申し訳なかったんですが・・・」


「赤塚の子供は母親がのとや(下赤塚に在る激安洋品店)で買った服を着る
っていうのが定番。
中学生にもなると「何で(のとやで)ジャンパー買ってきちゃうんだよ〜」って
なるんだけどね。」


(下赤塚に在るラーメン店 東京ラーメン 大番にて)
「ラーメンが270円だった頃から通ってましたよ。
夜は何故か(ラーメンの価格が)50円アップするんです(笑)。」


「赤塚と言えば後は東京大仏ですね。
ここの人達は大仏と言えば奈良、鎌倉、赤塚ですから(笑)。」


「板橋はヨコとタテの繋がりが強い。
飲み屋に行くと、人生の先輩が沢山居て、よく絡まれます(笑)。」


「人と人との距離が近い所で生まれ育ったから、
今もお隣さんと仲良くやっていけているんだと思います。」


等、風間さんは本の中で語られていました。

本の中では風間さんは他にも、
赤塚に在るバッティングセンターの丸一バッティングセンターや、
風間さんが子供の時に遊んだ公園、赤塚六丁目公園(通称“ブタ公園”)も
思い出深い場所、と話されていました。




・幸田シャーミン

「こんばんは、幸田シャーミンです。」で有名なジャーナリストの
幸田シャーミンさんは下赤塚出身です。

ご実家のビルが川越街道沿いに在り、以前、ビルの1階には
幸田さんの著書などが展示されているコーナーがありました。




・八代英輝

国際弁護士の八代英輝さんは下赤塚出身です。

1964年東京都板橋区赤塚生まれ。

板橋区立赤塚第三中学校卒業。
中学時代はブラスバンド部に所属。

高校は城北埼玉高等学校を卒業。
慶応義塾大学法学部卒。

お生まれになった場所は板橋区赤塚新町の横田医院、
とTV番組『ホンネ日和』の中でご自身で話されていました。

また、下赤塚出身の八代さんは以前、
2007年放送の『出没!アド街ック天国』の「下赤塚」の回に地元出身として
出演し、番組内で赤塚の事を「板橋の代表」と表現していました。

それに対して、同じく番組ゲストとして出演していた
おぎやはぎの2人
(小木博明:ときわ台出身・矢作兼:池袋出身)
(2人共東武練馬の都立北野高校を卒業)
は、下赤塚および赤塚の東京大仏について「一番 地味な駅」と
フリップに書いて、

おぎやはぎ:「下赤塚って地味なんですよね東上線の駅の中でも。
知らないですもんほとんど。
だから何で今日番組に呼ばれたのかわかんないです。(笑)
ただ東京大仏は知ってますよ。
高校のサッカー部のランニングの折り返し地点だったんです。東京大仏は。
だからあれは「折り返し大仏」です。折り返し大仏。(笑) 折り返しですよ。」

とコメントし、
下赤塚出身の八代さんは「それはあまりにも失礼なんじゃないですか?」
と言い返していました。

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他にも、八代さんは2011年放送の『出没!アド街ック天国』の「大山」の回に
同じ板橋区内の赤塚出身として出演し、

「中学校時代にブラスバンド部に所属していて、
ブラスバンドの中学全国大会で銀賞を頂いたんです。
そしてその後大山のハッピーロード商店街で凱旋パレードを行ったのですが、
その時に大山のおかあさん達から銀賞獲得を祝福して貰い声援を頂いて
凄く嬉しかった事を記憶しています。」

と話されていました。

ちなみに『出没!アド街ック天国』においては八代さんは同じ板橋区内の
「高島平」「仲宿」「志村坂上」「東武練馬」の回にも出演されています。

(情報提供 PINECONEさん ありがとうございました)




・山本容子

銅版画家の山本容子さんは、幼少時代の一時期、
練馬区田柄(最寄り駅が下赤塚)に住まわれていました。

山本さんの出生地は埼玉県浦和市(現:埼玉県さいたま市浦和区)。
生後間もなく奈良県生駒市に移住。その後関西各地を転々とし、
9歳の時に練馬区田柄に移り住む。
田柄で暮らした期間は2年程だったそうです。
練馬区立田柄小学校に通われていたとのこと。

2004年放送のNHK『課外授業 ようこそ先輩』では母校の小学校として
田柄小学校を訪れ、
田柄小の子供達と一緒に版画の制作をしていらっしゃいました。




・ナンシー関

消しゴム版画家として、またTVコラムニストとして有名だった
故・ナンシー関さんは、下赤塚に一時期住まわれていたそうです。

ナンシーさんの著書「ナンシー関の「小耳にはさもう」ファイナル・カット」には、
ナンシーさんの消しゴム版画の才能を見い出したコラムニストの
えのきどいちろう氏による

「成増のトナリの下赤塚の文房具屋さんは今もあるだろうか。
突然でたらめな量の消しゴムを買いまくり、ふいに来なくなった
大柄の娘を覚えておいでだろうか。
箱で仕入れたステッドラー
(ナンシー関さんが消しゴム版画に使用していたドイツ製の消しゴム)
(当時下赤塚の文房具店にはステッドラーの取り扱いが無く、
ほとんどナンシーさんの為だけに箱単位で仕入れていた)
はそれっきり誰にも買われず、ホコリをかぶってるだろうか。」

という印象的な内容の巻末解説が添えられています。

ちなみに、上記で触れられている「下赤塚の文房具屋さん」とは
下赤塚で現在も営業を続けている老舗文房具店の三光堂の事であり、
ナンシーさんと下赤塚の三光堂文房具店については以下のリンクにて
詳しく解説されています。

(参照URL)
http://d.hatena.ne.jp/kingfish/20140521
(ページ上部にある「愛用のケシゴム」の項で触れられています)




・松原仁(まつばら じん)

民主党所属の衆議院議員、松原仁さんは下赤塚出身です。

1956年東京都板橋区赤塚生まれ。

小学校は越境入学でときわ台の板橋区立常盤台小学校へ入学。
板橋区立赤塚第一中学校卒業。
高校は都立豊島高等学校を卒業。
早稲田大学商学部卒。




・ケイ・グラント

PRIDEやDREAM、Dynamite!!などの格闘技イベントの
リングアナウンサーとして、
また、FMラジオのDJとしても有名なラジオDJのケイ・グラントさんは
下赤塚出身です。

1959年生まれ。

練馬区田柄のご出身。

練馬区立田柄中学校卒業。

高校は日本大学豊山高等学校を卒業。
日本大学文理学部卒。

芸名であるケイ・グラントの「グラント」という名前は、
かつて下赤塚に存在した米軍の家族住宅地
グラントハイツから取って名付けたそうです。

地元である練馬区田柄周辺の光が丘、かつてのグラントハイツについては、
以前ケイさんが車関係のウェブサイトのインタビューで
ご自身で語っていらっしゃいました。

(参照URL)
http://www.enthuno-mori.com/enthu_news/news028/

ちなみに、練馬区田柄に古くから在る「田柄スイミングクラブ」(1971年開業)
はケイさんのお父様が始められたスイミングスクールで、
現在はケイさんの弟さんが経営を引き継いでいます。
ケイさんの弟さんはスイミングスクールの他にも現在下赤塚(練馬区田柄)で、
-串あげ&もつ煮 庄ちゃん-という店名で居酒屋を営んでいらっしゃいます。

-串あげ&もつ煮 庄ちゃん-
〒179-0073 東京都練馬区田柄2-38-27 ビババルサ105号
TEL 03-6794-4000

今も下赤塚(練馬区田柄)在住のケイさんは
ご自身のツイッターやブログでも頻繁に
地元下赤塚・田柄周辺を話題にした記事をupされています。




・弘兼憲史(ひろかね けんし)

「課長島耕作」「人間交差点」「黄昏流星群」などの著作で知られる
漫画家の弘兼憲史さんの作品、「ハロー張りネズミ」は
下赤塚を舞台にした作品になっています。

1980年から1989年までヤングマガジンに連載していた「ハロー張りネズミ」は
下赤塚を舞台にした作品で、物語が下赤塚を中心に動く回も多く、
下赤塚や成増、そして周辺の地域の風景が作品の中に度々出て来ます。

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「ハロー張りネズミ」は1991年に映画化、1996年にTVドラマ化され、
1991年の映画版では下赤塚駅北口そばにある喫茶店 コーヒー ヒュッテが
主人公七瀬五郎が営む探偵事務所の“あかつか探偵事務所”として
劇中で使用されていました。
当時、コーヒー ヒュッテでロケ撮影も行われたそうです。

ハロー張りネズミ
rakuten.co.jp



弘兼さんは以前成増に住まわれており、仕事場も成増にありました。

成増に在住していた当時・成増に仕事場を構えていた当時、
弘兼さんは赤塚にある飲食店にも足繁く通われていました。

下赤塚の中華料理店 芝蘭(ちいらん)は、2002年に弘兼さんが
フライデー誌の記事で同店の四川麻婆豆腐を紹介した事により
一躍有名店となりました。
下赤塚のジョナサンには柴門ふみさんとご夫婦で良く通われていたそうです。
下赤塚の居酒屋などにも通われていたとのこと。




・ヘレン笹野<不確定>

1980年代前半に「心細いな」などの曲を歌い、アイドル歌手として
活動していたタレントのヘレン笹野さんは、かつて下赤塚に在った
米軍の家族住宅地のグラントハイツ(※)で幼少時代を過ごされたそうです。

(※ グラントハイツ=東京都練馬区にかつて1947年(昭和22年)から
1973年(昭和48年)迄の間存在した、アメリカ空軍の家族住宅地。
1973年に日本に返還され、現在は東京都練馬区光が丘の全域
およびその周辺地域となっている。)

1962年生まれ、アメリカ・ミシシッピー州出身のヘレンさんは
アメリカ人のお父様と日本人のお母様を持つ日系のハーフで、
1981年に「キュン!と片想い」という曲で歌手デビューし、
(デビューコンサートは豊島園で開催されたそうです)
1982年にはアニメ『うる星やつら』のエンディングテーマ曲の「心細いな」を
歌って話題となり、ラジオ、テレビ、雑誌、CMなど、幅広く活動されていました。

「うる星やつら 2代目EDテーマ/心細いな」


「ヘレン笹野/心細いな
at うる星やつら10th ANNIVERSARY・イン・武道館(1991年)」



ヘレンさんは現在は母国であるアメリカに帰国し、
本名のHelen Inghamという名前で芸能活動を続けているそうです。




・渡辺えり(旧芸名 渡辺えり子)

映画「Shall We Dance?」でおなじみの女優、渡辺えりさんは、
上京して一番最初に住んだ街が下赤塚だったそうです。

1973年、渡辺さんが18歳の時に故郷の山形県から上京した時に
暮らしていた下赤塚の木造アパートは、下赤塚駅に近い練馬区田柄に
在ったとの事で、渡辺さんは以前出演したTV番組の中で

「風呂無し・トイレ共同・三畳一間のアパートだったけど、毎日が新鮮だった。」

「下赤塚のアパートは風呂無しだったので、
10日間お風呂に入らない事もあった。
色白で肌が綺麗だったから、
お風呂に入らなくてもそれほど汚れが目立たなかった。」

と田柄での生活を振り返り語ってらっしゃいました。

また、渡辺さんは女優を目指し上京した後、池袋西口徒歩7分ほどの場所に
ある舞台芸術学院に入学。
同じ東上線沿線川越出身の市村正親さんも輩出した同校で
演技の勉強をされたそうです。

31歳の時に初めて池袋にある風呂つきの木造アパートに転居する事が出来た
渡辺さんでしたが、当時はまだお金がなく生活が苦しい状態だったそうで、
そんな貧乏時代にアルバイトをさせてもらいお世話になったお店として、
池袋西口ロマンス通りのロサ会館内にて現在も営業を続けている
おでん屋さん やまの名前をテレビ番組に出演された際に挙げていました。

当時、渡辺さんがアルバイト店員として働いていた
池袋のおでん屋さん やまでは、

「「ちくわぶ(250円)」や「魚スジ(250円)」をまかない料理で出してもらい、
お腹を満たしてもらっていた。」

と番組の中で話されていました。
渡辺さんは現在も、2ヶ月に1回のペースで池袋のやまに通っているそうです。

『2015年4月7日 幸せ!ボンビーガールSP 春の2時間SP』
(渡辺さんの上京時のエピソードについては02:05頃から。)



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東武練馬出身・ゆかりのある芸能・有名人

・山下達郎(12歳〜中学〜高校〜大学生時代)

歌手の山下達郎さんは池袋生まれですが、
1966年1月、中学1年生の時に東武練馬(練馬区平和台)に転居し、
大学生時代まで暮らされていました。

中学校は、通われていた豊島区立高田中学校(現:千登世橋中学校
(1999年に高田中学校と雑司ヶ谷中学校が統合し開校))からは転校せず、
東武練馬から越境通学で通われていたとのこと。

当時、山下さんのご両親は東武練馬で菓子店(ヤマザキYショップ)を
営まれていたそうです。
(現在は閉店)

山下さんは東武練馬に引っ越してきた時の印象を


「雨が降ると道路が味噌汁みたいになってた。」


(当時道路が舗装されていなかった為)

と、以前に語っていらっしゃいました。


以前1991年に山下さんが『とんねるずのオールナイトニッポン』にゲストとして
出演された時には同じ東上線沿線成増出身の石橋貴明さんと地元の話で
盛り上がっていました。

(石橋さんが東武練馬の話をする。)

石橋貴明:「東武練馬ってのはもう池袋を背にして行くと、
右っ側(北側)が崖みたいになってんですよね。」

山下達郎:「そう! そうなんですよね。
(あそこら辺は)志村高校がありますね。大東文化大学がありますね。」

『1991年 とんねるずのオールナイトニッポン ゲスト:山下達郎
(東上線や池袋についてのトークをされる山下さんと石橋さんの部分のみ)』



他にも、山下さんが明治大学の学生時代に結成したバンド
「シュガーベイブ」にまつわるエピソードには、
山下さんの中学校時代の同級生で
中学校時代のアマチュアバンドの仲間だった方の家が成増に在り、
バンドの練習を成増のその方の家でしていた事や、
シュガーベイブのバンドの名前を当初
「下赤塚5丁目バンド」にしようとしていた事など、
東上線沿線に関係するエピソードが数多く有り、事欠きません。

「シュガーベイブ」の結成エピソードについては、こちらのサイトが詳しいです。

山下さんは成増の同級生の方の事や東上線沿線出身者の事については
2015年に行われたシュガーベイブ「SONGS」40周年記念アルバム
「SONGS -40th Anniversary Ultimate Edition-」発売記念スペシャル
ロングインタビューの中でも話されていました。

(参照URL)
http://wmg.jp/tatsuro/interview.html




・辻希美(つじ のぞみ)

元「モーニング娘。」メンバーで、現在はタレントとして活躍中の
辻希美さんは東武練馬出身です。

辻さんは中学校を卒業する頃まで東武練馬の徳丸のご実家のマンションに
住まわれ、その後、徳丸周辺で転居を行い、さらに渋谷区の恵比寿にご一家で
転居して住まわれていましたが、杉浦太陽さんとのご結婚を機に再び
地元である東武練馬に戻り、現在も東武練馬周辺で暮らされています。


1987年東京都生まれ。

私立徳丸幼稚園卒園。

板橋区立徳丸小学校、
板橋区立赤塚第一中学校卒業。


東武練馬出身の辻さんはモーニング娘。時代には東武練馬のイオン板橋店
(旧サティ板橋店)の中に在ったアイスクリーム店のレインボーハット
(現在は閉店)の名物ソフトクリーム「8段アイス(正式名称「8色ソフト」)」が
好物だった時期があり、以前辻さんが出演したTV番組『うたばん』の
番組内では

「一日で最高3つ食べた事がある。」

とおっしゃっていました。

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『2001年9月13日 うたばん
(好物の8段アイスの事について話す辻さんの部分のみ)』


また辻さんは、W(ダブルユー)として同じモーニング娘。のメンバーだった
加護亜依さんと一緒に出演された2004年放送の『新・食わず嫌い王決定戦』
でも「8段アイス」をお土産として持参されていました。

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辻さんは2009年6月に放送されたTV番組『スペシャルギフト』では、
自らの母校である東武練馬の徳丸幼稚園を訪れ、辻さんが
幼稚園児として通っていた当時の担任の先生と再会。
先生と幼稚園時代の思い出を語った後、徳丸幼稚園の園児の子供達に
絵本をプレゼントし、絵本の読み聞かせをしていました。

『2009年6月11日 スペシャルギフト 辻希美』



現在ご一家で東武練馬周辺にお住まいの辻さんは、ご主人の杉浦太陽さんも
ご家族で東武練馬駅周辺の商店や商業施設を頻繁に利用されているという
事で、2014年に放送された『出没!アド街ック天国』の「東武練馬」の回に
杉浦さんご自身が出演された時には、東武練馬のパン屋の鈴木ベーカリーで
いつもパンを購入している事や、東武練馬駅近くの線路沿いにある公園の
‘電車の見える公園’にほぼ毎日ご長男と一緒に遊びに行っている事などを
話されていました。

『2014年3月1日 出没!アド街ック天国 東武練馬』



東武練馬周辺にご一家でお住まいの辻さんは現在も頻繁に
東武練馬や下赤塚にある商店や飲食店を利用しており、
ご自身のブログでも写真付きで下赤塚の商店で購入した洋服を紹介したり、
飲食店で飲食をしている様子をupされています。


ちなみに、子供時代の辻希美さんの東武練馬における出来事に関係する
余談としては、以前辻さんがモーニング娘。に加入してまだ間もない頃に
出演されたラジオ番組の中で、辻さんは東武練馬駅の近くにある
ゲームセンターに子供時代に良く遊びに行っていた事を話されていたの
ですが、辻さんが小学生時代にそのゲームセンターの店内で年上の女の子達
から恐喝行為(いわゆる「カツアゲ」)をされた事まで番組の放送中に
話してしまい、当時同じモーニング娘。のメンバーだった中澤裕子さんに
「はい!話はもう終わり!」と話を途中で切り上げられてしまった一幕が
ありました。


辻さんは2015年に放送された『ウチくる!?』ではご自身の地元である
東武練馬を紹介されていました。

辻さんは番組の中で、

東武練馬にあるモスバーガー系列のレストラン「Mother Leaf 東武練馬店」
のデリプレートの食べ放題の焼きたてワッフルが大好きな事、

(番組内では、「Mother Leaf 東武練馬店」の店内にサプライズゲストとして
登場したかつてのモーニング娘。のメンバーの飯田圭織さんと保田圭さんを
見て、辻さんが「何で(2人共)東武練馬まで来ちゃったの?!」と
驚かれていました)

西台にあるレストラン「ハーブ&おいしい野菜塾レストラン」の温室栽培の
いちごがいつ実が生るのかいつも気になっていた事、

高島平にある割烹料理店の「割烹 魚春」はお父様と親子二代でごひいきに
されており、中でも辻さんは「メロカマのあら煮」が大好物である事、

など、東武練馬周辺で子供時代から地元に密着した生活を送られている事を
話されていました。

『2015年5月10日 ウチくる!? 辻希美』





・藤田隆二:(ル・クプル)

TVドラマ『ひとつ屋根の下2』の挿入歌「ひだまりの詩」で大ヒットを飛ばした
音楽ユニット「ル・クプル」の藤田隆二さんは東武練馬出身です。

1963年生まれ。

板橋区立赤塚第一中学校卒業。

藤田さんは以前、東武練馬で「藤田隆二のギター教室」を開講されていました。

(参照URL)
元URL:http://www.ryuji-guitar.com/
web archive

現在は板橋区高島平、場所は都営三田線西台駅そばにあるトミコシ会館内の
レストラン王華にて2013年に開校した「OWKAエンターテイメントアカデミー」
の学長を務められています。

(参照URL)
http://mastraia.wix.com/school




・桃井かおり<不確定>

女優の桃井かおりさんは少女時代、お父様の仕事(防衛庁)の関係で、
東武練馬の自衛隊官舎に住まわれていたようです。




・ハニホーヘニハー(カリリ・ファ・エブラヒム)

栄養ドリンクのCM「一本いっとく?」でおなじみだったイラン人タレント、
ハニホーヘニハーことカリリ・ファ・エブラヒムさんは
東武練馬の徳丸に住まわれていたようです。
ボディビルダーとしても有名なハニホーさんは
東武練馬駅近くのスポーツクラブにも通われていたとのこと。




・本多ルル(元「太陽とシスコムーン」メンバー)<不確定>

元「太陽とシスコムーン」のメンバーで、現在はソロの歌手として活動中の
本多ルルさんは、中国遼寧省から来日して初めて住まわれた場所が
東武練馬だったそうです。

太陽とシスコムーンの曲でブレイクする以前は
東武練馬北町にある中華料理店でアルバイトをしながら、
細々と芸能活動を行っていたとのこと。

(※余談ですが、当ブログ管理人もこの中華料理店に行った事があります。
東武練馬駅南口から徒歩で3分ほどの場所、商店街のはずれにあるお店で、
席数はカウンターとテーブル席を合わせても10席ちょっとの
庶民的な町のラーメン屋、という雰囲気のお店でした。)

現在もそのお店は営業しており、お店のマスターはガンコで評判だそうですが、
ルルさんの事について訪ねられると顔をほころばせて
当時の話をしてくれるとかくれないとか・・・?




・桜沢エリカ

漫画「シッポがともだち」「メイキン・ハッピィ」で著名な、
漫画家の桜沢エリカさんは東武練馬出身です。

1963年生まれ。

板橋区立赤塚第一中学校卒業。
高校は東京都立向丘高等学校を卒業。

東武練馬駅南口の中華料理店一品香(2009年6月に閉店)の四川麺が
大好きで、たまに食べに行ってらしたそうです。




・夏夕介(なつ ゆうすけ)

グループサウンズ時代のバンド、オックスのメンバーとして、
また俳優として著名だった故・夏夕介さんの劇団、シアタージャパンが
東武練馬の板橋区徳丸にあります。

シアタージャパンは成増駅の近くに拠点を構えていましたが、
2003年に現在の場所に移ってきたそうです。

夏さんが出演していた刑事ドラマ『特捜最前線』のロケ地でも、
東武練馬近辺(高島平、成増)などが良く使われていました。

(参照URL)
http://homepage1.nifty.com/tokuso/danchi.htm
http://homepage1.nifty.com/tokuso/narimasu.htm
http://urx.nu/bIGg




・加藤ひさし<不確定>

日本の代表的モッズバンド「ザ・コレクターズ」のメンバー、加藤ひさしさんは
東武練馬に一時期住まわれていたそうです。

ご出身は埼玉県妻沼市。

(情報提供 おへんろさん ありがとうございました)




・山田五郎

特徴的なヘアスタイルがトレードマークのコメンテーター、山田五郎さんは
東武練馬の北町に一時期住まわれていました。

1993年前後に東武練馬の北町に住まわれていたそうです。

2007年放送の『出没!アド街ック天国』で、隣駅の下赤塚が取り上げられた時には

「私もかつてお隣の練馬区北町に住んでましたから。
同時期にナンシー関が下赤塚に住んでいたんですよ。」

と話されていました。

他にも、『出没!アド街ック天国』の「下赤塚」の回では
下赤塚の激安洋品店「のとや」について触れ、

“のとや換算”
(のとやの価格を基準にして物を考えてしまう事)は、
危険、危険すぎる。


と語られていました。

他のTV番組でも

「練馬区の公共施設(区民体育館など)の充実度はすごい。
隣の板橋区も福祉関係が優れている。」

「板橋区の物価の安さは半端じゃない。」

等、語られていました。

そして山田さんのあの個性的なヘアースタイルは山田さんが東武練馬に
住まわれていた時に、東武練馬にある理髪店「理容室 ネリマ」のオヤジさんに
考案してもらったヘアースタイルなのだそうです。
山田さんは以前、2014年放送の『出没!アド街ック天国』の「東武練馬」の回で
この事を話されていました。

『2014年3月1日 出没!アド街ック天国 東武練馬』
(山田さんの髪型のいきさつと理容室ネリマについては15:08頃から。)


髪型の事については以前山田さんは講演の中でも話されていました。
以下、その内容です。


会場の客:
山田五郎さんの髪型ってかわいらしいですね。
その髪型って自分で考えられたのですか?
また、いつからされているのですか?
その髪型になったきっかけや、エピソードなどをお聞かせください。

山田五郎:
この髪型は、東京の東武東上線の東武練馬駅の近くの床屋のオッサンが
考えました。

(会場:笑)

山田五郎:
いきさつは、僕ここ(後頭部)がやばくなってきてて・・・。
ある日、結婚式でスピーチした後にね、トイレ行って三面鏡を覗いたら、
ここ(後頭部)が見えて「うわぁ、やばーい。」と思って。
「さっきあれみんな笑ろてたん、俺のスピーチが受けたんと違って、
これが笑われれたんかなぁ。」とかって。
そいで、スキンヘッドにしようと思って、ガーッて刈ってもらってたんですけど、
床屋のオッサンが「やめといた方がいいですよ。まともな勤めしてるんでしょ?」
ってあんまり言うから、「やめた方がいいのかな。」って。
オッサンが「上の方だけでもちょっと残しといたら?」って言って、
ここらへん(前頭部)だけ残したんですよ。
そしたらオッサンがシャレで、「じゃあちょっと尖らしてみようか。」って。
これ天パで、自動的にこうなるんです。「お、綺麗になるねぇ。」なんつって、
それでこの髪型になったんです。




・黒田福美<不確定>

映画「タンポポ」のヤクザの情婦役や、
『日立 世界・ふしぎ発見!』の初代ミステリーハンターとして有名な、
女優の黒田福美さんは東武練馬出身です。

以前TV番組の中で板橋区徳丸の出身、とご自身で話されていたそうです。

練馬区立上石神井中学校卒業。
高校は東京都立豊多摩高等学校を卒業。
桐朋学園芸術短期大学演劇学科卒。

黒田さんがヤクザの情婦役として出演した伊丹十三監督作品「タンポポ」では、
ヤクザ役の役所広司さんとの生卵のキスシーンが話題となりました。




・是枝裕和(これえだ ひろかず)

映画「幻の光」「誰も知らない」「歩いても 歩いても」などの作品の監督として
知られる、映画監督の是枝裕和さんは東武練馬出身です。

1962年生まれ。

練馬区北町3丁目のご出身。

東京都清瀬市に転居される9歳の時まで北町に住まわれていたとのこと。

出身地について是枝さんは以前、ご自身のツイッターで

「是枝裕和 @hkoreeda

太田光さんの『向田邦子の陽射し』を読みながら東武東上線で川越へ。
懐かしい車窓の風景。
誰が書いたのか知らないがWikipediaでは僕は清瀬市出身ということに
されているが、本当は練馬区北町の生まれ。
東武練馬と下赤塚の間あたりです。」

(2011年8月20日のツイート)

「是枝裕和 @hkoreeda

北町3丁目。

RT @_hicha_: @hkoreeda お疲れさまです(^O^)
監督、練馬のお生まれって聞いてびっくり!
私も練馬の生まれで小学生から西東京市なんです(*^^*)
練馬のどちらですか?」

(2012年5月2日のリツイート)

「是枝裕和 @hkoreeda

生まれは練馬なんです。9歳から清瀬の旭ヶ丘に。

RT @YUUTAROS07: @hkoreeda はじめまして。少し前から
フォローさせて頂いてます。今日知りましたが是枝監督は
清瀬市のご出身なのですね!驚きました。
私も中学の時から30年近く旭が丘団地で暮らしてます。」

(2012年5月2日のリツイート)

と、つぶやかれていました。


2013年9月22日に放送された『ボクらの時代』では
ご出身の練馬区北町について、

「生まれたのは練馬です。工場と畑ですね。」

(共演者のリリー・フランキーさんに「(練馬)大根ですよね。」と聞かれて)

「(練馬)大根ですね。」

と話されていました。

『2013年9月22日 ボクらの時代
(ご出身について話す是枝さんの部分のみ)』
(ご出身について話す是枝さんは1:39頃から。)



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上板橋出身・ゆかりのある芸能・有名人

・へらちょんぺ

『タモリのボキャブラ天国』などで人気を博した、
お笑い芸人のへらちょんぺさんは上板橋若木に以前住まわれていました。

ご自身のブログでも「板橋区若木の家賃1万5千円のアパート在住」と
紹介していらっしゃいました。

『エンタの神様 へらちょんぺ』


2005年11月には板橋区が募集した「空き店舗活用コンテスト」において、
同じ板橋区在住のお笑い芸人エスパー伊東さんと共に提案した事業プラン
「板橋芸人ショッププロジェクト」が審査員特別賞を受賞。

(参照URL)
元URL:http://itabasigeininn.hp.infoseek.co.jp/index2.htm
web archive

へらちょんぺさんは現在は上板橋から転居され住まわれていません。




・林雄司

ユニークな視点で日々の出来事をリポートするポータルサイト
「デイリーポータルZ」の編集長(ウェブマスター)の林雄司さんは
上板橋出身です。

林さんのリポートやブログでも頻繁に

「上板橋みたいだ。」

などの言葉が出てきます。

(参照URL)
http://yaginome.jp/
http://portal.nifty.com/2006/08/29/a/
http://portal.nifty.com/2007/07/03/a/




・レオナルド熊<不確定>

お笑い芸人の故・レオナルド熊さんは上板橋に住まわれていたそうです。




・菊池麻衣子

NHK連続テレビ小説『ふたりっ子』の青年期の野田麗子役で人気を博した
女優、菊池麻衣子さんは上板橋の中台の出身です。

1972年埼玉県生まれ。

お生まれは埼玉県ですが、育ったのは板橋区中台とのこと。

中学校・高校は慶応義塾中等部、慶応義塾女子高等学校を卒業。
慶應義塾大学商学部卒。

上板橋出身の菊池さんは以前『ごきげんよう』に出演された時には、

「ウチの実家の近くにドンキホーテ(練馬店)があるんですけど、
出来た時は嬉しくて毎日の様に行ってました。
あとドンキ(北池袋店:菊池さんは「首都高の池袋出口を降りてすぐのドンキ」と
話されていました。)ってちょっと簡単な食べ物とか食べる場所も
あるじゃないですか。あれも感動しましたね〜。」

と話されていました。




・櫻井敦司(さくらい あつし):(BUCK-TICK)

「JUST ONE MORE KISS」や「悪の華」などの楽曲で
1988年から1990年頃にかけて人気を博したビジュアル系ロックバンド、
「BUCK-TICK」(バクチク)のボーカル・櫻井敦司さんは、
1986年、20歳の時に故郷の群馬から上京して初めて暮らした街が
上板橋でした。

上板橋で櫻井さんは友人と2人で共同生活をしていたそうです。
当時は上板橋から高円寺のスタジオに練習の為通っていたとのこと。

ご出身は群馬県藤岡市。

櫻井さんは現在は上板橋から転居され住まわれていません。

櫻井さんは以前1992年にTBSラジオのラジオ番組
『岸谷五朗の東京RADIO CLUB』にゲスト出演された時に、
番組パーソナリティーの岸谷五朗さんから
「都会に住んでて(ロックな感じの)外見とかで、
からまれたりとかしないですか?」と聞かれ、
櫻井さんは、

「あります(小声)。昔、板橋の方に住んでいた時に、
まだデビューしていなかった頃ですけどね。
色々ありました(からまれた)ね・・・ 
まあ、こちらにも悪い所はあったんじゃないかなとは思いますけどね。」

と、櫻井さんが上板橋に住まわれていた当時の思い出を語られていました。




・荒俣宏

作家の荒俣宏さんはかつて少年時代から青年時代にかけて
上板橋に住まわれていました。

元々は1947年に東京都の台東区でお生まれになり、ご家庭の事情で
荒俣さんが5歳の時に板橋区金井窪(現在の板橋区大山金井町)へ夜逃げし、
12歳の時に再びご家庭の事情で大山から中板橋方面、そして上板橋へと
夜逃げして転居されたそうです。

『2015年5月9日 出没!アド街ック天国 上板橋』
(上板橋について話す荒俣さんは11:42頃、26:32頃、36:38頃から。)



荒俣さんは上板橋にあるお寺の金乗院(練馬区錦)のすぐそばに
現在(2015年時点)もお母様が住む実家がある事を番組の中で
話されていました。

そして、荒俣さんのお母様は上板橋の上板橋北口商店街にあるパン屋さんの
パン工房 ぽけっとで販売している「鶏蒲焼ごはんパン」が大好物という事も
番組の中で話されていました。


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ときわ台出身・ゆかりのある芸能・有名人

・寺田農(てらだ みのり)

俳優の寺田農さんはときわ台出身です。

東京都立志村高等学校卒業。
早稲田大学政治経済学部中退。

寺田さんはお生まれは当時の東京府東京市豊島区椎名町。
5歳の時に寺田さんのお父様がときわ台に土地を購入し、
ときわ台に引っ越されて来たそうです。

ときわ台には5歳の時から1人暮らしを始める20歳前後の時まで
住まわれていたとのこと。

その後平成元年にお父様が亡くなり、
その翌年の1990年から再びときわ台に戻って住むようになり、
2010年に池袋に転居されるまで20年間ときわ台で暮らされていたそうです。

<略歴>
1942年、洋画家の寺田政明の長男として生まれる。
5歳まで椎名町の「池袋モンパルナス」アトリエ村にて生活する。
早稲田大学中退後の1961年、文学座附属演劇研究所に第一期生として
入所し俳優の道を歩み始める。
文学座の同期には
岸田森、草野大悟、橋爪功、樹木希林、小川眞由美、北村総一朗らがいた。
1968年、岡本喜八監督の「肉弾」に主演し、
毎日映画コンクール主演男優賞受賞。
以降、実相寺昭雄、相米慎二、石井隆監督らの作品の常連として活躍。
ドラマ・特撮などジャンルを問わず、堅実な演技を見せ、
大河ドラマの出演数も極めて多い事で知られる。
俳優としての活動の他、映画監督・ナレーター・声優としても活躍し、
声の出演ではスタジオジブリのアニメーション映画「天空の城ラピュタ」の
ムスカ大佐役が有名。
弟子として面倒を見た元付き人に椎名桔平らがいる。
サッカーへの造詣が深く、芸能人サッカーチーム「ザ・ミイラ」には
1980年代から所属。
自らも試合でプレーする程のサッカー好きとしても有名。


(※ 「池袋モンパルナス」=大正末期から第二次世界大戦の終戦時にかけて
東京都豊島区西池袋、椎名町、千早町、長崎、南長崎、要町周辺に存在し、
多くの芸術家が暮らし芸術活動の拠点としていたアトリエ村
(貸し住居付きアトリエ群)地域の呼称。
また、この地域に暮らした画家、音楽家、詩人など様々な種類の芸術家が
行った芸術活動およびその文化全体を指す。)

寺田さんとときわ台・椎名町については、
寺田さんがご自身で語られているこちらのインタビューが詳しいです。

(参照URL)
http://gold-fish-press.com/archives/1798




・田中直紀

政治家で田中眞紀子さんの夫でもある田中直紀さんはときわ台出身です。

1940年石川県金沢市生まれ。

板橋区立常盤台小学校卒業。

中学・高校は私立武蔵中学校・高等学校を卒業。
慶應義塾大学法学部政治学科卒。

お生まれは石川県金沢市。
幼少の頃にときわ台に転居し、以降ときわ台で育たれたそうです。




・和泉元彌(いずみ もとや)

狂言師の和泉元彌さんはときわ台出身です。

板橋区東新町のご出身。

1974年岐阜県生まれ。

私立明照幼稚園年少部入園(年少のみ)。
青山学院幼稚園卒園。青山学院初等部・中等部・高等部卒業。
青山学院大学文学部日本文学科卒。

ときわ台出身の和泉さんは以前はご家族で東新町に住まわれていました。
在住当時は妻で女優の羽野晶紀さんがお1人、またご家族で
東武練馬のイオンやときわ台周辺で買い物をする姿が
頻繁に目撃されていたそうです。

羽野さんは現在、実のお姉様が同じ東武東上線沿線の朝霞に
住まわれており、お姉様と会う時には東武練馬で待ち合わせをして
お会いになる事が多いとのこと。
羽野さんは以前、2014年放送の『出没!アド街ック天国』の「東武練馬」の回に
出演し、このお姉様の事や
「板橋区に主人の実家が在り、東武練馬にも良く出かけていた。」等、
話されていました。

『2014年3月1日 出没!アド街ック天国 東武練馬』



羽野さんは2015年放送の『出没!アド街ック天国』の「上板橋」の回にも
お隣のときわ台に住んでいたという事で出演され、上板橋の商店街に
良く買い物に行っていた事について、

「(上板橋の上板橋北口商店街にあるパン屋さんのパン工房 ぽけっとの
名物パン「鶏蒲焼ごはんパン」(ご飯と鶏蒲焼をサンドした調理パン)を
初めて見た時には)

「あれ(鶏蒲焼ごはんパン)、ビックリですよ。笑うしかない。(笑)
笑いながら食べましたから。(笑)」

と話されたり、
川越街道にある上板橋の五本けやきについては、

「(埼玉の朝霞に住まわれているお姉さまの家を訪れて
当時羽野さんが暮らしていたときわ台の自宅に帰る際に)

川越街道を車で走っていて、上板橋の五本けやきを見ると、
「ああ、家(和泉さんの実家)に帰ってきた。これから都心に入るぞ。」
という気持ちになります。(五本けやきは)目印ですよ。」

等、話されていました。

『2015年5月9日 出没!アド街ック天国 上板橋』
(羽野さんが鶏蒲焼ごはんパン、五本けやきの事について話す部分は
12:32頃と36:49頃から。)



和泉さん御一家は現在は東新町から転居され住まわれていません。
しかし、東新町の狂言の稽古場には現在も通われているとのこと。
ご自身のブログでも頻繁に「今日は東新町。」「東新町へ。」等、
書かれています。

ときわ台出身の和泉さんは幼少時代から、大山の板橋区立文化会館、
成増駅北口のアクトホールなど、
地元板橋区内の施設で狂言を披露されてきており、
現在も地元ときわ台の天祖神社などで狂言を行われています。

2012年4月14日には地元ときわ台の天祖神社神楽殿において
薪狂言(たきぎきょうげん:野外で篝火(かがりび)を焚いて上演する狂言)を
行い、その感想をご自身のブログに

「御神縁に感謝し、その縁を結んで頂けた関係者の皆さんに感謝し、
お集まり頂いた皆様に感謝いたします。」

「地元って ありがたい!」

「お忙しい中、板橋区長もおいで頂き ありがたい言葉を頂戴しました。」

「地元での桜の季節の薪狂言! また来年も ご縁を頂けたら…。」

と綴られていました。

(参照URL)
http://ameblo.jp/motoya1974/day-20120414.html
http://www.tokiwadai-tenso.or.jp/topic/topic12-2.html
(ページ中程に薪狂言についてのトピックがあります)




・エスパー伊東

お笑い芸人のエスパー伊東さんはときわ台にお住まいです。
伊東さんは板橋区内のお祭りやイベントにも精力的に参加されています。

2005年11月には、板橋区が募集した「空き店舗活用コンテスト」において
同じ板橋区内に在住していたお笑い芸人へらちょんぺさんと共に提案した
事業プラン「板橋芸人ショッププロジェクト」が審査員特別賞を受賞。

(参照URL)
元URL:http://itabasigeininn.hp.infoseek.co.jp/index2.htm
web archive

伊東さんはお生まれは熊本県阿蘇郡ですが、育ったのは東京都とのこと。
幼少時代は成増に住まわれていたそうです。




・竹田高利:(コント山口君と竹田君)

お笑いコンビ「コント山口君と竹田君」の竹田高利さんはときわ台出身です。

1957年生まれ。




・小木博明:(おぎやはぎ)

お笑いコンビ「おぎやはぎ」の小木博明さんはときわ台出身です。

1971年生まれ。

私立緑ヶ丘幼稚園卒園。

板橋区立上板橋小学校、
板橋区立上板橋第一中学校卒業。

高校は東京都立北野高等学校
(2005年に都立志村高等学校との統合の為廃校)を卒業。

東武練馬(板橋区徳丸)に在った都立北野高校で
現在の相方矢作兼さんと出会いコンビ結成。

小木さん曰く、

「高1の時から矢作の存在には気付いていたけど、
高3の時に矢作と同じクラスになってから初めて矢作に話しかけて
友達になった。」

とのこと。
以前TV番組で矢作さんもこの事について話されていました。

『2013年9月16日 ネプリーグ』
(高校時代に小木さんと友達になったきっかけの事を話す矢作さんは
23:45頃から。)



同じ東上線出身という事で、成増出身の石橋貴明さんからは番組内では

「彼らはなんてったって東上線ですから。」

「東上線連合だ!」

と、東上線仲間・東上線後輩、といった感じで紹介されたりしています。

小木さんは東上線沿線の飲食店にも馴染みが深く、
大山の洋包丁、大山のレストランオオタニ、ときわ台のカッチャトーレ、
東武練馬の中華たけいし、
などのお店に足繁く通われていたそうです。

大山の洋包丁については2011年放送のテレビ東京系列『7スタBratch!』
番組内でも、洋包丁のスタミナ焼ランチが特に好きで現在も食べに行く事など
を話されていました。

2006年放送の『みなさんのおかげでした』の「新・食わず嫌い王決定戦」に
出演された際には、上板橋の和洋菓子店 ひと本 石田屋の「栗饅頭」を
お土産に持参し、

ishidaya

ishidaya1

ishidaya2

その栗饅頭を食べた石橋さんの

「うまい!やったな上板橋。これ1個いくら?140円?安い!」

との感想に小木さんは、

「でしょー。上板橋ですから。ほんと、東上線は安いですよ。」

と答えていました。


また、小木さんは20歳の時、地元板橋区の成人式で青年代表として
スピーチをしたそうですが、あがってしまい上手く喋れず、
それが今でもトラウマとして残っているそうです。

他にも、おぎやはぎのお2人は主に成増出身の石橋さんと絡む時や、
お2人の番組でも東上線トークを繰り広げています。
以下に紹介します。


(2006年10月放送の日本テレビ『天才!!カンパニー』にて)

矢作:「小木くん。」
小木:「はい。」
矢作:「大学生男子の駅伝と言えば、どこですか?」
小木:「男子の駅伝と言えば・・・箱根。」
矢作:「正解です・・・それでは女子は?」
小木:「女子?・・・まあ・・・箱根でいくと女子は・・・
熱海とかあの辺になるのかなあ。」
矢作:「そういう繋がりじゃないんですよ。箱根だから熱海・・・ないの。」
小木:「ふうん。」
矢作:「もっと上の方って言うんですか。」
小木:「東京より・・・上って事は・・・朝霞台とか、志木とか。」
矢作:「チョットだよね。」
小木:「志木まで行っちゃう?じゃあ。」
矢作:「朝霞台とか、知ってる人あまりいないよ?
地元の感じじゃなくて、もっと上、上、上。」
小木:「もっと上行くの?」
矢作:「上。」
小木:「・・・どこだろ・・・仙台??」
矢作:「・・・正解!!!」



等、東上線出身者ならではの東上線トークをされています。




・東てる美

女優の東てる美さんはときわ台出身です。

<略歴>
1956年生まれ。
1974年に「生贄夫人」でデビュー。
以後1970代後半まで日活ロマンポルノで活躍。
ポルノ引退後は、二子玉川で古本漫画書店を経営。(現在は閉店)
女優業では一般作に転じ、
『渡る世間は鬼ばかり』の小姑野々下邦子役などで名を知られる様になる。
2007年には『特命係長・只野仁』に出演。
久々に裸身を披露し、激しいベッドシーンを演じて話題に。

美保純さんと共に、日活ロマンポルノ出身で一般作でも成功した
数少ない女優さんの一人です。




・大川豊

応援団風パフォーマンスで80年代中頃に話題となり、
現在も江頭2:50などの芸人を抱える芸能事務所大川興業の“総裁”
大川豊さんはときわ台出身です。

1962年東京都豊島区生まれ。

豊島区のお生まれですが、板橋区常盤台育ちとのこと。

板橋区立上板橋第一中学校卒業。

高校は東京都立豊島高等学校を卒業。

明治大学商学部の学生時代に既に学ラン集団「大川興業」を結成していた
大川さんは当時、153社連続で就職活動に失敗し、
「自分で自分に内定を出すため」
1985年に常盤台で大川興業株式会社を興しました。

大川興業の現在の本社所在地は港区三田になっていますが、
1997年まで本社所在地は板橋区常盤台でした。

ときわ台出身の大川さんはご自身のブログでも、
ときわ台の伝説の名曲『常盤台ブルース』について
触れるなどしていらっしゃいます。

(参照URL)
ジェロ、鼠先輩の次にブレイク必至だ。
大川総裁とベトコン芸人の連絡帳:常盤台ブルース

常盤台ブルース
rakuten.co.jp




・中野忠晴

歌手で作曲家の故・中野忠晴さんは晩年、ときわ台に
住まわれていたそうです。

<略歴>
愛媛県出身。昭和9年、歌手として歌った「山の人気者」が大ヒット。
ジャズコーラスというジャンルを日本に植えつける。
他にも「バンジョーで唄えば」「チャイナ・タンゴ」「小さな喫茶店」が
立て続けにヒット。
その後戦争の激化とともにジャズが制限され、
昭和16年に自身のグループ「コロムビア・リズムボーイズ」が解散。
慰問活動などを経たのち、高知の土佐中部第八十四部隊に召集されたが
幸いにも無事帰還する。

戦後は作曲家として活躍。
江利チエミ、松島詩子、若原一郎、三橋美智也、春日八郎らに
楽曲を提供した。
代表作には三橋美智也が歌った「達者でナ」「赤い夕陽の故郷」、
若原一郎の「おーい中村君」、松島詩子の「喫茶店の片隅で」などがある。


その後も、歌謡曲を中心にヒット作を作り続けた中野さんでしたが、
1970年2月19日、肺ガンのため板橋区東新町の自宅で死去。享年60歳。

戦前の日本で明るく朗らかなジャズソングを歌い、
日本で初めて本格的なジャズコーラスグループを結成した中野さんの功績には
近年再評価の声が高まって来ています。


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中板橋出身・ゆかりのある芸能・有名人

・生田智子

元サッカー選手中山雅史さんの妻として、また、女優として有名な
生田智子さんは中板橋出身です。

1967年東京都板橋区生まれ。

板橋区立中根橋小学校、
板橋区立板橋第三中学校卒業。

高校は私立山崎学園富士見高等学校を卒業。
日本女子体育短期大学卒。

中板橋出身の生田さんは2015年放送の『出没!アド街ック天国』の
「中板橋」の回には地元出身としてご出演され、

「石神井川のそばにある中根橋小学校に通っていました。」

中板橋駅南口近くで昭和41年から営業を続けている
老舗の洋菓子店 欧風菓子 白鳥については、

「大好き、大好き、大好き。(店の洋菓子が)もうホント美味しいです。」

中板橋の老舗の洋品店 なかやについては、

「ウチのおばあちゃんがなかやのおばあちゃんと友達でした。」

生田さんが20年近く(2015年時点)通い続けているという
中板橋の洋食店 ココットについては、

「ノーメイクで行ってます。(笑)」

「すっごい美味しいですよ。お腹が空いてる時にガツガツいきたい。(笑)」

と話され、海老ドリア、豚のしょうが焼きをガーリックライスの上に乗せた
スタミナピラフがお気に入りという事、

中板橋の洋食店 キッチン亀のご主人や製麺店の遠藤製麺のご主人に
ついては同じ中根橋小学校に通っていた同級生だったという事で、

「(キッチン亀のご主人の)あだ名が「亀」とか「亀君」だったんです。」

「遠藤君とも同級生です。」

等、子供時代から地元の中板橋に密着した生活を送っていた事を話され、
そして、中板橋の一番好きな場所として、毎年春に満開の桜が咲く
石神井川沿いのスポットを挙げるなど、中板橋の思い出や魅力について
語っていらっしゃいました。

『2015年1月17日 出没!アド街ック天国 中板橋』



また、生田さんは2005年放送の『出没!アド街ック天国』の「板橋」の回に
中板橋出身として出演された時には、

「板橋の出身です。」

「ピエロ(ハッピーロード大山商店街にあるクレープ店)のクレープを
子供の頃に食べた事があります。」

等、話されていました。


生田さんは1996年に中山雅史さんとご結婚されるまでの
28年間を板橋で過ごされました。

現在もご両親をはじめ、ご親戚の多くが板橋界隈に住み、
お正月やお祝い事の時には食事会などで良く集まる為、
今でもちょくちょく板橋に帰られる事は多いとのこと。

中板橋出身の生田さんは、
2013年10月に発売された板橋区の特集ムック「板橋本」の中の
“板橋LOVERS”というコーナーで地元板橋区の事を語られていました。
以下にその一部を紹介します。


「結婚後は、夫の所属チーム(ジュビロ磐田)の拠点の静岡で
約15年暮らしました。
生まれ育った街を離れてみて感じたのは、板橋はホッとする場所という事。
特に何が在る訳じゃないけれど、小さい頃から在るお店が今も変わらずに
そこに在って、落ち着くんです。
周辺には学生時代の友人も多く住んでいますし、
街の人達も気の置けない方達ばかり。
この前も娘と一緒に(板橋の街を)歩いていると、
「お嬢さん、随分似てきたわね〜」なんて、声をかけられたりして・・・」


「私にとって板橋の街は、待っていてくれる人が居る場所。」


等、生田さんは本の中で語られていました。

生田さんは現在も中板橋に帰られた際は地元の洋食店に行かれるそうです。
洋食店は夫の中山雅史さんも大のお気に入りとのこと。

ちなみに、生田さんが夫である中山雅史選手の試合へ応援に行かれていた
時には、生田さんのお母様が板橋本町商店街にある鈴木米穀店のおにぎりを
持参して同行し応援に来ていらしたそうです。

他にも生田さんは本の中で、地元板橋区のおすすめのお店として、
上板橋の和洋菓子店 ひと本 石田屋や、
子供時代から親しんでいる大山のクレープ店 ピエロを紹介されていました。

板橋本
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・高木延秀

1980年代中頃から1990年頃にかけて活躍したアイドルグループ「忍者」の
メンバーだった高木延秀さんは中板橋出身です。

1970年生まれ。

板橋区立板橋第三中学校卒業。




・酒井和歌子

女優の酒井和歌子さんは中板橋出身です。

板橋区立板橋第四中学校卒業。

<略歴>
1949年栃木県生まれ。
生後間もなく東京都板橋区に移住。
小学校4年生の時に劇団若草に入団。
子役として活動後、東宝の青春映画で活躍。
「若大将」シリーズではヒロイン節子役を演じ人気を博す。
東宝退社後も2時間ドラマ等に多数出演。
かつては清純派女優と称されたが近年は悪女役などもこなし、
幅広い演技で女優活動を続けている。




・ちあきなおみ

「喝采」「矢切の渡し」「夜間飛行」など、多数のヒット曲で知られる歌手の
ちあきなおみさんは中板橋出身です。

1947年東京都板橋区生まれ。

中板橋出身のちあきさんは小学校2年生の時に
中板橋から神奈川県藤沢市辻堂に転居されますが、
小学校2年生の途中までは
中板橋の板橋区立中根橋小学校に通っていらしたとのこと。

ちあきさんの1974年の曲「私はこうして生きてきました」は、
「生まれは 東京 板橋で・・・」の歌詞で始まる曲で、
ちあきさんの半生が綴られた曲として知られています。

「私はこうして生きてきました
(ちあきなおみ リサイタル 1974年 中野サンプラザ) (曲の前半部分のみ)」


ちあきなおみ リサイタル 1974年 中野サンプラザ
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<略歴>
1947年生まれ。東京都板橋区出身。
5歳の時にタップダンサーとして初舞台を踏む。
幼少の頃から歌手として米軍キャンプやジャズ喫茶を回り、
10代で橋幸夫やこまどり姉妹などの前座歌手も務めた。

1969年に「雨に濡れた慕情」で歌手デビュー。
1970年の「四つのお願い」がヒットし人気歌手となる。
同年、第21回NHK紅白歌合戦に初出場を果たす。
その後も、「喝采」「矢切の渡し」「夜間飛行」「円舞曲(わるつ)」など
数々のヒット曲を発表。
紅白には1977年まで8回連続出場。
1978年に俳優の郷^治(俳優の宍戸錠の実弟)と結婚。
結婚後は歌手としてのテレビ出演の機会が減るも、
一方で本人の演劇性やコミカルな面を活かし、女優やタレントとしても活動。
1987年からの「タンスにゴン」のCMシリーズでは、
癖のある主婦を怪演し話題に。
その後「紅とんぼ」のヒットで1988年の第39回紅白に
11年ぶりの出場を果たした。

1992年に夫の郷^治が死去。郷の死後は一切の芸能活動を休止し、
現在は引退同様の状態となっている。




・平山郁夫(ひらやま いくお)

名実ともに日本画壇における最高峰の日本画家として著名である
画家の故・平山郁夫さんは、
かつてご一家で中板橋の双葉町に住まわれていました。

双葉町にて暮らされていた頃の事を、
平山さんの奥様である平山美知子さんが、ご自身が館長をつとめる
平山郁夫シルクロード美術館の美術館ニュースの中で
こう語られていました。

「平山と私は1955年(昭和30年)に結婚しました。
平山の月給、扶養家族手当を入れて1万1千円から始まった私達の生活は
決して豊かなものではありませんでしたから、
将来美術館を作るなどという事は考えた事もありませんでした。

中板橋のうす汚れたアパートは六畳一間で台所もありませんでした。
三十世帯に井戸二つという共同生活の様な日々の中で、
私は学校では教えられないよい勉強をさせてもらいました。
それから始まった約五十年を振り返ってみると、
人と人とのふれあい程大切なものは無かったと思っています。」

他にも、中板橋で暮らしていた当時、米や味噌など生活必需品を
中板橋の商店街でツケで借りていた為、
顔を上げて商店街を歩けなかったそうです。
多少生活が楽になり成増に移り住んだ後も、
世話になった中板橋の商店街への義理立てから
米などを変わらず中板橋の馴染みの店へ注文していたそうで、
ある時とうとうお店の方が、配達が遠いのでもう注文してくれなくていい・・・
と根をあげてしまった事があったそうです。




・阿部祐二

現在はTVリポーター、以前は俳優・モデルとして活動していたTVリポーターの
阿部祐二さんは中板橋出身です。

1958年生まれ。

板橋区立弥生小学校、
板橋区立上板橋第一中学校卒業。

高校は都立小石川高等学校を卒業。
早稲田大学政治経済学部卒。

俳優時代の主な出演作品は刑事ドラマ『特捜最前線』の杉敏夫巡査役や
特撮ドラマ『特捜エクシードラフト』の大門巌役など。

阿部さんは中板橋の定月医院(2014年に閉院)でお生まれになり、
15歳まで中板橋で暮らされ、高校生の時に成増に転居し、
成増に18歳の時まで住まわれていたそうです。
この事は以前ご自身でTV番組『スッキリ!!』の中で話されていました。

中板橋出身の阿部さんは2015年放送の『出没!アド街ック天国』の
「中板橋」の回に地元出身としてご出演され、

「(中板橋という街を一言で表すならば)「俺」です。僭越ながら。
僕自身が生まれ育った場所です。」

中板橋の老舗の洋品店 なかやについては、

「ウチのおふくろが(なかやに洋服を買いに)行ってました。」

ご自身の母校である板橋区立弥生小学校については、

「弥生小学校と中根橋小学校は丁度踏み切りを境にして
(通学区域が)変わるんです。
(中板橋の小学校の通学区域の話をしても大半の人は)
分からないですね。ローカルで。(笑)」

阿部さんがお生まれになった定月医院については、

「僕は中板橋の定月医院という所で産まれたんですよ。
ああ・・・何か凄く色々思い出してきました。
今日は中板橋を特集してくれて有難うございます。」

そして、弥生小学校に通っていた小学生時代に東京都の小学生相撲大会で
3位になり、相撲部屋の花籠部屋からスカウトが来た事

など、中板橋の思い出について語っていらっしゃいました。

『2015年1月17日 出没!アド街ック天国 中板橋』



また、阿部さんは以前、TV番組の中で弥生小学校時代のあだ名は
「あべちゃん」だった事、そして小学生の時に相撲大会で活躍し相撲部屋から
スカウトが来た事、更には野球関係のスカウトも来た事で中学に進学せずに
相撲取りまたは野球の道を目指そうとしていたそうですが、お父様から
「目の前に中学校(板橋区立上板橋第一中学校)があるのだから、
ダメだ(通っておけ)。」と諭され、相撲部屋入りそして野球の道に進む事を
諦めた、などの事を話されていました。

abeyayoi1.JPG

abeyayoi2.JPG

『2013年11月30日 さんま&くりぃむの第16回芸能界(秘)個人情報
グランプリ! (前半の阿部さんの出演部分のみ)』
(阿部さんの小学生時代については48:33頃と52:46頃から。)



ちなみに、阿部さんは現在千葉県の浦安市にお住まいですが、
お子様の出産は下赤塚にある産婦人科の横田医院にお願いし、
横田医院で娘さんがお生まれになったそうです。
この事は以前阿部さんがTV番組『ホンネ日和』に出演して
同じ東上線沿線下赤塚出身の国際弁護士 八代英輝さんと対談した際に
話されていました。


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大山出身・ゆかりのある芸能・有名人

・柴咲コウ

女優の柴咲コウさんは大山・要町の出身です。

1981年東京都豊島区生まれ。

豊島区立要町小学校(現:豊島区立要小学校)、
豊島区立千川中学校卒業。

高校は東京都立板橋高等学校に入学し高校2年生の時に中退。

柴咲さんは2005年中頃まで要町に住まわれていたそうです。
在住当時、大山・池袋周辺では、柴咲さんの姿が頻繁に目撃されていました。
庶民的なお店に行くことが多かったそうで、池袋周辺の居酒屋などにも
来ていらしたとのこと。

ちなみに、同じく東上線出身者のおぎやはぎの矢作兼さんとは、
豊島区立要町小学校(現:豊島区立要小学校)→豊島区立千川中学校 と
ご同窓でもあります。

柴咲さんが芸能界入りしたきっかけは、1995年、柴咲さんが14歳、
中学2年生の時に友達と池袋のサンシャインシティを歩いている所を
スカウトされるもお父様の反対によりその時は芸能界入りを見送られました。
しかし芸能界入りを諦めきれなかった柴咲さんはその後、2年後の1997年、
16歳の高校2年生の時にご自分の意志で芸能事務所に所属し、
芸能活動を始められたそうです。


柴咲さんは学生時代は池袋西口のロサ会館で学校帰りに遊んだり、
としまえん遊園地に遊びに行ったりしていたそうです。

池袋西口のロサ会館で遊んでいた事については柴咲さんは以前、
『みなさんのおかげでした』の食わず嫌い選手権に出演された時に
同じ東上線沿線成増出身の石橋貴明さんにその事を話されていました

下の動画は再び柴咲さんが食わず嫌い選手権に出演された時に、
石橋さんに再度ロサ会館のネタを振られた時の動画です。

『2006年7月20日 とんねるずのみなさんのおかげでした
食わず嫌い王決定戦 柴咲コウvs阿部寛』
(ロサ会館のくだりは03:16頃から。)



としまえん遊園地に遊びに行っていたという事については、
以前『メントレG』に出演された時に、

「豊島園めっちゃ行ってました。」

と話されていました。

『2008年5月4日 メントレG』
(としまえんのくだりは10:27頃から。)





・高田純次

タレントの高田純次さんは劇団の若手時代、
大山にあった「東京乾電池」の稽古場に通われていました。

2007年には文化放送『東京パラダイス』スペシャル2007年2月3日放送分
『高田純次&河合美智子の東京パラダイスwith吉田照美
in ハッピーロード大山』で久しぶりに大山を訪れ、
東京乾電池時代の大山での思い出を
「焼き鳥を食べたいのを我慢してインベーダーゲームに夢中になった。」等、
語ってらっしゃいました。

takadapara.jpg

他、若手劇団員だった頃には、
大山にあった飯場(工事現場内の宿泊施設)から色々な工事現場に
連れて行かれアルバイトをした事もあったそうです。




・柴門ふみ

漫画「東京ラブストーリー」「あすなろ白書」など、多数の作品で有名な
漫画家の柴門ふみさんは、お茶の水女子大時代、
大山にあるお茶の水女子大の寮に寄宿されていたそうです。

大山の寮に寄宿している時
(しかし当時別な住まいが有りそこに住まわれていた時期も有ったとのこと。)、
現在の夫で、同じ漫画家でもある弘兼憲史さんにアシスタントとして
採用されたのがご夫妻の出会いのきっかけ。

この事は以前柴門さんが女性漫画誌Kissの誌上インタビューで
話されていました。
以下に紹介します。

(インタビュアー)
(そういえば柴門さんの場合は、
大学からOL経験無しで、プロになられているんですよね。
最初は弘兼憲史さんのアシスタントをされていて・・・。
ものすごいビッグカップルですよね。)

柴門ふみ:いえいえ、付き合い始めた当初はただの貧乏な二人でしたよ。

(もし失礼でなければ、二人の出会いのいきさつを教えて下さい。)

柴門ふみ:出会いはドラマチックですよ。
私は、大学の漫画研究会で部長をしていたんです。
東武東上線の大山駅に私の大学の寮があり、その寮の漫研の子が
電車の中で漫研の同人誌を読んでいたのを、
同じ沿線の成増駅に住んでいて、自分の仕事場に通えるアシスタントを
探していた夫が見かけまして。
その時はその子に声をかけずに帰ったそうなんですよ。
でも、その日家に帰って新聞を見たら、
「家庭教師募集します。(お茶の水女子大学・大山寮)」という広告と、
大学の寮の電話番号が載っていて。
それで即座に彼が大山寮に電話をして「漫研の人に繋いで下さい!」って
言ったんです。
そこには漫研の子が居たんですが、
「自分は後輩だからよく分からないので、部長に繋いで下さい」という事になり、
寮に住んで居ずに、当時の自宅に住んでいた私に電話が
かかってきたんです。「同人誌見せて下さい」って。
最初は編集者からの電話だと思って、ドキドキしたんですけどね。

(スカウトだと思って・・・。)

柴門ふみ:「よっしゃ」って感じですよね。
それで喫茶店で待ち合わせをして、会ったんですよ。
「じゃあ、原稿を見せて」と言うから見せたら、「あ、トーン削ってるね」って
言うので、「漫画のこと、詳しいですね」って言ったら、
「だって、僕漫画家だもん」と言われて。
「なんて名前ですか?」と聞いたら、「弘兼憲史」って。
でも編集者じゃなくって、ガッカリしていた私は、「名前は知らない」って
冷たく言い放っちゃいました(笑)。
「どんな雑誌に載ったんですか?」と聞いたら、「「ビッグコミック」に載った」と
言うんですが、毎号読んでいたのに、全然記憶に無い。
だからまた「知らない」って。でも何故か気に入ってくれて、
「アシスタントになりませんか?」って言ってくれて・・・。

(何か不思議な縁が有ったんですね。)

柴門ふみ:偶然が積み重なってますよね。
私がもし漫研の部長じゃなかったら、別の人に電話がかかっていたでしょうし。
新聞広告に大山寮の電話番号が載っていなかったら、
夫は電話をかけていなかったでしょうし。

(出会った時の二人の会話を伺っていると、
恋愛にならなさそうな感じもありますが・・・。)

柴門ふみ:そうですよね(笑)。
年も10歳違いましたし。その当時私は20歳でしたが、彼は30歳でしたよ。
でも、わりと最初から気は合いましたね。話しやすい感じで・・・。

(やっぱり縁というのはあるのかもしれないですね。
そうしてその縁からご結婚されて、
今はお子さんが二人いらっしゃるんですよね。)


と、当時の事(上記エピソードは1977年頃の話)を
柴門さんは語られていました。

柴門さんは2014年にテレビ番組に出演された時にも、夫である弘兼さんや
東上線についてのエピソードを語っていました。
以下に紹介します。

「「この人と結婚したい」と思ったのはまだ学生の時で、成増から池袋に
「スターウォーズ」観に行こうって東武東上線に乗ったら、
成増で酔っ払いのおじさんが目の前に来て絡んできた。
「ねーちゃん握手しよう」って。
その時にウチの夫が隣にいて「おじさん僕と握手しましょう」と言って、
酔っ払いのおじさんの手を池袋までずっと握ってた。この危機回避能力(笑)。
殴ったら殴り返されるし。
(漫画のネタは)仕込めば良かったんですよ。東武東上線に乗って(笑)。


等、当時柴門さんが成増の弘兼さんのプロダクションで
アシスタントをしていた頃の話をされていました。


ちなみに、学生時代大山に住まわれていた柴門ふみさんのデビュー作
「P.S.元気です、俊平」の作品の中では、
主人公である俊平が“上京後に初めて暮らす街”として大山が登場しています。

(参照URL)
http://www.geocities.co.jp/Foodpia/5892/fumin/fumin.html

「P.S.元気です、俊平」はヤングマガジンにて1980年から1984年まで
連載され人気を博し、1983年には第7回講談社漫画賞を受賞。
柴門さんの名を世に広めた作品となりました。
1999年にはKinki Kidsの堂本光一さんと瀬戸朝香さん主演でTBSで
TVドラマ化もされました。

P.S.元気です、俊平
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・すぎむらしんいち

漫画「東京プー」「ホテルカルフォリニア」「右向け左!」などで有名な、
漫画家のすぎむらしんいちさんは以前大山に住まわれていました。

すぎむら先生の作品「東京プー」は大山を舞台にした作品で、
ハッピーロード大山商店街をはじめ、大山駅周辺の風景・パチンコ店・定食屋 
などが数多く登場しています。

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(クリックで大きくなります)

(あらすじは、北海道で新婚生活を送っていた主人公「カマロの信也」が
逃げた嫁を追って上京。高校時代に修学旅行で訪れた経験が有った
池袋の東武デパート周辺をさまよう内に所持金が底を突き、
無銭飲食をして逃げる最中に轢き逃げに遭い記憶喪失になっていた所を
“板橋区犬山町”で定食屋を営むマスターに保護され、“犬山”で暮らす事に。
しかし、“ラッキーロード”の住人は皆一筋縄ではいかない一癖も二癖もある
住人ばかりで、ストリートファイターのサガットにそっくりの理髪店店長に
無理矢理髪型をパンチパーマにさせられたり、・・・というあらすじです。)

(作品の中では大山の駅前の踏み切りでの乱闘シーンや、
ハッピーロード中程にある老舗のパチンコ店に毎朝並ぶシーンなど、
大山の風景が数多く登場します。)

(連載時期は1993〜1994年。)

東京プー
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大山で暮らされていた事をすぎむら先生もご自身でツイッターに、

「すぎむらしんいち @Shin1Sugimura
あ、もちろんそうです。当時住んでました。アイコンパッと見ブルース・リーだと
思ったら・・・
RT @white_angeler : @Shin1Sugimura 東京プーの商店街のモデルは
大山でしょうか??」

(2011年9月26日のリツイート)

とファンからの問いにリツイートして答えられていました。

(参照URL)
http://ameblo.jp/white-angeler/entry-11030565166.html




・吉森みきお

漫画「ライパチくん」「しまっていこうぜ!」などで有名な
漫画家の吉森みきおさんは、作品の売れない新人時代、
大山のアパートに漫画家の友人と同居していたそうです。

吉森さんは以前ご自身のHPで、大山での生活を

「あの頃はめしといえば白めしに塩などの貧乏食生活で、
原稿料やアシスタント料をもらった日には大フンパツして、
大山・中板橋の中華料理店で同居人と一緒に
ニラレバ炒めとビールを食べるのが楽しみだった。
普段の食生活が酷かったので、ニラレバを食べると食べたそばから
みるみる体に力が漲ってくるのが自分でも分かった。」

と語っていらっしゃいました。




・Tina<不確定> 

歌手のTinaさんは大山出身のようで、
TV番組の『うたばん』にゲスト出演された時には石橋貴明さんに

「大山(出身)なんですう〜。」

と言っていたそうです。




・城咲仁

元カリスマホストで現在はタレントとして活躍中の城咲仁さんは大山出身です。

1977年生まれ。

城咲さんのご実家は大山駅から徒歩5分程の場所にある
ラーメン店の「丸鶴」で、現在も「丸鶴」は大山で営業を続けています。

下の動画は「丸鶴」のレタスチャーハンが「板橋のしっとりチャーハン」として
紹介された時の動画です。

『2015年11月17日 マツコの知らない世界 板橋チャーハン&顔ハメ看板
(丸鶴の部分のみ)』



大山出身の城咲さんは、地元である
ハッピーロード商店街のクレープ店「ピエロ」、サンドイッチ店「Ksキッチン」、
居酒屋「鏑屋」、
などのお店は現在も頻繁に利用している、という事を
2005年放送の『出没!アド街ック天国』の「板橋」の回に出演された時に
話されていました。

クレープ店「ピエロ」については2011年放送の
テレビ東京系列『7スタBratch!』番組内でも、
クレープをよく食べに行く事などを話し、お店を紹介されていました。

またちなみに、城咲さんはハッピーロード大山のマスコットキャラクター
「みらいくんとゆめこちゃん」の名付け親でもあります。

当時キャラクターの名前を一般からの公募で受け付けており、
その一般公募に子供時代の城咲さんが応募した名前が採用されて
名付けられたそうです。




・りょう<不確定>

女優のりょうさんは大山に住まわれていたそうです。
ご出身は埼玉県の鳩ヶ谷市ですが、その後大山に越され、
上板橋の東京都立大山高等学校に通学されていたとのこと。
現在でも、青春時代を過ごした大山から程近い中板橋のラーメン店
「環七ラーメン 平太周」などに足繁く通われているようで、
ご本人もTV番組でお店を紹介していました。




・荒俣宏

作家の荒俣宏さんは幼少期の5歳から12歳までの間、
大山に住まわれていました。

1947年東京都台東区生まれ。

荒俣さんはお生まれは東京都台東区ですが、お父様の事業の不振により
5歳の時に板橋区金井窪(現在の板橋区大山金井町)へ夜逃げ。
大山に転居された後、ご実家は同地で瀬戸物販売兼タバコ屋兼貸間業の
「みどり屋」を営んでいらっしゃいました。

当時小学生だった荒俣さんは、お釣りを計算するのが速いという理由から
店番を務める事も多かったそうです。

板橋区立板橋第七小学校卒業。

中学校・高校は日本大学第二中学校・高等学校を卒業。
慶應義塾大学法学部卒。

子供の頃の思い出話として、
神社の境内にある富士塚によじ登って遊んだ事や、

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(上:荒俣さんが当時遊んだ、
豊島区池袋本町の氷川神社「池袋富士」の富士塚。)

母親に嘘をついて手に入れた「少年ケニヤ」の貸本を
豊島病院裏の栄町のドブ川に捨てた事、などを
以前TV番組で話されていました。

また、1998年放送のNHK『課外授業 ようこそ先輩』では
母校の板橋第七小学校を訪れ、「板七小の図鑑をつくろう」などの企画を
提案し、実際に板七小の小学生と共に作っておられました。

12歳の時にご家庭の事情で再度練馬区に夜逃げするまでの、
幼稚園〜小学生時代の7年間を大山で過ごされた荒俣さん。

荒俣さんがテレビなどで少年時代の思い出について話される時には
板橋や大山の話題が多く、ご自身のブログでも
少年時代に大山にあった映画館の名前を記事の中に出されています。

(参照URL)
http://blogs.yahoo.co.jp/aramata_hiroshi/15478912.html




・猪狩元秀(いがり げんしゅう)

現役時代、ムエタイの現役王者3人と対戦し、
3試合全てKOで勝利するという強さを誇ったキックボクサーとして、
また、K-1創成期からレフェリー・ジャッジとして長年K-1の
レフェリング・ジャッジングを務めた猪狩元秀さんは大山出身です。

1950年東京都江東区生まれ。

お生まれは江東区ですが、幼少の3歳の時に大山に転居。

猪狩さんは以前東上線成増駅南口にて「食歩記dining あ〜」を
経営されていました。
(2004年に開店し2007年に閉店)




・伊達みきお・富澤たけし:(サンドウィッチマン)

2007年M-1グランプリ王者に輝いたお笑いコンビ
「サンドウィッチマン」のお2人は以前(2008年6月まで)、
大山で暮らしていらっしゃいました。

<略歴>
元々は宮城・仙台商業高校の同級生でラグビー部仲間。
仙台吉本に所属していた富澤が、福祉関係の仕事をしていた伊達を誘って
1998年に上京。
当初は3人組だったが間も無く1人が脱退。
事務所も大手のホリプロに所属したが、
後に所属タレント9組の個人事務所フラットファイヴに移籍。
現在はサンドウィッチマンのマネージャーが立ち上げた新事務所の
グレープカンパニーに所属し活動している。


お2人は上京した1998年から2008年6月までの約10年の間、
大山の家賃6万8千円の木造アパートに2人で同居して住まわれていました。

大山に住み始めた当初、お笑いの仕事に行く時は2人一緒にアパートを出て
仕事場に向かっていたそうですが、アパート暮らしが長くなるにつれ、
近所の人に「あの2人ゲイじゃないか」と思われる事を気にして、
「出かける時はどちらかが先に出て後から付いて行くという方式に変えた」と、
以前伊達さんがTV番組の中で語っていました。

2007年M-1グランプリの王者に輝いた時、授賞式で富澤さんは

「上京して9年で、まだ相方と一緒に暮らしているので、
これ(優勝賞金1千万)で引っ越しします。」

と話していました。

M-1王者獲得直後の2007年12月下旬にはTV取材を受け、
地元大山のサウナ太陽、定食屋の美味しん坊
など2人の行きつけのお店を紹介。
美味しん坊では、からし焼肉ランチ大盛(670円)を注文。
マスターからお祝いのカニクリームコロッケをサービスして貰い、
馴染みの味に舌鼓を打っていました。

その後はハッピーロード大山商店街でささやかな凱旋パレードを行い、
商店街イベント広場においてミニライブも披露。
ネタの合間に「ハイ! ハッピーロード!!」と叫んでいました。

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『2007年12月28日 スッキリ!!』 キャプチャ画像
《携帯の方は
[http://tobu-tojo.up.d.seesaa.net/tobu-tojo/image/sandwich○.JPG?d=a0]の○の部分を1〜17に》


大山での10年間の同居生活時代については、
M-1王者獲得の9ヵ月後の2008年9月にお二人が出版した
「敗者復活」に詳しく書き記されています。

(以下、「敗者復活」より一部引用)

〜「家賃6万8000円、男ふたりの同棲生活。」〜

〜伊達さんは、富澤さんとの大山での同居時代、とにかくお金が無く、
ポケットに100円しか入っていない事もしょっちゅうだったそうです。
そういう時はもやしを買って、アパートの台所でもやしを塩コショウで炒めて
ご飯に混ぜて食べ、しのいでいたとのこと。

〜大山に引越して来てすぐにアパートのトイレの扉が壊れているのを
発見するも、そのままにしておいたそうです。

そしてある夏の暑い盛りの日に、伊達さんがトイレに入って用を足しドアの鍵を
触ったところ、ガチャッ!と音がしてそれっきりドアが開かなくなってしまい、
伊達さんはトイレから出ようとトイレの中で色々ともがくも出れず、
ドアの破壊を考えますが、それも修理代がかかるので諦めて、
トイレの小窓を割る事を思いつき小窓をパリンと割り、小窓に口を当てながら

「富澤、起きろー!」

「たすけてくれー!」

「おーい、暑くて死んじゃうよー!」

と必死に部屋に居る富澤さんに叫びましたが、
富澤さんは熟睡していて気が付かない状態。

伊達さんがトイレの小窓から必死に叫び続けて助けを求めていると、
アパートの住人が「事件が起きてる!?」と騒ぎ出した為、
大事になるのをおそれた伊達さんはそのまま黙って
6時間トイレにうずくまっていました。

そして6時間後に富澤さんが起床してトイレを開けると、
(外側からは簡単に開ける事が出来る壊れ方だった)
トイレの中で伊達さんがぐったりとのびていて、
富澤さんが「何やってんの?」とのびている伊達さんに訊くと
伊達さんは

「何やってんのじゃねえよバカ!閉じ込められてたんだよ、早く気付け!!」

と富澤さんに怒ったそうです。

〜大山のアパートはガスが切れたり壁が崩れたりと
部屋中至る所にガタが来ている部屋だったそうですが、
賃貸契約は富澤さん一人での契約にもかかわらず
伊達さんと2人で同居生活をしていた為、
大家に修理を切り出せなかったとのこと。

そうしてなるべく大家に会わない様に生活していたお2人でしたが、
家賃が遅れたりした時に大家が突然部屋を訪れる事があり、その時に
(契約していない)伊達さんが玄関に出てしまい大家と鉢合わせになり、大家に

「あれ?富澤さんの部屋でしょ?」

と怪しまれるも、伊達さんは

「ああ僕、たまたま遊びに来てんですよ。」

といつもごまかしていたそうです。

しかしこうした大家との鉢合わせが何回も続いてしまい、ある時とうとう大家が
「あんた住んでるでしょ!!」と伊達さんに詰め寄ったそうですが、
伊達さんも詰め寄られてからは、同居がバレているのを気にせず開き直って
同居生活をする様になったそうです。

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敗者復活 (幻冬舎)
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2008年6月に大山から引っ越した後もサンドウィッチマンのお2人は
ラジオ番組やTV番組で度々、大山を訪れています。

2010年にはTVのパチンコ番組で
「(パチンコ屋の)やすだによく打ちに行っていました。」、
2011年には同じくTVのパチンコ番組で大山のパチンコ店にて
パチンコを打ち、
「(パチンコの機種の)海物語をよく打ってた。」等、話されていました。

他にも2011年放送のテレビ東京系列『7スタBratch!』では、
大山に住んでいた当時、
お2人共ハッピーロード大山商店街にある新井精肉店のメンチカツが好きで、
いつも買いに行っていた事を番組内のVTRで話されていました。

富澤さんは2013年放送の『アメトーク』では、
新井精肉店の店のロゴがハードロックバンドの「メタリカ」のロゴにそっくりだ、
という事を紹介されていました。

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『2013年9月26日 アメトーク ハードロック芸人
(新井精肉店の店のロゴを紹介する富澤さんの部分のみ)』
(新井精肉店の店のロゴを紹介する富澤さんは0:38頃から。)


この回の放送で富澤さんが着ているメタリカのギタリストでボーカリストの
ジェイムズ・ヘットフィールドの衣装に似せた服は、
筋金入りのメタリカファンである新井精肉店のご主人が
『アメトーク』の放送の為に富澤さんに貸し出してくれた
ご主人のお手製の服だそうです。
この回の放送の為に富澤さんがご自身で大山の新井精肉店に出向き、
服を貸してもらったとのこと。

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2014年放送の『誰だって波瀾爆笑』では、サンドウィッチマンのお2人は
有楽町線の千川駅近くにあるつけ麺屋のつけ麺道たけしや、
ハッピーロード大山商店街にある甘味処の松屋甘味店、クレープ店のピエロ、
そして精肉店の新井精肉店を訪れ、新井精肉店の店頭では
富澤さんは新井精肉店のご主人とメル友である事などを話されていました。


『2014年10月26日 誰だって波瀾爆笑』
(お2人が千川、ハッピーロード大山商店街で食べ歩きをする部分は
34:30頃から。)



こちらの動画は、2012年2月に発売されたサンドウィッチマンのDVD、
「サンドウィッチマン ライブ2011~新宿与太郎完結篇~」に収録されている
『ちょう散歩』です。
サンドウィッチマンのお2人が深夜のハッピーロード大山商店街を
歩かれています。



サンドウィッチマン ライブ2011~新宿与太郎完結篇~
rakuten.co.jp


こちらの動画は2014年にサンドウィッチマンのお2人が『A-Studio』に
出演された時の動画です。
番組では、ホストを務める笑福亭鶴瓶さんと女優の山下リオさんが
サンドウィッチマンのお2人がかつて住まわれていた板橋のアパートを訪れて
記念撮影をされていました。

『2014年4月25日 A-Studio ゲスト:サンドウィッチマン』
(サンドウィッチマンのお2人が住まわれていた板橋の事について話す部分は
13:48頃から。)



サンドウィッチマンのお2人は大山に住まわれていた時に上板橋の
城北中央公園で草野球に勤しんでいた時期があったそうです。

城北中央公園で草野球をした後に上板橋にあるラーメン店の
蒙古タンメン 中本で激辛の名物ラーメンを食べるのが当時のお決まりの
コースだったとの事ですが、伊達さんは蒙古タンメン 中本の
激辛のラーメンが辛すぎる事について触れ、
「あまりにも辛すぎるので、あんまり好きじゃないです。」と、
お2人が出演した2015年放送の『出没!アド街ック天国』の「上板橋」の回の
番組の中で話されていました。

『2015年5月9日 出没!アド街ック天国 上板橋』
(上板橋について話す部分は13:09頃から。)





・山田詠美(やまだ えいみ)

「ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー」での直木賞受賞、
他にも、「ベッドタイムアイズ」「放課後の音符」などで知られる直木賞作家の
山田詠美さんは大山出身です。

1959年東京都生まれ。

板橋区中丸町のご出身で、小学生までの時期を中丸町で過ごされたそうです。

山田さんは現在、芥川賞の選考委員を務めていらっしゃいます。

最近では、芥川賞受賞の綿矢りささん、金原ひとみさんが影響を受けた作品
として山田さんの「放課後の音符」を挙げるなど、山田さんの作品は
現代の日本語作家に大きな影響を与えていると言われています。




・いっこく堂

腹話術師のいっこく堂さんは御一家で大山に住まわれています。

いっこく堂さんはハッピーロード大山商店街や遊座大山商店街を
よく利用されるそうで、
2005年放送の『出没!アド街ック天国』の「板橋」の回や
2011年放送の『誰だって波瀾爆笑』にて地元大山が紹介された際には、
遊座大山商店街にある焼肉店 炭焼工房 朱雀門や、
遊座大山商店街にある沖縄そばの店 めーばる製麺 海人のいえ 大山店に
ご家族で食べにいらしている事、

2011年放送の『誰だって波瀾爆笑』や
2011年放送の『7スタBratch!』でご自身の地元である大山を
紹介した際には、
ハッピーロード大山商店街にある老舗の甘味店 松屋甘味店の大学芋と
昔ながらの焼きそばをよく食べに行く事などを話されていました。

他にも2005年放送の『出没!アド街ック天国』の「板橋」の回や
2011年放送の『7スタBratch!』では、
ハッピーロード大山商店街にあるかばん店 ダイワバッグで購入したバッグを、
仕事用のバッグとして愛用している事などを話されていました。




・佐々木剛(ささき たけし)

『仮面ライダー』で仮面ライダー2号 一文字隼人役を演じた
俳優の佐々木剛さんが現在、大山で居酒屋「バッタもん」を経営されています。

2012年5月にオープン。
佐々木さん自身が厨房に立ち接客もするこのお店に、
仮面ライダーファンが続々と来店しているそうです。

佐々木さんは1971年に放送を開始した『仮面ライダー』で
仮面ライダー2号 一文字隼人役を演じて人気を博し、
その後の俳優活動も順調でしたが、1982年、佐々木さんが34歳の時に
自宅アパートで自らが原因の火事を出し、
役者の命とも言える顔に大火傷を負った事により
長らく俳優業を離れる事となり、俳優業を離れた後は
ちり紙交換、石焼イモ屋、警備員等の職業を転々、
果てはホームレス生活も経験するなど波瀾万丈の人生を歩まれています。

佐々木さんの半生についてはこちらの動画で詳しく紹介されています。

『2012年11月13日 佐々木剛 大山で居酒屋を経営』
(佐々木さんのくだりは7:18頃から。)


こちらのサイトでは「バッタもん」を開店したきっかけを
佐々木さん自身が語られています。

(参照URL)
http://portal.nifty.com/kiji/120928157563_1.htm

佐々木さんは新潟県新発田市出身。
大山という場所を選んだ理由は、大山にあるホールで芝居をするなど
大山に縁があり、居酒屋を開店されたとのこと。
当初は中板橋や十条でもお店を出す場所を探していたそうです。

-バッタもん-
〒173-0014 東京都板橋区大山東町28−6 ダヴィンチ板橋B1
TEL 03-3962-1825




・マギー司郎

ネタをばらしながらマジックをするマジシャンとして有名な、マジシャンの
マギー司郎さんは以前大山に住まわれていました。

2000年代終わり頃まで長く大山熊野町に住まわれていたそうです。

マギーさんはご自身のネタの中でも、行きつけのお店だった
大山金井町に在る喫茶店 コーヒーショップ ピノキオを
ネタの枕詞にされる事もありました。

枕詞は最初は

「これね。板橋の喫茶店のマスターに好評だったネタね。」だったのが、
「これね。大山の喫茶店のマスターに・・・」となり、最後は
「これね。大山金井町のピノキオのマスターに・・・」と、

どんどん内容が詳細になっていっていました。

大山の喫茶店 ピノキオは他にも

「これ、女性に好評なんですよ。
大山金井町のピノキオのお客の女性3人に凄く褒められたんです。」

等、マギーさんのネタの中で度々使われていました。

大山金井町に長く住まわれていたマギーさんは、
上板橋や大山界隈の居酒屋や大衆酒場がお気に入りとのこと。
2013年10月に発売された板橋区の特集ムック「板橋本」の中の
“マギー司郎さんと行く くだまき板橋 大衆酒場”というコーナーでは
マギーさんが板橋区の居酒屋・大衆酒場について話されていました。
以下にその一部を紹介します。

「長い事東武東上線沿線に住んでいてね、板橋区民だったの。
友人も多くてね、なんか落ち着くんだよね。」

「(板橋区の大衆酒場について)なにしろ気取らないでしょ。
普段着でぶらりと来られる。
都心で呑むよりずっとリラックス出来るのがいいよ。
それが板橋の良さだよね。」

「気取らない町が大好きなのよ。」

と、マギーさんは本の中で話されていました。

板橋本
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posted by pokochi444 at 05:04 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

下板橋出身・ゆかりのある芸能・有名人

・中山美穂・中山忍

女優の中山美穂さんは東京都小金井市出身(お生まれは長野県佐久市)
ですが、中学校3年生の時にご家族で下板橋(新板橋方面)に引越され、
しばらくの間下板橋で暮らされていました。

板橋区立板橋第五中学校卒業。

高校は都立北園高校夜間部(定時制)に入学。

学校帰りには大山のハッピーロード商店街に寄り道をする事もあったそうです。

「クレープをかじりながら歩いていた。」

「文房具店で見かけた。」

などの、目撃情報が当時多数ありました。

当時、新板橋付近の町内会のお祭りなどでも目撃情報があったとのこと。

(上記 中山美穂さんが15歳前後の当時の情報 1985年頃)

美穂さんの妹で女優の中山忍さんも板橋第五中学校を卒業。
板橋五中ではバレー部に所属していたそうです。
高校は日出女子学園高等学校に入学。

中山さん御一家は現在は下板橋から転居され住まわれていません。




・土田晃之(つちだ てるゆき)

お笑い芸人の土田晃之さんは『タモリのボキャブラ天国』に出演していた
当時から、ご結婚されお子様が生まれた後しばらくの間まで、
豊島区池袋本町にある集合住宅「シスナブ池袋本町」に住まわれていました。

池袋本町で暮らされていた当時の事について土田さんは
以前雑誌のインタビューで、

「高校時代のバイト先の先輩が
池袋の西武デパートの地下鮮魚売り場で働いていると聞いて、
住んでた家からも近かったんで先輩を訪ねたんですけど、
いきなりエプロンと大量のシールを手渡されて「これやっとけ」と言われて、
2時間くらい「甘口」と印刷されたその大量のシールを
商品に貼り続けた事があります。
女子高生から「あれ、土田じゃない?」なんて言われながら、
黙々と「甘口」シールを貼り続けましたね。」

「ある日夫婦喧嘩になり嫁が「実家に帰る」と言って家を飛び出たんだけど、
なぜか大宮のウチ(土田家)の実家に帰っていたんです。
たぶん、嫁の実家は千葉で遠かったんで
池袋本町の家から近いウチの実家の方を選んだんでしょーね。」

と語られていました。

他にも土田さんは、2011年放送の『出没!アド街ック天国』の「大山」の回に
出演された際には、

「昔、大山の隣の下板橋という所に独身時代から住んでて、
結婚して子供が生まれた後もしばらく住んでいたんです。
だから大山にはよく買い物に行ったりご飯を食べに行ったりしていましたね。
大山は、遊座大山の方はご飯を食べるお店が多いんで
“めしゾーン”なんですよね。
家族でハッピーロードで買い物した後、
「今日買った材料でご飯作って食べようね」って言って、
帰ってウチでご飯食べようとするんですけど、
帰り道の途中に遊座大山商店街を通るので、結局いつも遊座で
ご飯を食べちゃってましたね。
それでその後山手通りを越えて家に帰るのがウチの家族の買い物の
パターンでした。
(少し間を置いて)ああ・・・良かったですね。板橋。なんか。」

と、下板橋で暮らされていた当時の思い出を話されていました。

土田さんのご出身は埼玉県大宮市(現:埼玉県さいたま市大宮区)。
お生まれは練馬区とのこと。

ちなみに土田さんは池袋本町にあるケーキ屋 創作菓子ラティーネで、
現在もご家族のバースデーケーキを頼んでいらっしゃるそうです。
『はなまるマーケット』に出演された時にご自身でおっしゃっていました。
その時のおめざもラティーネのバナーヌ・オ・ガクというケーキを
紹介されていました。

(情報提供 おへんろさん ありがとうございました)


posted by pokochi444 at 05:03 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北池袋出身・ゆかりのある芸能・有名人

・安斎肇(あんざい はじめ)

アートディレクター、イラストレーター、ソラミミストなど、
多数の肩書きを持ち活動されている
デザイナーの安斎肇さんは北池袋出身です。

北池袋出身の安斎さんは以前、ご自身のプロフィールに

日本のメンフィス、北池袋出身」

と書いていらした時期がありました。

1953年東京都広尾生まれ。

この「広尾生まれ」について安斎さんは以前
ラジオ番組『爆笑問題の日曜サンデー』の中で、

「まあ広尾の日赤病院で産まれたというだけですよ。はい。
すぐ北池袋で(暮らし始めましたから)。」

と話されていました。
その話を聞いて同じ東上線沿線上福岡出身の太田さんは爆笑していました。

『2013年8月18日 爆笑問題の日曜サンデー ここは赤坂応接間
ゲスト:安斎肇』
(出身について話す安斎さんは6:30頃から。)


他にも安斎さんは『タモリ倶楽部』の「全日本踏切大賞」という企画の中で
豊島区池袋付近の踏切を訪れた時には、

「高校生の頃、地元の北池袋の踏切で自分と一緒に歩いていた
ツッパリの幼馴染が、対面から歩いてきた不良と喧嘩になって怖かった。」

という話をされていました。




・天野ひろゆき:(キャイ〜ン)

お笑いコンビ「キャイ〜ン」の天野ひろゆきさんは以前、
北池袋に住まわれていました。
東武東上線北池袋駅から程近い上池袋に住まわれていたのとのこと。

ご出身の愛知県から静岡県内の大学へ進学。
その後上京し、向ヶ丘遊園で暮らした後、上池袋へ転居。

天野さんが上池袋に住んでいた当時、相方のウド鈴木さんが池袋で飲んで、
朝、気がつくと池袋駅前の電話ボックスの中で
パンツ一枚とボロボロのシャツだけ着ている状態で財布や服なども無くなり
一文無し状態になっていて、
池袋駅前の交番に駆け込んで電車賃を借りようとするも貸してもらえず、
当時、上池袋に住んでいた天野さんの家までウドさんがボロボロの格好で
池袋駅前から徒歩で歩いてお金を借りに行った事があったそうです。

ウドさんは池袋駅前からパンツ一枚とボロボロのシャツという格好で
数百メートルを歩き、もう少しで上池袋の天野さんの家、という所で、
限り無く不審な姿で歩いているウドさんを見つけた警察官に捕まり、
再び池袋駅前の交番に連れ戻されてしまったとのこと。

『2009年9月24日 ウド パンツ一枚で池袋駅前から上池袋まで歩いた時の話』
(パンツ一枚で池袋駅前から上池袋まで歩いた時の話は3:25頃から。)


天野さんは現在は上池袋から転居され住まわれていません。


posted by pokochi444 at 05:02 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

池袋出身・ゆかりのある芸能・有名人

・横山めぐみ

女優の横山めぐみさんは池袋出身です。

東池袋でお生まれになり、
青山学院大学を卒業する22歳の頃まで東池袋に住まわれていました。

1969年東京都豊島区東池袋生まれ。

豊島区立時習小学校、
(豊島区立時習(じしゅう)小学校は2003年に廃校。
学校業務は豊島区立大塚台小学校と統合し、
現在の豊島区立朋有小学校(旧:豊島区立大塚台小学校)へ
引き継がれました。)
豊島区立西巣鴨中学校卒業。

高校は東京都立竹早高等学校を卒業。
青山学院大学文学部第二部教育学科卒。

横山さんはドラマ『北の国から』の大里れい役で有名になり、その後、
菊池寛原作の小説を元に製作されたTVドラマ『真珠夫人』で再び脚光を浴び、
女優としての立場を確実なものとし、現在も女優として活動中です。

東池袋出身の横山さんは2011年にはTV番組で
ご自身の地元の東池袋・巣鴨周辺を
関ジャニ∞の安田章大さん、錦戸亮さんのお2人と一緒に回られていました。

『2011年10月30日 冒険JAPAN! 関ジャニ∞MAP』

(動画が表示されるまで時間がかかる事があります)
(動画が表示されない場合はこちら

番組の中で横山さんは、

「(サンシャイン60が出来た当時)こんなに高い建物は日本には無かった。」

「実家と当時通っていた学習塾の丁度間にサンシャイン60があったので、
サンシャイン60の建物の中を通って塾に通った。」

「小さい頃、(文京区本駒込にある)六義園に父と散歩しながら来た。」

と話されていました。
他にも、巣鴨の地蔵通り商店街に家族と良く食事に行った事、などが
番組内で紹介されていました。




・山下達郎(〜少年時代:12歳まで)

池袋のご出身です。

<略歴>
1953年2月4日、東京都豊島区池袋に生まれる。
池袋(池袋駅西口界隈)で割烹料理店を営む両親の元、一人っ子で育つ。

1959年4月、豊島区立池袋第五小学校
(現:池袋小学校。2005年に池袋第五小学校と大明小学校が統合し開校。)
入学。
小学6年生の時に鼓笛隊に参加。

1965年4月、豊島区立高田中学校
(現:千登世橋中学校。
1999年に高田中学校と雑司ヶ谷中学校が統合し開校。)
入学。
ブラスバンドでドラムスを担当。

1965年、中学1年生の3学期に達郎の母の希望で、
東武練馬(練馬区平和台)に転居。菓子店を営み始める。

(ご両親が「達郎を育てる為に水商売はやめよう」と話し合ったとのこと。)
(池袋の繁華街に人が増え、「達郎の教育上良くない」との考えも
あったそうです。)

東武練馬に越してからも、高田中学に越境通学で通い続ける。
中学2年生の時、友人とアマチュアバンドを組む。ドラムス担当。

1968年4月、東京都立竹早高等学校入学。

1972年4月、明治大学法学部入学。
ほとんど大学には現れず、そのまま退学。


池袋出身の山下さんは、2012年にTBSラジオのラジオ番組
『大沢悠里のゆうゆうワイド』に出演された時には

「僕の実家は東武練馬で、生まれは池袋なんです。
小さい頃は、名前は忘れてしまいましたが、
(池袋の)平和通りの銭湯に行ってましたよ。」

と話されていました。


他にも、以前1991年に山下さんが『とんねるずのオールナイトニッポン』に
ゲストとして出演された時には、同じ東上線沿線成増出身の石橋貴明さんと
地元の話で盛り上がっていました。

(山下さんが池袋駅構内東口地下に在った「スナックランド」の話をする。)

山下達郎:「あそこに100円のカレーがあってね。
100円で食べられる立ち食いのカレーがあったでしょ。」

石橋貴明:「あっ、あそこ、あと、サラダうどんって食べた事ありますか?」

山下達郎:「そうそうそうそう。(笑)」

石橋貴明:「あっ!(笑) サラダうどん食べてましたか!(笑)」

山下達郎:「他人の感じがしませんね。(笑)
何か初めて会った気がしませんね今日は。(笑)」

石橋貴明:「(スナックランドで)チーズドック食べた事あります?」

山下達郎:「ありますあります。(笑)」

石橋貴明:「これが! 蜂蜜かけて。」

山下達郎:「ありましたね〜。」

(※ スナックランド=1997年まで池袋駅構内東口地下に存在した
立ち食い専門の飲食エリア。)

山下さんは、池袋の文芸座や日勝地下などの映画館や、
西口の喫茶店 蔵王やフラミンゴ、東口の喫茶店 耕路などの話も
石橋貴明さんとされていました。

『1991年 とんねるずのオールナイトニッポン ゲスト:山下達郎
(東上線や池袋についてのトークをされる山下さんと石橋さんの部分のみ)』





・さだ まさし

豊島区の、区制70周年を記念した「豊島区民の歌「としま未来へ」」は、
さだまさしさんの作曲です。

この「豊島区民の歌「としま未来へ」」は
2002年に豊島区政70周年記念事業の一環で企画され完成しました。




・優香(ゆうか)

高校時代(1997年3月27日)に池袋のP´(ピーダッシュ)パルコで
スカウトされ、芸能界へ。

1階のエレベーター前でエレベーター待ちをしていた時に
ホリプロの関係者にスカウトされたそうです。
優香さんご自身も以前TV番組で思い出の場所として訪れていました。

ご出身は東京都あきる野市の優香さんは、
高校時代は学校帰りに池袋サンシャインのアルパなどにも
良く買い物に来ていらしたとのこと。

ちなみに優香さんがスカウトされた同じ日に、俳優の藤原竜也さんも
池袋でスカウトされています。




・夏木マリ

歌手として1970年代に活躍し、そして現在は女優として活動中の
夏木マリさんは池袋出身です。

1952年池袋生まれ。

夏木さんはお生まれは池袋ですが、
育ったのは埼玉県の大宮市(現:埼玉県さいたま市大宮区)とのこと。
小学校および中学校は、
埼玉県の大宮市立三橋小・中学校(現:さいたま市立三橋小・中学校)を卒業。
2004年にはNHK『課外授業 ようこそ先輩』に出演し、
三橋小学校の生徒と課外授業をされていました。

<略歴>
豊島岡女子学園高等学校卒業後にスカウトされる。

デビュー前には、同じ池袋出身の藤田まことの公演前座歌手を務め
準備養成し、1971年に本名の“中島淳子”の名で歌手デビュー。

1973年、“夏木マリ”に改名後リリースしたシングル「絹の靴下」が、
独特のフィンガーアクションなども手伝って話題を呼び、ヒット曲に。
その後は女優として活躍。1980年からは日劇ミュージックホールに出演。

2001年には、声優として出演した「千と千尋の神隠し」湯婆婆(ゆばーば)役で
高い評価を受ける。

最近では、女優、声優、CM、ナレーターなど出演多数のご活躍です。




・藤田まこと

コメディアン、俳優として永きにわたり活躍された故・藤田まことさんは
池袋の出身です。

<略歴>
無声映画時代のスター俳優だった藤間林太郎を父に持つ。
林太郎は当時の映画会社帝国キネマに在籍し
大阪府東大阪市を拠点に活動していたが、
火災により撮影所が消失したことから、大都映画に移籍。
東京府東京市豊島区池袋(現在の東京都豊島区池袋)に移り住み、
1933年(昭和8年)、藤田は池袋で生を受けた。
小学校3年生の時に大阪府枚方市、さらに戦火を避ける為京都に転居。
高校卒業後はディック・ミネに師事し、歌手として芸能界デビュー。
同時期に地方巡業のコメディアンとしてもデビューし、
その後は、

1957年:『びっくり捕物帳』(大阪テレビ)
1961年:『スチャラカ社員』(ABC)
1962年:『てなもんや三度笠』(ABC)
1973年:『必殺仕置人』(ABC)
1979年:『京都殺人案内』(ABC)
1988年:『はぐれ刑事純情派』(テレビ朝日)
1998年:『剣客商売』(CX)

他、様々なテレビシリーズに出演。俳優としての地位を不動のものとした。

2007年には『必殺仕事人2007』にて再び中村主水役を演じるも、
翌2008年に食道がんが発覚。治療に入る。
がんの治療を継続しつつ、2009年には『必殺仕事人2009』に出演。
その後もリハビリを続けていたが、
2010年2月16日、大動脈瘤破裂により死去。享年78歳。
1月に体調の回復が認められた為ナレーションの仕事を受け、
3月の完全復帰を目前にした中での急死であった。

藤田の死に、共にテレビ創成期時代に活躍した大村崑は、
「まことちゃんとの思い出は尽きない。大阪人の宝です。」
白木みのるは、「僕の大きな友達を無くした。」との追悼の辞を発表するなど、
多くの演劇・芸能関係者がコメントを残し藤田を偲んだ。


藤田さんは死ぬまで、コメディアンから俳優となっても喜劇にこだわりを持ち、
「上方喜劇の灯を消したらあかん」を口癖にされていたそうです。




・ダニエル・カール<不確定>

旅番組のリポーターなどでおなじみのダニエル・カールさんは、
山形から上京後、御一家で池袋に住まわれていたそうです。




・矢作兼:(おぎやはぎ)

お笑いコンビ「おぎやはぎ」の矢作兼さんは池袋出身です。

豊島区立要町小学校(現:豊島区立要小学校)、
豊島区立千川中学校卒業。

高校は東京都立北野高等学校
(2005年に都立志村高等学校との統合の為廃校)を卒業。

1971年生まれ。
矢作さんはお生まれは山梨県富士吉田市。
矢作さんが3歳の時にご両親が離婚し、その時に山梨から
お母様、3歳年上のお姉様と一緒に東京に移られたそうです。

『2013年7月19日 おぎやはぎのメガネびいき
(矢作さんが両親の離婚と3歳まで暮らした富士吉田市について語る
部分のみ)』


矢作さんが3歳の時にお母様と離婚し生き別れとなっていたお父様は現在、
山梨県の河口湖周辺で猿回しをされているそうです。

この事については以前、おぎやはぎのラジオ番組『おぎやはぎのメガネびいき』
の「オギーチ」というコーナーの中で矢作さんのお父様を探す企画があり、
相方の小木さんが河口湖周辺に出向き調査しましたが、
お父様を見つける事は出来ず、結局真相は判りませんでした。
しかしどうやら矢作さんのお父様が河口湖で猿回しをされているというのは
「かなり濃厚な線で事実」とのこと。
矢作さんご自身も以前、
『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「トークダービー」という
コーナーの中でこの事について話されていました。

『2007年3月8日 とんねるずのみなさんのおかげでした』
(生き別れになったお父様の話をする矢作さんは14:10頃から。)



東武練馬(板橋区徳丸)に在った都立北野高校で
現在の相方小木博明さんと出会いコンビ結成。

矢作さん曰く、

「高1の時から小木の存在には気付いていて
「アイツ、気になるなあ〜」と思っていたけど、
高3の時に小木と同じクラスになってから初めて小木に話しかけて
友達になった。」

とのこと。
以前TV番組でこの事について話されていました。

『2013年9月16日 ネプリーグ』
(高校時代に小木さんと友達になったきっかけの事を話す矢作さんは
23:45頃から。)



同じ東上線出身という事で、成増出身の石橋貴明さんからは番組内で、

「彼らはなんてったって東上線ですから。」

「東上線連合だ!」

と、東上線仲間・東上線後輩、といった感じで紹介されたりしています。

池袋出身の矢作さんは子供の頃、お母さんが買って来てくれる
池袋西口に現在も在るケーキ店 キクヤのケーキが
とても楽しみだったそうです。

矢作さんは東上線沿線の飲食店にも馴染みが深く、
大山の洋包丁、大山のレストランオオタニ、ときわ台のカッチャトーレ、
東武練馬の中華たけいし、
などのお店に足繁く通われていたとのこと。

大山の洋包丁については2011年放送のテレビ東京系列『7スタBratch!』
番組内でも、洋包丁のスタミナ焼ランチが特に好きで現在も食べに行く事など
を話されていました。

ちなみに、同じく東上線出身者の柴咲コウさんとは、
豊島区立要町小学校(現:豊島区立要小学校)→豊島区立千川中学校 と
ご同窓でもあります。

矢作さんは2013年には豊島区立千川中学校の同窓会に出席し、
25年ぶりに千川中学校の同級生との再会を懐かしまれたとのこと。
同窓会は池袋のカラオケ店 パセラで開かれたそうです。
同窓会に出席した時の事は矢作さんが以前ラジオ番組の中で
ご自身で語られていました。

『2013年7月5日 おぎやはぎのメガネびいき
(矢作さんが同窓会に出席した時の話をする部分のみ)』



他にも、おぎやはぎのお2人は主に成増出身の石橋さんと絡む時や、
お2人の番組でも東上線トークを繰り広げています。
以下に紹介します。


(2006年10月放送の日本テレビ『天才!!カンパニー』にて)

矢作:「小木くん。」
小木:「はい。」
矢作:「大学生男子の駅伝と言えば、どこですか?」
小木:「男子の駅伝と言えば・・・箱根。」
矢作:「正解です・・・それでは女子は?」
小木:「女子?・・・まあ・・・箱根でいくと女子は・・・
熱海とかあの辺になるのかなあ。」
矢作:「そういう繋がりじゃないんですよ。箱根だから熱海・・・ないの。」
小木:「ふうん。」
矢作:「もっと上の方って言うんですか。」
小木:「東京より・・・上って事は・・・朝霞台とか、志木とか。」
矢作:「チョットだよね。」
小木:「志木まで行っちゃう?じゃあ。」
矢作:「朝霞台とか、知ってる人あまりいないよ?
地元の感じじゃなくて、もっと上、上、上。」
小木:「もっと上行くの?」
矢作:「上。」
小木:「・・・どこだろ・・・仙台??」
矢作:「・・・正解!!!」



等、東上線出身者ならではの東上線トークをされています。

また、矢作さんは以前、芸人になる前の頃に、
要町のハタスポーツプラザ(2011年4月閉館)1階のレストランでアルバイトを
していた時期があったそうです。
下の動画は2006年放送の『リンカーン』で、
矢作さんゆかりのハタスポーツプラザにダウンタウンを招いた時の動画です。

『2006年5月9日 リンカーン』
(ハタスポーツプラザでの模様は14:36頃から。)





・角田拓也・角田和也:(ザ・たっち)

双子のお笑いコンビ「ザ・たっち」の角田拓也さん角田和也さん兄弟は以前、
池袋に住まわれていました。

お2人はお笑いコンビとしてデビュー後、
しばらくは栃木県の実家(理髪店)暮らしでしたが、
仕事が増えてきたのを機に上京。
東京での生活を池袋で始め、2年間程住まわれていたとのこと。

東京の中でも池袋を選んだ理由については、
「池袋の美味しいラーメンが食べたいから」だったそうです。
TV番組『ザ!世界仰天ニュース』にて当時ご自身で話されていました。

お2人が以前ゲスト出演された『ウチくる!?』では、
西池袋の蒙古タンメン中本、焼肉家、東池袋のとんちゃらり、
北池袋の大衆食堂山田屋、
などを紹介されていました。

(情報提供 おへんろさん ありがとうございました)




・藤原竜也

俳優の藤原竜也さんは、中学生の時(1997年3月27日)に
友人数人と池袋の街を歩いていたところをスカウトされ、
それが芸能界入りのきっかけになったそうです。

ちなみに藤原さんがスカウトされたその数十分前に、
同じ池袋で優香さんがスカウトされています。
藤原さん優香さん共にホリプロによるスカウトだったそうです。

藤原さんのご出身は埼玉県秩父市。




・三木たかし

作曲家の故・三木たかしさんは、池袋出身です。

<略歴>
1945年、東京生まれ。
1967年、「恋はハートで」で作曲家デビュー。
以後、ヒットメーカーとして多数の歌手に楽曲を提供する。
代表曲は「津軽海峡冬景色」、「つぐない」、「夜桜お七」など。


三木さんは生前、夕刊紙のインタビューにて、
終戦直後の池袋に住まわれていた当時の事を話されていました。
以下がその内容です。

「僕の妹が黛ジュンなのは、みなさんご存じだと思います。
僕とジュンの子供時代は貧しさの極みでしたね。
僕の父はいろんな事業に手を出しては失敗し、
そのたびに借金を膨らませてしまうような人でした。
だから、電気とガスを止められた事もあって、
ローソクを買ってきて生活したのを覚えてます。
もっとも、終戦直後の事で、みんな貧しかったから
悲愴感はありませんでしたね。
むしろ、3部屋に11人がギューギューに住んでいる楽しい一家でした。

当時、家があったのは池袋。
ここに、まず両親と4人兄妹の計6人が奥の八畳間に住んでいました。
隣の六畳間には、僕の従姉妹で、後に歌手になった渡辺友子の家族4人。
その他にもう1人、父の一番下の弟がまだ独身で、
間借りみたいに住んでました。
そんな中でジュンはどうやって家計を助けたか。
もう8歳の頃から人前で歌ってお金を稼いでいたんです。

8歳ですから、普通なら歌わせてくれませんよね。
でも、ちょうどその頃、父がやっていたのがキャバレーの支配人。
そのツテをたよって、浅草のキャバレーや、夏祭りのステージで
歌わせてもらっていた。
僕より3つ下のジュンは幼い頃から引っ込み思案で、
人前で歌うのは苦手でした。」


このインタビューが行われた2006年、
三木さんは下咽頭がんで声帯の一部を切除、声を失ってしまいます。
2009年には『NHK歌謡コンサート』で、
実妹の黛ジュンさんと30年ぶりの共演を果たすも、
これが三木さんの生涯最後のTV出演となってしまいました。

2009年5月、がんにより岡山県岡山市内の病院で逝去。享年64歳。

三木さんは昭和歌謡を代表する作曲家の一人として、
現在も高い評価を受け続けています。




・松本潤

アイドルグループ「嵐」のメンバー、松本潤さんは池袋出身です。

1983年 東京都豊島区生まれ。

1990年 豊島区立時習小学校入学。1995年度卒業。

(豊島区立時習(じしゅう)小学校は2003年に廃校。
学校業務は豊島区立大塚台小学校と統合し、
現在の豊島区立朋有小学校(旧:豊島区立大塚台小学校)へ
引き継がれました。)
(豊島区立時習小学校が在った場所は現在、
帝京平成大学池袋キャンパスになっています。)

1996年 豊島区立西巣鴨中学校入学。1998年度卒業。

高校は1999年に堀越高等学校TRAIT(トレイト)コース
(以前は芸能活動コースと呼ばれていました。)に入学。2001年度卒業。

松本さんは小学校1年生から中学校1年生まで軟式少年野球をしていて、
ポジションはキャッチャーだったそうです。
時習小学校ではクラブ活動でバスケットボールをしていたとのこと。
当時は漫画「スラムダンク」が大好きだったそうです。

小学校6年生の時にはバスケットボールクラブのキャプテンを務め、
小学校バスケットボールの都大会にも出場されました。

時習小学校時代の松本さんは、松本家の
「わんぱくで元気の良い子供こそ我が家の男の生き方だ。」という
お父様の“家訓”の元ですくすくと育ち、
中学受験の為の受験勉強をしている子達を尻目に
「とにかく毎日外で元気一杯に遊んでいた」とのこと。
小学校時代の松本さんの成績は「ごく普通」だったそうです。

時習小学校で松本さんの担任だった先生は、

「松本君は“自然児”という言葉がぴったりの生徒でした。」

とおっしゃっていたそうです。

matsujunsyougaku1.jpgmatsujunsyougaku2.JPG

(上:豊島区立時習小学校時代の松本さん。)

ちなみに松本さんは西巣鴨中学校に入学してすぐに
学級委員に任命されましたが、
これは小学校時代の松本さんを見てきた時習小学校の先生が、
西巣鴨中学校の松本さんの入学したクラスの先生に「推薦」し、
松本さんは学級委員に任命されたそうです。
この事は以前松本さんがご自身で、
雑誌「MYOJO」の1999年4月号のインタビューで話されていました。
一部を以下に紹介します。

(「MYOJO」1999年4月号より一部引用)


(松潤)
高校、無事に合格したよ!いやー、良かった良かった。
新生活には特に不安は感じてないよ。逆に凄く楽しみ。
何たって“勉強意欲”に燃えてるからね。いや、本気なんだって(笑)。
勉強ってやって無駄になる事無いし、勉強出来る状況に居る内に、
ちゃんと勉強しておいた方が良いもんね。

3月には中学も卒業かぁ。
中学に入ったばっかりの頃、学級委員だったんだよ。
しかも小学校の先生の推薦だったんだ。優秀だったんですねぇ(笑)。

(女子の学級委員の)相手の女の子は、
いわゆる優等生タイプの人だったなぁ。
中1でジャニーズに入って忙しくなっちゃったから、
きっと「全然手伝ってくれない」って内心怒っていたんだろうなぁ。
今更だけど、どうもすいませんでした(笑)。

あと印象に残っているのは、尾瀬の移動教室。
親に「朝起こしてね」って頼んだのに、
親が大寝坊して先生からの電話で起こされたという(笑)。
帰りのバスが雪で立ち往生して、
戻って来たのが朝の5時頃になっちゃったんだよなぁ。

中2で覚えてるのは体育祭かな。組体操のピラミッドの一番上でした。
中3はやっぱり仕事中心の毎日だったなぁ。
学校では硬派に磨きがかかってた(笑)。
ホントに女の子とは喋らなかったもんなぁ。
今考えると、もっと色んな人達と喋っておけば良かったかなって、
ちょっと反省してるよ。

中1の5月頃に事務所に入って、ガラッと人生が変わったんだよね。
事務所に入っていなかったら、きっとなーんにも考えないヤツだったと思うよ。
こんなに物事を考える様になったのは、滝沢君のお陰だと思ってる。
2月4日に滝沢君と2〜3時間マジメに語り合ったんだけど、
その時に生きていく上で凄く大切な考え方を教えて貰ったんだ。

僕の人生が変わっちゃう位プラスな考え方。
要点をメモして、何時でも読み返せる様にサイフの中に仕舞ってあるよ。
今は自分の中で大切にしたいから、内容はまだ言えないけれど、
いつか僕みたいに考え込んじゃうタイプの人が居たら、
教えてあげたいなって思ってるんだ。

『京都ビストロジャーニー』の収録の時、
占いの先生に「2月4日から貴方の運が開ける」って言われたんだけど、
本当にその通りになっちゃって、自分でもビックリしてるよ(笑)。

高校に行ったら、色んな経験をしてみたいな。
もうちょっと“やんちゃ”になりたいな〜って思ってるんだ。
中学の3年間は自分では意識してなかったけど、ちょっと背伸びっていうか、
見えないバリアみたいな物を自分の周りに張っていたかもしれない。

そういうものを取っ払って、恥ずかしくて出来なかった事とか
思いっ切りやってみたい!
カッコつけたって、そんなのすぐにバレるんだから(笑)。
ありのままの自分を出していけたらって思ってるよ。


『1998年 京都ビストロジャーニー 第3回』


松本さんは西巣鴨中学校ではサッカー部に入部しますが、
ジャニーズ事務所に入所した為1年ちょっとで辞めてしまったそうです。

matsujunchuugaku1.jpg

(上:中学校時代の松本さん。)


☆松本潤さん愛用のグッズ -その1-☆

rakuten.co.jp
2012年12月22日TBS『嵐にしやがれ』
2013年10月9日TBS『はなまるマーケット』で紹介された松本さん愛用の真空チタンタンブラー
と思われるタンブラー

matsujuntitan2.jpgmatsujuntitan1.jpg


毎日元気一杯に外で遊びバスケットボールでも活躍していた松本さんは、
小学校時代から女子に大モテだったそうです。
小学校の同じクラスの女子全員からバレンタインのチョコレートを貰った事も
あったとのこと。
この事は松本さんご本人が
2004年2月13日放送の『ミュージックステーション』で話されていました。
以下がその時の内容です。


タモリ:「嵐の松潤、何かバレンタインの想い出あるの?」

松本潤:「え〜、良い想い出も、悪い想い出もあるんですけど、良い想い出は、
(はにかみながら)あのね、クラス全員から(チョコレートを)頂いた事が
あります。」

武内絵美アナ:「凄いですねえ。」

(嵐のメンバー4人は松本さんを中心にして周りから囲んで
両手を松本さんに向けて手のひらをヒラヒラさせている。)
(大野智さんだけがいつもの仕草で顎を前に出して口を尖らせている。)

タモリ:「すっごいね。」

松本潤:「昔ですけどね。昔ですけどそういう事もありました。」

タモリ:「昔、モテたんだね。」

松本潤:「モテましたね。そ、そんな、昔って強調されても。」

武内絵美アナ:「今も。っていう。」

(後ろで二宮和也さんが大野さんに何かを話しかけている。)

タモリ:「凄いね、全員からモテるって。」

武内絵美アナ:「それは、凄いですね。」

松本潤:「それは嬉しかったですね、めちゃめちゃ。」

タモリ:「は〜、駄菓子チョコ100個貰ったの?」

松本潤:「も、ありました。
あの、駄菓子屋の娘さんからチョコレートをバレンタインに頂いた時に、
お菓子のシール付きのチョコレート(ロッテのビックリマンチョコ)が
あったんですよ。それを100個貰った事がありました。」

タモリ:「へえ〜。」

松本潤:「おまけ付きのチョコレートを。」

(嵐のメンバー4人とPUFFYの吉村由美さんが松本さんを中心にして
周りから囲んで両手を松本さんに向けて手のひらをヒラヒラさせている。)

タモリ:「おお〜。松潤、小学校(の時)モテたねぇ。」

松本潤:「モテましたね。」

(櫻井翔さんが合図をしてまた嵐のメンバー4人が松本さんを中心にして
周りから囲んで両手を松本さんに向けて手のひらをヒラヒラさせている。)

タモリ:「可〜愛いかったろうなあ。」

松本潤:「ハハハ・・・有難うございました。」

松本さんは話しながら恥ずかしそうにしていました。

女子に大モテだった松本さんですが、
小学校5年生の時に移動教室で山中湖に行き、
男女ペアで進む肝試しに参加した際、
当時松本さんが好きだった女子とペアになり順番を待っている時に、
松本さんは嬉しさと緊張でお腹が痛くなった事があったそうです。

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(上:中学校時代の松本さん。)


☆松本潤さん愛用のグッズ -その2-☆

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2013年10月9日CX『TOKIOカケル』で紹介された松本さん愛用の「ショートポール」
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松本さんが芸能界入りするきっかけは、
松本さんが小学6年生の時にご自身で書いた履歴書
(松本さんご本人曰く「「小学校卒業」までしか経歴の無い
凄く簡単な履歴書だった。」)を小学校の卒業式の帰りにポストに入れ、
ジャニーズ事務所に送ったのがきっかけ。

普段から自宅で2歳年上のお姉様と一緒に、
当時活躍していたKinki Kidsのビデオをいつも松本さんは観ていたそうで、
その映像から受けたKinki Kidsの世界観に感動して憧れを抱き、
芸能界入りを考える様になったとのこと。

この事については以前松本さんがご自身で『情報プレゼンター とくダネ!』の
中で語られていました。

そして2ヵ月後の5月中旬、中学1年生になった松本さんの自宅に
ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長から直々に電話があり、
その日松本さんは軟式少年野球の試合が中止になって
たまたま家に帰って来ておりその後少年野球の練習に行く予定でしたが、
家族会議の末、お父様の「こんなチャンスは二度と無い。」との結論が出て、
すぐに松本さんはお父様の運転する車でジャニー喜多川社長の待つ
六本木のテレビ朝日の第1リハーサル室に向かったそうです。
そして六本木のテレビ朝日に到着した松本さんを見て
ジャニー喜多川社長はその場でオーディション無しで松本さんを合格にし、
松本さんのジャニーズ事務所入りが決まりました。

“オーディション無しでのジャニーズ事務所入所者”は、
以前はたのきんトリオの野村義男さんや川崎麻世さんなどが時代もあり
(現在程厳密にジャニーズ事務所のオーディションが
システム化されていなかった)居ましたが、
80年代中頃からはオーディションの審査基準も厳しくなり現在に至るまで、

少年隊の東山紀之さん、男闘呼組の岡本健一さん、
光GENJIの佐藤アツヒロさん、Kinki Kidsの堂本光一さん、
そして嵐の松本潤さん、

上記5人以外の“オーディション無しでのジャニーズ事務所入所者”は
居ません。


☆松本潤さん愛用のグッズ -その3-☆

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2013年10月9日CX『TOKIOカケル』で紹介された松本さん愛用の骨盤矯正器具「骨盤職人」
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オーディション無しでジャニーズ事務所に入所した松本さんについては、

「この人は“エリート”なんですよ。」

と、以前『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』の番組の中で
嵐のメンバーの二宮和也さんが話されていました。

『2004年2月23日 HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP
(嵐のトーク部分のみ)』
(ジャニーズ事務所にオーディション無しで入所した経緯を話す松本さんは
5:00頃から。)


松本さんはジャニーズ事務所に入所した当初から
ジャニー喜多川社長と藤島ジュリー景子副社長のお気に入りで、
現在もお2人からは非常に可愛がられているとのこと。

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(上:中学校時代の松本さん。)

ちなみに、松本さんのお父様は「卵関係のお仕事」をなさっているそうで、
松本さんがご自身で以前TV番組でその事を話されていました。

『2010年8月26日 VS嵐 (松本さんがお父様の職業を話す部分のみ)』





・三遊亭好楽(さんゆうてい こうらく)

長寿番組『笑点』でお馴染みの落語家、三遊亭好楽さんは池袋出身です。
豊島区東池袋出身。

現在は好楽さんの娘さん(次女)が池袋の雑司が谷にて、
たい焼き店「ひなの郷」の店主をされています。




・浅野孝巳(あさの たかみ)・浅野良治(あさの よしはる)

TVドラマ『西遊記』主題歌「モンキー・マジック」、
TVドラマ『西遊記』エンディングテーマ「ガンダーラ」、
「ビューティフルネーム」、
TVアニメ『銀河鉄道999』主題歌「銀河鉄道999」、などの楽曲で有名な、
日本を代表するプログレッシブ・ロックバンド「ゴダイゴ」のギタリストの
浅野孝巳さん、
そして一時期ゴダイゴのドラマーを務めていた弟の浅野良治さんは、
豊島区要町の出身です。

浅野孝巳さんが1951年生まれ。浅野良治さんが1954年生まれ。

豊島区立要町小学校(現:豊島区立要小学校)卒業。




・ハナ肇

戦後の高度経済成長期時代に活動し一世を風靡した
昭和を代表するコミックバンド「クレイジーキャッツ」のリーダーであり、
同バンドのドラマー、俳優、コメディアンとして活躍したコメディアンの
故・ハナ肇さんは豊島区要町の出身です。

1930年東京府北豊島郡(現在の東京都豊島区)長崎町生まれ。

東京府北豊島郡立長崎第二国民学校
(豊島区立要町小学校→現:豊島区立要小学校)卒業。

山手通り沿い要町交差点近くのハナさんの育ったご実家で、
ご両親は水道工事店を営まれていたそうです。

ハナさんは要町小学校50周年記念式典の際には来賓として招かれ、
本業のドラムを披露しトークもされたとのこと。




・横尾要(よこお かなめ)

プロゴルファーの横尾要さんは豊島区要町の出身です。

1972年東京都生まれ。

豊島区立要町小学校(現:豊島区立要小学校)、
豊島区立千川中学校卒業。
高校は私立東京学館浦安高等学校を卒業。
日本大学卒。

要町出身の横尾さんは2006年、
ご自身が1985年3月に要町小学校を卒業されて以来、
25年ぶりに母校を訪問。
母校の生徒達にゴルフの実技指導を行い、
共に給食を食べるなどして楽しい時間を過ごされました。

また、スナッグゴルフ(子供からお年寄りまで楽しめる簡易ゴルフ)の用具を
寄贈し、豊島区教育委員会から感謝状を贈呈されました。

贈呈を受けて横尾さんは、

「子供達はゲームやパソコンによって外で遊ぶ機会が減ったと思う。
外で元気良く遊んで貰えるように、その協力が少しでも出来ればと思い
寄贈をさせて頂いた。」

と話されていました。




・橋幸夫(はし ゆきお)

歌手の橋幸夫さんは池袋出身です。

1943年東京都荒川区生まれ。

豊島区立池袋第三小学校、
豊島区立道和中学校
(現:西池袋中学校。2005年4月に道和中学校と真和中学校が統合し開校。)
卒業。

高校は城西大学附属城西高等学校を卒業。

橋さんはお生まれは荒川区尾久。
5歳の時に尾久から池袋へ転居し、中学生の時に中野に転居するまでの間、
池袋で暮らされていました。

橋さんは以前インタビューの中で池袋に住まわれていた当時の事について、

「池袋は尾久の閑静な住宅地に比べるとそれは賑やかな繁華街でした。
場所柄色々と遊びの誘惑も多く、年齢的にもエネルギーが有り余る
“遊びざかり”にさしかかって来たので、
「悪い遊び」に向かわないようにと心配した母の勧めで、
中学2年の時(昭和32年)、作曲家・遠藤実先生の「歌謡教室」に入りました。」

と話されていました。

小中高と全て豊島区内の学校を卒業した橋さんは、
母校である道和中学校と真和中学校が統合して平成17年4月に開校した
豊島区立西池袋中学校の校歌の作曲を担当されたとのこと。

池袋での“ワルガキ時代”については、橋さんが2015年にラジオ番組
『爆笑問題の日曜サンデー』に出演された時に詳しく話されていました。

『2015年3月1日 爆笑問題の日曜サンデー ここは赤坂応接間
ゲスト:橋幸夫』
(池袋で過ごした時期について話す橋さんは2:32:30頃から。)





・真島昌利(ましま まさとし)

元ブルーハーツ、ハイロウズのメンバーで現在はクロマニヨンズのメンバー
として知られるギタリストの真島昌利さんは池袋出身です。

1962年東京都練馬区上石神井生まれ。

真島さんは練馬区の上石神井の病院で1962年に生まれ、その後
池袋の家に引っ越し、3歳まで池袋で過ごされたそうです。
幼児期を過ごした池袋について真島さんは以前、1989年に発売された
「ROCKIN'ON JAPAN Vol.29 真島昌利 20000字インタビュー」にて
以下のように語っていました。


●生まれたのはどこですか。

「生まれたのはね、東京だよ。」

●東京のどこ?

「東京のね、池袋・・・かなあ? あんまりでも記憶ないなあ。」

●いつぐらいまで池袋に居たの?

「3つぐらいじゃないかなあ。あっ、生まれたの上石神井だったかもしんない。
上石神井の病院で生まれたっていう事をね、聞かされた事もあるけどね、
よく分かんないな。上石神井で生まれて池袋にすぐ引越したのかもしんない。」

●何人兄弟ですか。

「兄貴がいる。」

●2人っきり? お兄さんは幾つ離れてるの?

「2つ。」

●家業は何ですか。

「普通のサラリーマンだよ。」

●生まれてすぐ引越したかどうかは定かじゃないとしても、とにかく
3歳ぐらいまでは池袋に居たワケ?

「うん、多分。(南池袋にある雑司が谷の)鬼子母神で遊んだ記憶が
あるからね、居たんじゃないかな。」


以上のように池袋に居た期間は幼少時代の3歳までと短い期間だった
真島さんですが、3歳の時に東京都小平市花小金井にご家族で転居した後も、
中学生時代の1976年には池袋の西武百貨店で開催された
アマチュアバンドコンテンストに当時組んでいたバンドメンバーと共に、
「ジョニー&スリー・クール・キャッツ」というバンドで出場したりと、
花小金井に移り住んだ後も池袋に訪れる機会はあったとのこと。

(参照URL)
http://ur2.link/ybrc


posted by pokochi444 at 05:01 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

番外・小ネタ

・カンニング(中板橋)

カンニングは以前2004年放送の『笑いの金メダル』で、

「お笑い芸人がだめになったら、
中板橋で「スナックカンニング」を開いて細々と暮らしたい。」

と話していた。




・西村知美(下赤塚)(確定情報 本人談)

西村知美は以前、下赤塚にあるお好み焼き屋「もんじゃ一番」に
よく通っていたらしい。




・ななめ45°

お笑いトリオのななめ45°(ななめよんじゅうごど)のコントで、
東上線の駅名を言うコントがある。



(東上線ネタはコント後半。
3人共埼玉県出身。
岡安章介(駅員役)-桶川市出身。東京都北区在住経験有り。
土谷隼人-桶川市出身。
下池輝明-川口市出身。)




・中村獅童(下赤塚)

中村獅童は以前、三味線を習う為に、
下赤塚(練馬区田柄)に通っていたらしい。




・信田美帆(成増)

「太陽とシスコムーン」のメンバーだった信田美帆は芸能界に入る前、
成増のスキップ村商店街で、
福引の抽選をするアルバイト(福引のおねえさん)をしていたらしい。

信田美帆本人が以前『ジャンクSPORTS』で話していた。




・出久根達郎(大山)

直木賞作家の出久根達郎は、大山の日大病院の近くのラーメン屋に
よく通っているらしい。




・水道橋博士(東武練馬)

浅草キッドの水道橋博士は、映画を観る時は
東武練馬のシネコン「ワーナー・マイカル・シネマズ板橋」に行く事が
多いらしい。




・田村淳(東武練馬)

ロンドンブーツ1号2号の田村淳は、上京して間もない頃、先輩の紹介で
東武練馬のボロアパートに住んでいたらしい。

しかし、毎晩の様に幽霊の影が部屋の隅に見え隠れするので怖くなり、
一ヶ月で引っ越してしまったらしい。

ちなみに、田村淳が東武練馬に住んでいた時期と同時期にお笑い芸人の
エスパー伊東が東武練馬に住んでおり、
その当時に東武練馬の踏み切りの近くのコンビニで若い不良の集団に
絡まれているエスパー伊東を田村淳が目撃していて、次の日のテレビ収録で
たまたま二人が共演していた為に前日に東武練馬で不良に絡まれている所を
目撃していた事を田村淳がエスパー伊東に話す、
という出来事があったとエスパー伊東が自身のブログで以前話していた




・河相我聞(北池袋)

俳優の河相我聞は、2005〜2006年に期間限定で、
北池袋のドンキホーテPAWきたいけぶくろ店で
ラーメン屋「雅聞」を営業していた。

河相我聞本人も夜遅くまで店内で働いていたらしい。




・銭形警部(朝霞)

「ルパン三世」の銭形警部は以前、朝霞に住んでいた。

「カリオストロの城」では、
外国にもかかわらず銭形警部が埼玉県警の機動隊を引き連れて
ルパン逮捕に奔走している。

銭形警部は警視庁所属だが、埼玉県警に出向していた時期があった。
朝霞は銭形警部の地元という設定になっている。

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・石橋貴明の兄(東武練馬)

成増出身の石橋貴明の兄は以前、「麺貴」という店名のラーメン店を
東武練馬と新宿に出し経営していた。

東武練馬の「麺貴」は東武練馬のイオンの近くに店を出していた。
店はあまり流行っていなかったらしい。現在は2店共閉店している。
(新宿店は2003年に、東武練馬店は2004年に閉店。)




・三村マサカズ(上板橋)

さまぁ〜ずの三村マサカズは
2008年放送の『モヤモヤさまぁ〜ず2』の「大山」の回で、

「昔付き合っていた彼女が上板橋に住んでいた。」

と話していた。

『2008年10月17日 モヤモヤさまぁ〜ず2 大山』





・ぎゅわんぶらあ自己中心派(成増)

「スーパーヅガン」「ノーマーク爆牌党」などの麻雀漫画の作者として有名な
片山まさゆきの代表作「ぎゅわんぶらあ自己中心派」の漫画の中で、
“不動産麻雀”をする回があり、その中で登場人物が役を上がるも彼女に
「ダメよ ダメダメッ」「だって これ 成増じゃない!」
と止められるシーンがある。

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(※ 特急ながとろ号=1953年(昭和28年)から1992年(平成4年)3月29日
まで運行していた東武東上線の行楽特急列車。
池袋〜上長瀞間を結び、寄居から秩父鉄道に直通する特急列車で、
休日に上下各1本のみ運転されていた。
(朝9時台池袋発の下りと昼15時台上長瀞発の上りの各1本のみ。)
運行廃止年の1992年の停車駅は池袋・志木・川越・川越市・坂戸・東松山
・森林公園・武蔵嵐山・小川町・寄居・波久礼・長瀞・上長瀞。)

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・綾小路翔(東武東上線)(ときわ台)(大山)

ヤンキー系ロックバンド「氣志團」のボーカル、綾小路翔は
千葉県から東京に上京して最初に絡まれたのが東武東上線だった。
綾小路翔自身が以前、「SMAP×SMAP」に出演して板橋区高島平出身の
スマップの稲垣吾郎とトークをした時にその事について話していた。
以下、その時の内容

稲垣吾郎:「僕いつも、あの、皆さん(氣志團)見ると中学生の頃とか
思い出して。僕あの、地元が板橋区なので。」

綾小路翔:「ええ、ええ、ハードな所ですね。」

稲垣吾郎:「結構板橋区も実は僕の時代の時も意外とハードで、
(不良が多い場所って)やっぱ湘南とかそういう所ばっかだと思われてると
思うんですけど、意外と東京の板橋って有名ですよね。」

綾小路翔:「ええ。板橋、足立はもう大変な事になってる。
はい・・・ええ。」

稲垣吾郎:「「ビーバップハイスクール」の舞台(※)になったりだとか。」

綾小路翔:「東京に出てきて一番最初に絡まれたのが
東武東上線(※)ですね。
思いっきりスネ蹴られて。「あれっ?」って言って。」

稲垣吾郎:「(板橋区には氣志團の衣装の様な)そういう洋服一杯売ってる所
あるんですよね。」

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『2014年5月5日 SMAP×SMAP (稲垣吾郎と綾小路翔のトーク部分のみ)』


(※ 綾小路翔が絡まれたのは「ときわ台」との事。
綾小路翔自身がファンからのツイートにリツイートして答えていた。

「綾小路 翔 ‏@ShowAyanocozey

常盤台です。

RT @mimijyoyan0301 @ShowAyanocozey 翔やん★スマスマで
『東京出て来て、初めて絡まれたのは東武東上線でした』と仰っていましたが、
何駅ですか?上板橋?成増は行きませんよね?」)

(2014年5月5日のリツイート)

(※ 「ビーバップハイスクール」の舞台=かつて板橋区内で同映画の
ロケ撮影を行った。)


綾小路翔は2015年6月には
大山のやきとん店 ひなた、立ち飲み屋の晩杯屋、そして居酒屋の魚猫などで
ハシゴ酒をして飲み歩いた事をツイートしていた。

「綾小路 翔 ‏@ShowAyanocozey

昨夜の大山飲み、ひなた→晩杯屋→魚猫→晩杯屋→ひなたのコースだった
模様。しかしながら二度目の晩杯屋から記憶ナシ。
友人のお店のオープニングパーティーも、その後にしていた大切な約束も
すべてすっぽかした。
だけど大山は素敵な街だった。
久しぶりにストレスというものから解放された気がします。」

(2015年6月28日のツイート)




・井ノ原快彦(上板橋)

V6の井ノ原快彦は
2015年放送の『出没!アド街ック天国』の「上板橋」の回で、

「高校の時に好きだった娘が東武東上線沿線に住んでおりまして、
上板橋はデートで行った事があります。」

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と話していた。
その他、同じV6のメンバーである長野博の為に井ノ原快彦がソロ曲(※)の
歌詞(演歌)を作る事になった時に、

「「♪雨降る〜 上板橋で〜」という歌い出しの歌詞の曲を作りました。」

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と話していた。

『2015年5月9日 出没!アド街ック天国 上板橋』
(上板橋について話す井ノ原快彦は9:55頃から。)


(※ 長野博の演歌調ソロ曲=曲のタイトルは「グルメは巡る」
(参照URL)
http://u111u.info/kThs




(※ 以上の記事には不確定ネタ等あります)


posted by pokochi444 at 05:00 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする